君さえ


きみはやさしいひと(アズール)


ワードパレット様より
10番:迷路《戸惑い/薄闇/見つけた》


「何をしていらっしゃるんですか、こんなところで」

 頭上から降り注いだ声に、私はぱっと顔を上げて視界にそのひとの姿を映した。
 開いた廊下の窓から、窓の真下で地面にぺたりと座り込んでいた私を見下ろす彼の表情は怪訝の色を深く滲ませている。いつの間にか日の沈んでいた世界の薄闇に慣れた網膜では、廊下から漏れる光すら眩しくて。それを背後に掲げた彼の姿まで、私にはまるで空に輝く太陽のようだった。細めた瞳の向こうに、きらきらと銀色が光を反射して輝いている。

「……見つかっちゃいましたか」
「見つけたくて見つけた訳ではありませんよ。たまたまです」

 へらりと笑って彼の言葉に答える。たまたまだなんて彼は言うけれど、廊下からこの場所は死角になっているから、この場所をただ歩いていただけなら彼が私に気付くはずなどない。きっとどこかの窓から私の姿を見つけて、わざわざ様子を見に来てくれたのだろう。
 無償の優しさなんて言葉など似合わない彼がどうも最近私に優しいような気がするのは、ただの私の気のせいだろうか。気のせいじゃなければいい、なんて願う我儘の声はそっと飲み込んだ。

「それで、こんなところでこんな時間に一人で何をしているんです。グリムさんは?」
「グリムはエースと一緒にバスケ部に遊びに行ってますよ。……今は、ひとりになりたくて」

 言い終えてようやく、突き放すような口調になってしまっただろうかと微かな後悔をした。
 けれどまあ、彼のことだ。きっとそんなことは気にも留めず、興味もないような表情で話を聞いていることだろう。そう思いながら再び視線を彼へ向けた。

 そうして、私は心に戸惑いを飼うことになる。

 どこか不愉快そうな表情。それが──傷ついたような、とも表現できそうな色を孕んでいるように見えて。どくんと心臓が変に喚いた。酸素が張り付いた喉では言葉を紡ぐことなどできない。

「……僕は、今からジェイドの淹れる紅茶でお茶にします」

 固まり見つめ合う二人の間にほろりと落とされたのは、突飛な内容でもある彼のそんな言葉。それにぱちりと目を瞬かせた私の世界で、どこか素っ気ない表情の彼が微笑んでいるように見えたのは何故だろう。

「ティーカップにもテーブルにも、まあ、一人分の余裕ぐらいはあるでしょうね」

 ひとりで薄闇の中膝を抱えていた私に差し出されたその言葉が、どうしようもなく優しくて、温かくて。ここにいていいのだと言ってくれているようで。ひとりで全てを抱えるなと言ってくれているようで。視界がじわりと滲む。

「……元気づけてくれるんですか?」
「それなりの対価は頂きますがね」

 そんなことを言って、最初のあの時以降、彼が私に明確な対価を要求し奪って行ったことなどないのだけれど。彼のその分かり辛くて分かりやすい優しさの形にくすりと笑い、私は立ち上がる。もう、窓の向こうからこぼれる光をただ眩しいとは感じなかった。


「アズール先輩、なんだかんだ優しいですよね。後輩思いと言うか。出会ってすぐの頃は利益だけが全てって感じでしたけど」

 廊下をふたり、並んで歩く。ふと転がした私の言葉に、隣の彼は眼鏡の縁に触れてその位置を直しながら唇を震わせた。

「──僕にも、損得なんて関係なく手に入れたいと思うものぐらいありますよ」

 その言葉の意味を、その微笑みの意味を私が知る日も、そう遠くはない。



2020/4/8

- 21 -

*前次#


ページ: