君さえ


貴方と結婚するただひとつの理由(残り7日)



※女夢主/現パロ(?)/年齢操作/捏造ご都合主義


「──というわけで、僕と結婚することで貴女が得られる7つのメリットについてご紹介させて頂きます。これまでと変わらない部分もありますが、それについては深く気にせずお聞きください」
「……ん? うん? んん、……うん、なるほど。よく分からないけど分かった。どうぞ」

 それは確か、学生時代からの恋人である彼との同棲期間もついに3年目に突入した頃のことだっただろうか。
 なんでもないとある日の夕食後、入浴も済ませてリビングでふたりまったりと時間を過ごしていた折に突然彼から放たれた言葉が、冒頭のそれだった。いや、その前にも何かつらつらと並べ立てていたような気もするが、その辺りはどうも私の耳を滑ってしまって記憶の中に残らなかったのだ。
 ソファにだらしなく座り込んでスマートフォンを眺めていた私は、視線を声のした方向へ。そうすれば、相変わらず網膜が焼けそうなほどに鮮やかな浅瀬の色に加えて、やけに真剣なカナリーイエローとオリーブの2色が痛いぐらいに私を見据えているものだから、思わず私まで慌てて姿勢を正してしまった。
 ローテーブルを挟んで向かい側、ラグマットの上に正座をしている彼に合わせて私も床に降りようとしたのだけれど、それは彼の視線によって制されてしまう。そのままで聞いてくれということらしい。
 ひとまずは背筋だけを伸ばして聞く姿勢を整えれば、それを認めた彼がどこからともなくスケッチブックを取り出してきた。そこまで準備しているのかと思わずツッコミを入れてしまいそうになるけれど、いつになく真剣な様子の彼にもちろんそんなことなど言えるわけがない。
 普段私と接する時は基本的に笑顔──その笑顔にもまた様々な種類があるが──を絶やさない彼のそんな表情を見つめ続けるというのは、何とも新鮮な体験だ。
 彼が言った「結婚」というワードについても色々と聞きたい言いたいことがあるのだけれど、今はそれについても深く気にせず、静かに彼の話を聴くとしよう。考えるのはきっとその後でも遅くはないはずだから。

「はい。ではまずひとつ目として、毎日1日3食、美味しく栄養管理の行き届いた食事を提供させて頂きます。貴女の食べたいものにも配慮し、仕事の際には昼食用のお弁当も作りましょう。……ああ、外食をしたいという時にまで強制はしませんのでご安心ください」

 ぱらり、と乾いた軽い音をたててスケッチブックが捲られる。露わになった紙面に並ぶ文字は、彼の書いたそれに違いない。丁寧で理路整然とした様子の筆跡が「@毎日1日3食の美味しい料理」と並び、その隣には何とも愛らしいイラストが並んでいた。
 なるほど、それは今でも既に行われていることだけれど、確かに酷く魅力的な内容だ。何においても器用で優秀な彼は、料理の腕前も超一品というとてつもないハイスペックさを誇っている。私も彼の料理に胃袋をガチガチに握りしめられている類のそれであるため、彼の料理を沢山食べさせてもらえるというのは単純に喜ばしい。
 うんうんと頷く私に小さく微笑みを浮かべた彼の姿は、どこか安堵しているようにも見えて。
 それを理解して、ようやく私は気付いた。彼がどうやら「緊張」なんてものをその胸に秘めながら、このプレゼン大会(私命名)に臨んでいるらしいということに。

「次にふたつ目。先述のものと重なる部分はありますが、僕は僕の全ての力を以てして貴女の生活をサポートし続けましょう。身体的な健康から、精神的な健康まで。貴女が健やかに安らかに、そして幸せに過ごすことのできる毎日を僕が完璧にサポートしてみせます」
「…………ジェイマックス……」
「初めましてではありませんがこんばんは、僕はジェイマックスと申します」
「ごめんってごめんって、冗談だから乗ってこないで笑っちゃうから」

 そうだね、つい先週一緒に借りてきて見たもんね。にこりと微笑んで慇懃に胸へ手を添えた彼がノリノリでそう答えるものだから、思わずあの魅惑の白いマシュマロボディが脳内に連想されてしまった。見た目こそそれとはかけ離れているけれど、言っていることややろうとしていることと言えばまさにそれと同じであって。
 その姿に愛おしさを覚えるなという方が馬鹿な話であろう、というのが私の心からの主張だ。

