君さえ


与えて愛して待っているから、早くここまでおちてきて(残り10日)


10
※個性強め人魚女夢主/捏造過多ご都合主義


 お金になるものが好き。
 お金にならないものは嫌い。
 私にとって、世界は酷くシンプルだ。

 きれいなものはお金になるから好き。醜いものはお金にならないから嫌い。かわいいものも、楽しいことも、宝石も、お金になるから好き。不細工なものも、退屈なことも、ガラクタも、お金にならないから嫌い。
 別に、お金が好きだとかお金持ちになりたいだとか、そう言うことではない。お金になるものには分かりやすく「価値がある」から好きなのだ。
 そう考えると、「私は価値のあるものが好き」だと称した方が正しくはあるのだろうけれど、そうなると「価値とは一体何をもって価値とするのか」という疑問が浮かんでしまうから、やっぱり「お金になるものが好き」と称するのが一番的確で分かりやすい。

 そんな私を、皆は「子どもらしくない」だとか「可愛くない」だとか「気取ってる」だとか散々に言うけれど、私はそんなこと気にしない。だって、そんな言葉に「価値はない」のだから。
 私はどうしたって私でしかいられないのだから、私にとってどうでもいいひとたちからのどうでもいい言葉を真に受けて自分を変えようとするなんて、あまりにもナンセンスだし無駄なことすぎる。
 そんなことをするぐらいなら、私はもっともっと自分を可愛く、きれいに、美しく磨いていくの。

 自分にとって価値のない人生になんて、何の意味もないでしょう?

 お金にならないものは切り捨てて、お金になるものと自分だけを愛して私は生きていく。それは、まだ齢が10にも満たない私が自らの心に強く誓ったことだった。

「──そういうわけで、貴方の気持ちには答えられないわ。申し訳ないけれど、私のことは諦めてもらえるかしら」

 物心ついた時から手入れを怠ったことのない黒く長い髪は、緩くウェーブを描いて波に揺蕩い、光の当たり具合によって深い青にも淡い紫にも鮮やかな黄色にも輝く尾びれの鱗は、1枚1枚が隙もなく磨き上げられ、わずかな光にもきらきらと輝いている。加えて完璧に整えられた肌にスタイル、そして選び抜かれた装飾品。
 他でもない私自身のために、「価値のある自分」であるための努力を続けてきた私の容姿は、15歳の立派な人魚となった今、私の故郷である珊瑚の海の外からも人魚たちの噂を集めるほどに美しいものへと成長していた。
 そして同時に、幼い頃の私へあんなにも後ろ指を指していた世界は、気付けばいとも容易く手のひらを返して、私の美しさという「価値」を自らの手に入れようだなんて馬鹿げたことを考え始めているらしい。
 プライマリースクールを卒業した頃から、突然周囲のオスの人魚たちから告白や求愛をされるようになり、今となっては、わざわざ珊瑚の海の外からやって来た人魚にまで言い寄られるようになっていた。
 まあ、誰も「価値のあるもの」が嫌いなひとなんていないだろうから、そんな彼らの気持ちも分かりはするのだけれど。──正直に言えば、気分はとても悪かった。

「好きです」

 貴方、プライマリースクールの時に私のことを影で嘲笑って馬鹿にしていたじゃない。

「付き合ってください」

 今日初めて会ったばかりの貴方が、一体私の何を知ってそんな言葉をのたまっているのかしら。

 私の美しさは、誰かのためのものではない。貴方のためのものではない。私のことを何も知りはしない貴方の心を満たしてやるために用意したものなんかじゃない。私の美しさは、私の価値は、他でもない私自身を満たすためのものなのよ。

「それじゃあ、ごきげんよう」

 背後で何か喚き散らしている醜い人魚を振り返ることもせず、私は自慢の尾びれを揺らしながらその場所を後にした。対処が面倒だから、あのひとは逆恨みして後々襲い掛かってくるような馬鹿じゃなければいいけれど。そんなことを心の片隅に考えながら。
 愛も、恋も、私にとってはひとかけらの価値も持たない。だって、そんなものは決してお金になどなりはしないのだから。
 
