君さえ


愛を食む(ジェイド)


「今日はエイプリルフールですけど、何か嘘は吐かないんですか?」

 四月一日、水曜日。学校は休みで、その日は朝からずっと、オンボロ寮の自室で黙々と図書館で借りた本を読んでいた。グリムは朝早くからどこかへ遊びに行って、残された私はひとり、静かに時間を過ごす──予定だったのだが。
 冒頭の言葉を吐いたのは、床に敷いたラグの上で本を読む私をその膝に乗せて、シートベルトのように腹部へ腕を回したこの背後の男。ジェイド・リーチ。我が先輩であり、まあ一応、恋人とも呼べる存在だ。ついでに言えば、今現在はその肩書の中に私の座椅子という項目も加えられてしまう。ほんとうにどうでもいい情報だった。

「……吐いて欲しいんです?」

 栞を挟んで本を閉じ、背後の彼に問いかける。首をひねって視線を向ければ、そこには至極楽しそうな彼の笑顔。一体今度は何を企んでいるのだろう。

「そうですねぇ、貴女がエイプリルフールに際してどんな嘘を吐こうとするのか、少し興味はあります」
「別に面白い嘘は吐けませんよ。何を期待されているのか知りませんけど」

 腕に抱えていた本が彼の手に攫われて、ラグの上に寝かされる。今日の読書はもう終了だろうか。視線だけで見上げた時計は、十一時過ぎを示していた。

「おや、貴女は嘘がお得意だと思っていましたが」
「いつどこで植え付けられてきた印象ですかそれ」
「僕と恋人同士になる前は、随分と僕に嘘を吐いていたではありませんか」

 ゆるりと弧を描いた彼の瞳に、私は言葉を詰まらせる。いつの間にか向かい合わせに抱きかかえられていた身体では、彼の視線から逃げることも許されない。

「そうやってすーぐ昔のことを引っ張り出してくるところ、ほんと嫌い」
「ふふ、それが嘘ですか?」
「ほんっっっとに嫌い」

 私が何をどう言ったところで、暖簾に腕押し糠に釘。彼に舌戦で勝てる訳がない。
 くつくつと愉快そうに喉を鳴らす彼に、行き場のない怒りが私の胸に湧き上がる。いつか絶対に仕返ししてやる、と心に何度目かの誓いをこぼすけれど、やはり結局は惚れた弱み。愛おしそうな表情で笑う彼の指先に優しく髪を梳かれてしまえば、単純な私はすぐさま全てを許してしまう。
 どうしようもない感情に言葉のない叫びをあげながら、私は頭を彼の胸にどすりと埋めた。腹いせとばかりに少し勢いをつけたのだが、彼にはひとつもダメージが入っていない。それも悔しくて、ぐりぐりと頭で心臓のあたりを地味に攻撃してやった。ただの戯れだ。

「──……嫌いですよ、貴方のことなんて」

 そのまま、彼の心臓に囁くように言葉を紡ぐ。肌に触れる彼の鼓動の音に、どうしようもなく感情がさざめいた。私を包む彼の体温があまりにも温かくて、思わず涙がこぼれそうになった。
 彼の手が私の頭を撫でて、こちらを向けと促してくる。
 しぶしぶそれに従って顔を上げれば、そこには酷く優しい彼の表情。情けないことになっているのだろう私の顔を見て、柔く微笑んだ彼の姿。その姿にまた心が何度目かの恋をする。

「相変わらず嘘が下手ですね、貴女は」

 額に、瞼に、頬に、唇に、彼のキスが降ってくる。腕からあふれてしまいそうなほどの愛を、何度も何度も与えられる。私は息を止めて、それをただただ享受するだけ。愛の返し方を、私はまだ十分には知らないから。せめてとばかりに彼の背中へ恐る恐る手を伸ばせば、彼の瞳がとろりと甘い色に満たされた。片方の鮮やかな黄色も相まって、まるで蜂蜜みたいだ。

「──僕は何度貴女を好きになれば許されるんでしょうね」

 それはこちらの台詞だ。その声は呼吸と共に彼に食まれて溶けていった。



2020/4/1

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