「3つ目。ご存知の通り僕は職場にも地位にも恵まれ、滅多なことさえなければ生活に困窮するようなことはないと思われます。貴女がわざわざ働きに行かなくとも十分に養っていくことが出来ますし、貯蓄に回す余裕もあります。貴女に不自由な思いをさせてしまうようなことはないと言えるでしょう」
「まだ20代にして、今を時めく大企業の副社長だもんねジェイド」
「4つ目。自分でいうのもなんですが、僕はそれなりに容姿も整っていますし、身だしなみには気を遣っています。隣を歩く貴女に恥ずかしい思いは決してさせません」
「そうだね。ジェイドはきれいでかっこいいから、逆に私の方がジェイドに恥ずかしい思いをさせちゃうかも」
「そんなことはありません。……5つ目ですが、これまで3年ほどを同じ屋根の下に生きてきた中で分かった通り、僕と貴女は人間的な相性がいい方だと言えます。これについては貴女の在り方のおかげである部分もありますが、結婚後に価値観が合わず諍いが増えてしまうといったことはきっとないでしょう」
「たまの喧嘩はいいけど、それがいつもってなると疲れちゃうからねぇ。ジェイドといると安心できるから好きだよ、私」
「……ありがとうございます。──6つ目。僕は一途な男ですから、浮気など絶対にいたしません。貴女にそんな不安を抱かせることもしないと誓います。僕には、貴女たったひとりだけですから」
「……うん」

 そこで一度言葉を途切れさせたジェイドは、手に持っていたスケッチブックを机の上に寝かせ、そしてひとつ呼吸と瞬きを落とす。伏せられた視線が持ち上がって、その虹彩に私の姿が映し取られた。たったそれだけのことでも私の心臓はときめきに跳ね上がってしまうという事実を、彼は知っているのだろうか。いや、きっと知られてはいるのだろう。彼はそういうところがあるから。
 おもむろに立ち上がった彼の姿が、ゆっくりと歩いて私の隣へとやって来る。私はただただその影を追い駆けるように視線を揺らして、彼の輪郭を見つめるばかり。
 増えた重みにソファが微かに軋んだ。そんな現実の有り様も意識の向こうに追いやられたまま、私は彼から与えられる苛烈なほどの慈しみに焼き尽くされていくことしかできない。

 ──ああ、あつい。

 恐る恐る、まるで壊れかけの繊細なガラス細工にでも触れるかのように、彼の右手の指先が私の左頬を滑っていく。滑らかな彼の素肌が孕む体温は、私にとってはいっそ冷たいぐらいだというのに、それでもどうしてか「あつい」と感じた。
 それはきっと、間近に瞬いた彼の瞳の奥に宿る光が、温度が。

「……最後に、7つ目」

 曖昧に佇んでいた右手が、彼の左手に攫われて行く。もちろんそれを振り払うことも、そこから逃げ出そうとすることも、私には出来なかった。
 ひと言、ひと音を噛みしめるように、酷く丁寧に彼は言葉を紡いでいく。そのせいで私の心臓には一画ずつ彼の声が刻み込まれてしまって。きっと私は、一生この日を、この夜を、この瞬間を、──彼から与えられたこの言葉を忘れることなど出来はしないのだろうなと、そんなことを頭の片隅に理解した。

「──僕は、貴女を愛しています。心から、この世界の誰よりも、何よりも、深く、深く。貴女を永久に愛し続けます。……この意志は、この想いだけは絶対に誰にも負けはしません」

 今にも泣き出してしまいそうだ。
 彼の表情に涙の予兆などひとかけらも見受けられはしないけれど、それでも。泣いてしまいそうだと思った。彼が。
 滅多に見ないその様子にかけらも動揺しなかったと言えばうそになる。だって彼は、隠しごとが誰よりも得意で、自らの負の感情を私の前で表に出すことを嫌がっているようだったから。そんな表情を、今までにほとんど私に見せてはくれなかったから。
 泣かないで。そう思った。
 けれど同時に、泣いて欲しいとも思った。
 それは決して嗜虐心から来るものではない。ただ、見たかったのだ。彼が私を想ってこぼしてくれる涙の美しさを。この目にたった一度だけでいいから焼き付けたかった。

「だから、どうか。……どうか、僕との未来を選んではくださいませんか?」

 馬鹿なひと。
 他者からの評価に興味は無くとも正確な自己評価を行うことが出来て、ちゃんと自信にも満ち溢れていると言うのに。どうしてこんなところで突然、堪らなく不安そうな表情を見せるだろう。
 私がどうしようもなく貴方を愛していて、貴方以外との未来なんて考えられないほど貴方に溺れてしまっていることも、十分に知っているくせに。私が貴方の問いに何と答えるのかも、とっくに分かっているくせに。
 そういうところだよ、と口にして指摘してやらない私も私なのかもしれないけれど。それにしたって不思議なものだ。
 下げられた眉は「困りましたね」というよりは「本当に困っています」という有様をありありと物語っていて。思わず笑ってしまいそうになりながらもそれを堪え、私はお返しとばかりに彼の頬へと自由な左手を伸ばした。
 その指先が拒まれることがないという事実にも慣れ切ってしまった自分自身に小さな自嘲を転がして、歓喜して、私はなるだけゆったりとした口調を心掛けながら唇を開くのだ。