「──今日も人気者ですね、貴女は」

 何となく真っ直ぐ家に帰る気分になれなかった私は、人気の少ない岩陰の片隅に腰かけて、ふわふわと優しくクラゲの身体を指先で突いていた。
 そんな折に突然飛ばされてきた声に慌てて視線を持ち上げれば、そこに踊ったのは深い花緑青の色。不本意にももうすっかり見慣れてしまったその色彩に、私はそれが一体誰であるのかを一瞬にして理解する。
 その身体を染める花緑青よりもさらに青く明るい短髪に、ひと房だけ伸ばされた深海色、そして左右で異なる宝石を嵌め込んだ瞳が特徴的な彼は、プライマリースクールからの私の知り合いでもある一匹のウツボの人魚だ。
 くすくすとたおやかに、どこか愉快を滲ませながら笑う彼は、いつもこうやってどこからともなく私の前に現れる。きれいなその顔と表情の向こうで彼が一体何を考えているかなんて、私には分からない。し、分かりたいとも思わない。

「こんにちは、ジェイドくん」
「ええ、こんにちは。何だか浮かない表情ですね」

 ふわりと水を掻いて泳ぎ寄ってきた彼は、そのまま遠慮も躊躇もなく私の隣に腰かけてくる。先述のあれそれから同性にも異性にも友達のいない私にとって、そんな距離感で私に接してくる彼という人魚は少し不可解で、正直なことを言えばどこか気持ち悪さすら覚えてしまう。まあ、別に嫌な訳ではないから好きなようにさせているけれど。
 元々が小柄なハナタカサゴの人魚である私と違って、ウツボの人魚である彼はその体長がとても大きい。私ぐらいなら軽く締め上げられてしまうだろう長い尾びれを小さくまとめて、彼は私の表情を覗き込むようにして視線を合わせてきた。

「……私、お金にならないものは嫌いなの」
「ええ。よく存じ上げております」
「だから、愛も恋も好きじゃない。……毎回毎回そう言って全員を平等に手酷く振っていると言うのに、どうして私に告白しようだなんて思い立つのかしら、彼らは。あまりにも非合理的過ぎてほとほと呆れ返ってしまうわ」

 合理的でないことも、私は嫌いだ。玉砕覚悟の告白なんて、無駄以外の何ものでもないと思うのだけど。
 ほとんど独り言のような口ぶりでそう呟いて、私はひとつため息をこぼす。すると隣の彼はぱちりとその瞳を瞬かせて、ゆるりとそこに弧を描いてみせた。

「そうですね……やはり、貴女の美しさが合理的な思考回路すらも失わせてしまうほどのものであるから、というのが一番の理由でしょうけれど、」

 眉を下げて、唇の向こうに鋭く尖った牙を覗かせて。その酷くあくどい笑い方は、彼と言う人魚の本性を一番によく表したものだと思う。そんな彼の表情が、私は嫌いではなかった。

「愚かなほどに能天気で夢見がちな彼らは、きっと『自分だけは他と違う』、なんて考えてしまうのでしょうね。それこそ、御伽噺によくあるような『運命』などと言う馬鹿げたものを信じきって」

 そして、この世界の何よりも誰よりも真っ直ぐに私という存在を見据えてくれるその瞳を、私は案外好ましく思っていた。

「貴女に好かれるための努力どころか貴女を知るための努力もせずに、貴女をそこらの貝殻のように簡単に手に入れようとするそんな人魚たちのことなんて、わざわざ呼び出しに応じたりせずそのまま切り捨ててしまえばいいのですよ」

 ゆったりと言葉を紡ぎながら、彼はその手をおもむろに私の方へと伸ばしてくる。鋭い爪を携えたそれを私が畏怖することはない。拒絶することはない。
 彼が私を傷つけることは、決してないと知っているから。

「……この髪飾りは、やはり貴女によく似合う」

 何かが耳元に飾られた感覚とその言葉に、今日は髪飾りかと私は内心に独り言ちた。満足げな彼の笑みを数秒ばかり見つめて、私も自らの手鏡でその姿を確認する。
 それは、彼の髪と同じ鮮やかなターコイズブルーを宿した宝石のはめ込まれた、繊細だけれども華やかな造りの美しい髪飾り。それは彼の言う通り私の黒い髪によく映えていて、思わず自分でも惚れ惚れとしてしまうほどだった。
 子どもっぽく瞳を輝かせながら鏡を見つめる私へ、彼が微笑ましいものを見るような笑みを浮かべたのが視界の端に映り込む。それに少しの気恥ずかしさが募った私は、手鏡の向こうに佇むハナタカサゴの人魚から慌てて視線を外した。
 けれどもやはり、意識はどうしたってその髪飾りに向かってしまって、落ち着かない指先が髪飾りに触れようと海水の中に覚束なく揺れ動いた。

