君さえ


貴方と私の春日和(ジェイド)


 四月が始まり早数日。朝晩は未だ多少冷え込むものの、晴れた昼間の陽気は条件なく眠気を誘うほどに心地いい。今日も空は青く、柔らかく温かな太陽の光がさんさんと世界を照らしていた。
 そんなある日の昼休み、ふと訪れた学園の中庭で私はとある出会いを果たす。
 中庭の片隅の、芝生や草がまばらに息づく一角。花壇のように人の手が加えられた様子もないその場所に、ひょこりと顔を出していたのは可愛らしい春の子の姿。

「つくしだ……!」

 スギナの胞子茎として春先に姿を見せるそれは、私の住んでいた世界、日本ではなじみ深い植物だった。懐かしさと嬉しさに、思わずその傍にしゃがみこんで手を伸ばす。まだ固く閉ざされたその帽子の形に、今が食べ頃だなぁなんて考えてしまうのはきっと日本人の性だろう。
 周囲を見回すと、この場所だけでも結構な数のつくしが生えているのが確認できた。
 下処理に手間がかかるし調味料に関する不足も気になるけれど、久しぶりに見たそれを食べたいという欲が止まらない。ここに自生しているもののようであるし、きっと採取自体を咎められることはないだろう。調理も食堂の厨房を借りればいい。
 そうと決まれば、今日の放課後にでもさっそく取り掛かろう。うきうきと胸を弾ませながら、指先でつくしを軽く弾いた。

「──おや、こんなところで何をなさっているんです?」

 そんな風に、春の陽気も相まって思考回路がいつも以上にふわふわとしていた私は、その声が落とされる瞬間まで背後に迫っていたそのひとの気配に気づくことも出来なかった。
 突然のことにびくりと肩が揺れて、心臓がどっくんと派手に鳴る。悲鳴が口から飛び出さなかったことだけが不幸中の幸いだろうか。慌てて振り向いた先には、私を見下ろすひとりの男子生徒の姿。見慣れたその姿に、私は驚きに震える声で言葉を吐いた。

「びっっっくりした……突然背後に立つの止めてくださいジェイド先輩……」
「これは失礼しました。貴女が随分熱心に何かを眺めていらっしゃったので、つい」

 本当に『つい』なのかそれとも確信犯なのかの判別がつきにくいところが、食えない彼らしい。まあきっと、八割ぐらいの確率で後者なのだろうけれど。

「ところで、一体何を見つめていらっしゃるんです? そこには雑草しか生えていないようにお見受けしますが」
「ああ、見ていたのはこれですね」

 私の隣にしゃがみこみ、彼が私の足元を見やる。そんな彼に私がつくしを指差せば、不思議そうに小首を傾げる彼。やはりこちらではあまり馴染みのない存在のようだ。

「それは……確かシダ植物の胞子茎でしたか。それがどうされたのです?」
「こっちではそのままその認識なんですね。これ、実は私のいた世界では『つくし』と呼ばれて、食べられる野草だったんですよ」
「食べられるのですか?」

 ぱちりと目を丸くして反芻した彼に、そうですよと私は頷きを返す。
 興味深そうにつくしへ視線を落とした彼は、そういえば確か『山を愛する会』とかいう少し不思議な同好会に所属していたはず。テラリウムが趣味とも言っていたし、やはり野草といった存在には心が惹かれるのかもしれない。

「……今日の放課後、これを調理して食べてみようかなと考えていたんです」

 私がこそりと続けたその言葉に、彼が瞳をこちらへ向ける。普段は穏やかに、そしてどこか冷徹な色さえ孕んで世界を見つめているその瞳が、今はきらきらと新しい世界に喜ぶ子供のそれのように輝いていて。あまりの微笑ましさに思わず笑みがこぼれた。

「少し手間がかかるんですが、一緒にどうですか?」

 是非と笑う彼の表情に、愛おしさまで溢れてしまう。
 いつも待ち遠しい放課後が、今日はそれに何重にも輪をかけて私の心を逸らせた。

  ***

「それじゃあ、まずは収穫に勤しみましょう!」

 そうして訪れた放課後、再び中庭に集合した私たちはあの片隅で制服の袖を捲った。夕方の近づく空は色が薄まり、きっともう三十分もすればそれはきれいな茜色に染まるのだろう。

「収穫の時に気をつけることはありますか?」
「そうですね……ああ、つくしの選び方ですが、この傘の部分がしっかりと閉じているものが美味しくて食べ頃なので、それを選んでいただければ。開いて胞子が出てしまっているのは避けてください」
「分かりました」