「……ジェイドって馬鹿だよね」

 けれどまあ、思わず口をついて飛び出した言葉がそれだったのだから、その心がけにも結局意味などなかったのだけれど。

「馬鹿、とはご挨拶ですね」
「いやだって、ジェイドならわざわざそんなプレゼンなんてしなくても、たった一言さえくれたら私が泣いて喜んで頷くことぐらい分かってるでしょ? それなのにやけに緊張して不安そうにしてるから、つい」
「……貴女に一度ぐらいは検討の余地を差し上げてもいいかなという、僕なりの配慮ですよ」
「ううん、まあ、それについてはありがとう。必要はないし、検討のさせ方も減点対象だけど」
「っ、……何が、いけなかったのでしょうか」

 それが分からないところが、彼の一番の欠点で一番に愛おしい部分なのだけれど。
 くすりとひとつ笑みをこぼして、私は彼の頬を指で突く。言葉に合わせて、リズムを刻むように。

「ジェイドが尽くしたいタイプだっていうのは重々分かってるけどさ、結婚ってどちらかがどちらかのためだけに心を砕き続けるようなものじゃないでしょ?」

 まるで、先に挙げられたようなジェイドの献身がなければ、私がジェイドとの未来を選ぶことはないとでも言いたげな口ぶり。それが少し、いや、かなり気にくわなかった。
 ジェイドの作るご飯は毎日1日3食じゃなくていいし、日常のサポートも完璧じゃなくていいし、ジェイドの収入に甘えて養われたいなんて毛ほども思っていないし、身だしなみが多少崩れていても気にしないし、浮気されるのは嫌だけれど、多少価値観が違って喧嘩することが多くたって構わない。

「私はジェイドに支えられながら生きていきたいんじゃなくて、ジェイドと支え合いながら生きていきたいの」

 ご飯ぐらい私も作るし、なんなら出来合いを買ってきて一緒に食べればいい。家事は分担して、ジェイドが疲れた時は私が労わって、ジェイド寝坊しそうな時には私が起こしてあげる。ジェイドのような高給取りにはなれないけれど、それでもちゃんと仕事はする。外見だって、社会的に許容される範囲内なら別になんだっていい。どんな髪型でも服装でも、ジェイドがジェイドであることに変わりはないのだから。
 喧嘩しても、その度にちゃんと仲直りをすればいい。そうすればきっと疲れなんてひとかけらも感じなくなる。
 いっそ疲れてしまってもいい。
 苦しくても辛くても、いい。

「ジェイドが隣にいてくれるだけで、私と一緒に生きてくれるだけで、いいんだよ。それ以上の幸せなんてないんだから」

 右手の中指を親指で押さえて、そのまま彼の額へ。そしてぱちんと軽く弾いてやれば、彼の瞳が困惑に揺れるものだから。本当に、どうして彼はこんなにも愛おしいのだろうかと私は首を傾げてしまうばかりだ。
 頭が良くてスマートで器用なくせに、こんなところでばかり不器用な彼を、どうして手放すことが出来ようか。

「私、ジェイドと同じぐらい盲目的にジェイドのことが大好きなの。本当はジェイドがどうしようもないダメ人間だったとしても、それでもジェイドがジェイドであるならそれでいいって即断即決できるぐらいには」

 知ってた?
 知っていたけど、実感はわかなかったというやつだろうな、きっと。揺蕩う彼の視線にそれを理解して、それならば今日こそ実感してもらおうと私は意気込んだ。
 
「ジェイド、好きだよ。世界の誰よりも、何よりも、貴方のことを愛してる。ジェイド以外なんて、私は望まない。だから、──私をジェイドの隣にいさせてくれる?」

 じわりと滲んだカナリーイエローとオリーブがあんまりにもきれいで、私はもう何度目になるのかも分からない恋への落下を経験する。きっともう私の心臓は、水面下1万900メートルをもはるかに超えて、深い深いどこかへと沈んでしまっているのだろう。
 空を仰ぐことももう出来はしないなと笑った途端、私の視界まで滲んでしまって。彼よりも先に泣いてなどやるものかと思いはするけれど、私の涙腺は脆弱すぎて大した我慢もできはしない。
 声が涙に濡れてろくに言葉も紡げなくなってしまう前に、ちゃんと彼に問いかけなければ。聞かなければ。

「ね、ジェイド。だから安心して、いつもみたいに自信たっぷりに言葉を頂戴? 一番大事なたったひとことを、私に」

 かたちのよい彼の唇が引き結ばれる。瞳が揺れる。その目尻が少しばかり赤く染まっていることは、きっと私の見間違いなんかではないのだろう。
 息を吸う。吐く。

「……本当に、貴女には敵いませんね」

 眉を下げて、困ったような微笑み。
 どこか切なげに、それでいて酷く慈しみ深く、愛おしそうに、彼は私のことを真っ直ぐに見据えていた。
 右手と同様に左手までもが彼に攫われて、そのまま彼の口元へと誘われる。柔らかく口づけが落とされたのは、他でもないその薬指の根元。またひとつぶ涙がこぼれ落ちた。

「──僕と、結婚してください」

 うん、大正解。そのたった一言があれば、私はそれだけで十分なのだ。

「はい、喜んで!」

 だって、私、貴方のことが大好きだから。


2020/10/29

- 9 -

*前次#