「相変わらずこういうセンスはいいのよね、貴方」
「恐縮です。気に入って頂けましたか?」
「……まあ、そうね。嫌いじゃないわ」

 そう答えればまたさらに彼の笑みが深まってしまうのだから、私にはもう一体どうすればいいのかも分からない。じわりと熱くなった頬を隠すように、私は勢いよくその岩場から泳ぎ出した。おやおや、どうしたのでしょうか。なんて酷く白々しい彼の声に振り返れば、彼もまた、私と同じように尾びれを揺らして岩場からこちらへと向かってきている様子が視界に映る。
 そんな彼は、今日も今日とていつものごとく、私を丁寧に家まで送り届けてくれるのだろう。
 別に、逆恨みしてきた人魚たちを自分だけで叩きのめすことが出来るぐらいに私は強いのだけれど、まあ、彼がそうしたいというのならば断わる理由はない。彼から事あるごとにプレゼントされる装飾品の数々に関してもそうだ。

 ……私が気に入って、さらには大切にしてしまうような装飾品を贈ってくる人魚なんて、この海のどこを探しても貴方ぐらいしかいないのよ?

 それを彼に教えてあげるつもりはない。
 今は、まだ。


  ***


 厳しい冬も終わり、ようやく待ち望んでいた春が来た。流氷も溶けてなくなり、水面からはさんさんと温かな春の日差しがゆらゆらと溶け込んでくる。

 そんな麗らかな春の海を眺めながら、私はあの岩場でひとり静かに佇んでいた。

 時折思い出したように指で髪を丁寧に梳いて、髪飾りの位置を直して、鱗にくすみがないかと尾びれを確認して、あの頃よりもさらに美しさに磨きのかかった自分自身をさらに美しく保とうと努力する。それは別に誰かのためではなく、他でもない私自身のためだけのもの。

 ……まあ、その努力の結果を見て喜んでくれる誰かがいたとしても、それは別に私には関係のないことだから。

 そんなことを心の内に転がした瞬間、水の揺れる感覚が私の肌を震わせて、そのまま私の意識ごと視線をそちらへと奪い去っていく。そうすれば、丸く見開いた瞳にその色彩が映り込んでくるものだから、私はどくどくと煩い心臓の宥め方も忘れてしまうのだ。
 目を離したくないと思う気持ちを抱きながらも、こんな表情を彼に見せてしまうことが気恥ずかしい私は、慌てて視線をよそへと向けて澄ました表情を無理矢理に取り繕う。心臓の動きが波を伝って彼に届いたりしなければいいけれど、と何とも愚かしいことを考えながら。

「──こんにちは、お久しぶりです」
「……こんにちは。お久しぶりね、ジェイドくん」

 ナイトレイブンカレッジへ通うためにと陸に上がってしまった彼の姿を見るのは、去年の夏の終わり以来のことだ。
 筆まめな彼に合わせて手紙のやり取りは何度かしていたけれど、やはり手紙で文字を交わすことと対面で声を交わすこととでは大きな差がある。
 また体長が少し伸びているようだ、とか、声は流石に変わっていないな、とか、そんなことを彼に気付かれないよう確認しながら、私は至って平静な声で彼に答えを返してみせた。
 そうすれば、彼はゆるりといつものように穏やかに微笑んで、断りを入れることもなく私の隣へとやって来る。まるでそれが当たり前だと言わんばかりの様子に文句のひとつでもつけてやろうかと思ったけれど、どうしてか上手く言葉が出てこなかったから、私はただそれを黙認するばかり。
 涼しげな切れ長の瞳が、私の姿を見つめてゆるりと綻ぶように細められる。その姿はあの頃と然程変わっていないはずだというのに、それがあの頃とはまた違ったものに見えてしまったのは。きっと、私が変わってしまったという事実の証明だ。