 どこかうきうきとした様子で収穫に取り掛かり始めた彼を眺め、私もつくしへ手を伸ばす。鼻孔をつく新鮮な草と土の臭いが、とても心地よかった。

 ふたり無心で収穫し、気付けば私の両手で一掴みと半分ほどのつくしが籠の中に収まっていた。あまり多すぎても処理が大変であるし、これぐらいでいいだろう。ジェイド先輩に声をかけて、籠を手に食堂へ向かう。事前に許可は取っていたため、ゴーストさんたちに軽く声をかけると快く厨房を貸し出してくれた。
 厨房の奥の机につくしの籠と新聞紙を広げ、彼と並んでその前に腰かける。

「まずは下準備です。結構手間がかかりますが、頑張りましょう」
「はい」
「つくしの茎の部分に巻き付いているこれ、ハカマと呼ばれるんですが、この部分は調理しても美味しくならないのでこれをまず剥き取ります。灰汁で手が汚れるので、ビニール手袋をしてください」

 ビニール手袋を着用してもらい、まずは私が実演して彼に見せる。とはいえそんなに複雑な作業でもないので、彼もすぐさまコツを掴んでかなりの手際でハカマ取りを行い始めた。
 誰かと並んでつくしの調理なんて、いつぶりだろうか。小学生の頃、祖父母と一緒にやったのが最後かもしれない。よく退屈だ面倒だと言われるこのハカマ取りの作業が、案外私は嫌いではなかった。こうやって誰かが隣にいてくれるなら、さらに。

「楽しそうですね」
「あ、……にやついてました? すみません、まさかジェイド先輩とつくしのハカマ取りをすることになるなんて思わなくて、つい楽しくなってしまって」
「ふふ。僕も楽しいですよ。こうやって下処理に手間をかけるのも悪くない」

 ふわふわと、穏やかな空気がふたりを包む。春の太陽はもう西の空に沈んでしまったのに、なんだか春の陽だまりにでもいるかのようだった。

 ハカマを取ったつくしを沸騰したお湯でさっと湯がき、灰汁を取るために冷水に一時間ほど浸す。その待ち時間で、彼に最近の山登りでの話やテラリウムの話をしてもらった。やはり春になると沢山の草木が芽吹き動物も活発になるため、山が賑わうそうだ。
 今度の山登りに一緒に行きませんかという彼の提案にも、すぐさまイエスと頷いた。山登りも幼い頃以来だから少し体力が不安だとこぼした私に、それならば初心者向けの穏やかで緩やかな山を探しておきますよと彼が笑ってくれる。本当に、山登りやテラリウムのことになると、彼はいつも以上に優しく饒舌になる。学園にいる時やモストロ・ラウンジにいる時の彼とはまた違うその姿に、私の表情も思わず緩んでしまう。かわいいなぁ、なんて言葉は流石に失礼なので、そっと喉元に押しとどめて飲み込んだ。

 はてさて、そんなこんなでようやく終わったつくしの下処理。
 醤油やみりん、めんつゆといった調味料がこの世界にはないので、今回は簡単な塩バター炒めと卵焼きにすることにした。加えて、途中で見つけてこっそり収穫していたノビルとヨモギと一緒にてんぷらも。
 つくしを大体二等分にして、まずは半分を塩バター炒めにする。
 塩バター炒めは、温めたフライパンにバターを溶かしてそこでつくしを塩で炒めるだけ。バターの焦げる香りとつくしの香りが相まって、とても食欲をそそる。
 そして出来た塩バター炒めの半分を、卵焼きの中へ。溶かした卵をいつも通り巻く過程でつくしを挟み込む。私の巻き方が下手なせいで少し形が崩れたが、まあそれもご愛嬌ということで許してもらおう。
 次に、つくしとノビルとヨモギの天ぷら。用意しておいた薄力粉の天ぷら衣に下処理を済ませたそれらを付けて、熱した油の中へ。衣がさくさくになってきたところで油から引き揚げ、網の上で油を切る。それで完成。

「一先ずこんな感じですかね」
「素晴らしい。まさかシダの胞子茎、いえ、つくしがこんなにも様々な料理に使えるだなんて……」
「これで醤油やみりんがあればもっと色々作れるんですけどね。佃煮とか」
「そちらも興味深いですね……」
「あはは、いっそ今度醤油の手作りにでも挑戦してみましょうか」

 なんて、流石に知識もない私には無理だけれど。でもまあ、他の調味料から何とか似たような物を作り出すことぐらいは出来るのかもしれない。彼が喜んでくれるなら、少し頑張ってみるのも悪くはないかな、なんて、そんなことをこっそりと考えた。

「とりあえず、折角なので温かいうちに食べてしまいましょう」
「それもそうですね」

 真っ白なお皿に盛りつけられた春を、ふたり囲んで笑い合う。

「それじゃあ、今回は私の住んでいた国の食事の作法に倣って頂きましょうか」

 胸の前で両手を合わせた私の真似をして、彼もどこかぎこちなく手を合わせた。
 それを確認して、私は息を吸う。

「いただきます」

 さあ、春を頂こう。



2020/4/3

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