「僕の差し上げた髪飾り、使ってくださっているんですね」
「……ちゃんとたまには使ってあげないと、折角可愛い髪飾りなのにもったいないじゃない」

 だから、そう。別にこれは貴方のためなんかじゃないのだ、とでも言いたげな言葉が唇からこぼれていくけれど、目の前の彼がそれをそのままの通りに受け取ってくれるはずもない。
 にこにこと言葉もないのに酷く煩い彼の笑みを軽く睨みつけて、私は視線をそっぽへ向けた。

「おや、拗ねてしまいましたか?」
「拗ねてなんかいないわ」
「ふふ、すみません。僕のプレゼントしたものを貴女が身に着けてくださっていることが、堪らないほどに嬉しくて」
「……陸に上がってからも飽きずにあれこれ貴方が贈ってくるから、もう私の部屋は貴方からのプレゼントでいっぱいよ。どうしてくれるの」
「それはそれは。……つまり、貴女はそのどれをも捨てずに、今も大切に扱ってくださっているのですね?」
「……捨てないわよ。素敵な装飾品は嫌いじゃないのだから」

 貴方もよくご存じでしょう? と問いかけるように視線を戻してみせれば、そこに輝くふたつの色彩が、あんまりにも優しくて甘ったるい光を宿して私を見つめていて。また体温が一度上がった身体は、このままではあっという間に蒸し人魚になってしまいそうだ。

「貴方も相変わらず物好きね。私に贈り物なんてしたって、貴方に得なんて何もないでしょうに」

 どれもこれもタダではないのだから。もっと自分のためになることにお金を使ったらどう? そんな私の言葉に、彼は何やら意外そうな表情を浮かべてみせる。おや。まだそんな言葉を紡ぐことが出来るのですか、貴女。とでも言いたげに。
 微かに丸く見開かれた瞳が弧を描けば、それが私の負けを意味する終戦の合図となる。なんだかんだと、私が彼に勝てたためしなどただの一度もありはしなかった。それがどうしようもなく悔しいのだけれど、結局は何とやらの弱みという奴だ。

「ちゃんとありますよ、得。僕にも」

 唇の向こうに覗く歯は鋭くて、尾びれは長く、爪は鋭く。彼の手にかかれば、私なんてひとたまりもなく殺されてしまうのだろう。そんなにも恐ろしいウツボの人魚が、今、獲物を捕らえた肉食魚の瞳にゆらゆらと光を揺らしながら、私のことを静かに穏やかに見下ろしている。

 けれど、それでも、
 私はそれを怖いとは感じなかった。


「その装飾品を通して貴女は僕を見て、僕を思って、僕のことを考える。つまり僕は、その装飾品で貴女の気を惹くことが出来るということです」


 きっと、多分、最初から、私に勝ち筋なんて残されてはいなかった。そんな今更過ぎる事実をようやく理解して、最早逃げる意思すら奪い取られてしまっている私は、ただただ彼の視線に焼かれ続けるばかり。
 恋にも愛にも興味はなかったのだけれど。
 そんなものに価値なんてないと思っていたのだけれど。

「──それに、僕はただ真摯に努力を続けているだけですよ」

 貴女に振り向いてもらうための努力を。

 その努力の成果なんて、もうすでに実っているわよ。
 きっとそれさえも理解しきっている彼は、ただただ待っているのだ。大きく口を開けて、私という名の獲物が自らその中へ飛び込んで来ることを。
 恋や愛に価値はなくても、彼という唯一無二の存在が、私にとってお金になんて到底替えられないほどの価値を持っているのだから、これはもう仕方がないことなのだ。
 そう自らに言い聞かせて、私は心の内に決意する。彼と私がそれぞれのカレッジを無事に卒業したら、その時は、ちゃんと私自ら彼の手の中へ落ちてあげようと。
 だから、ねえ。もう少し。あと少しだけ、私を手に入れようと努力する貴方の姿を私に見せて。
 私もそれまでの間、貴方が他へ目移りしてしまわないように沢山努力し続けるから。
 ああ、でも勘違いはしないで。これは貴方のためなんかじゃなくて、私による私のためだけの努力。「貴方に好きでいてもらいたい私」のための努力なのだから。
 照れ隠しに岩場から飛び出した私を、相変わらずくすくすと笑いながら追いかけてくる彼。その姿を振り返って、私も堪らず笑みをこぼしてしまうのだ。


2020/10/26

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