君さえ


つまりはそれが“愛”なのさ(ジェイド)


「──約束ですよ」

 今日もまた、私は彼の言葉に瞳を瞬かせる。
 彼の名前はジェイド・リーチ。私にとってこの学園での先輩であり、そして想いを寄せた恋人でもあるひと。高い背丈に人間離れした──事実人間ではないのだが──美貌を持ち、落ち着いた声で穏やかに微笑む姿が印象的な浅瀬色の麗人。
 そんな彼はオクタヴィネル寮と呼ばれる寮に所属し、副寮長として寮長の右腕となり、他人との『契約』を基に様々な商売を行っているなかなかにあくどいひとだったりする。
 かく言う私もそんな彼らとの契約に翻弄されてしまった記憶があるのだが……まあ、それは一先ず脇に置いておこう。今回の論点はそこではなく、彼がいつも私に与えてくれる言葉たちについてだから。
 2人の間に何か約束を交わしたり決め事を作ったりした時に、彼はいつも冒頭のその言葉を紡ぐ。約束ですよ、と。契約書を持ち出すことも、指切りをすることもなく、ただただその言葉ひとつで彼は私との契りを完成させる。
 口約束だなんて、彼は信じるタイプではないはずなのに。そんな儚く曖昧なものに頼る質ではないはずなのに。どうしてか、彼はいつもそうやって、優しい約束で私を縛る。

「……先輩は、どうして私と『約束』をしてくれるんですか?」

 そんな疑問が降り積もって、山になり、そしてついにはその問いかけが私の舌先で跳ねて世界へと躍り出た。その声が言葉を連れて辿り着いた先は、勿論私の目の前にいる愛しい愛しい彼の下。私の声を受け取った彼は、その突飛な内容にぱちりとその瞳を丸く見開いた。けれど彼の表情はすぐさまゆるりと微笑みを浮かべて、少しの困り顔と一緒に私を優しく見つめてくれるのだ。

「どうされたのですか、突然」
「だってジェイド先輩、形のない口約束なんて絶対信じないくせに、いつも私との約束はそればっかりじゃないですか。確かに言質ってものも存在しますけど、先輩はそれを録音してる訳でもないみたいですし。……なんでだろうなぁって、思って」

 別に不満がある訳でも、不安がある訳でもない。それはただただ純粋な疑問でしかなくて、彼の在り方に私が口を出す権利も理由もありはしない。そこにたとえ確かな意味がなくたって、それならそれで私は別に構わないのだ。

「私の嘘を問い詰める時もそう。嘘を暴きたいなら先輩のユニーク魔法を使えば一瞬なのに、いつも私が『本当だ』って言ったら、ちゃんと色々なことを考慮した上でそれを信じてくれる。非合理的すぎて先輩らしくないなって、私は思ったりした」

 ぽつりぽつりと雨粒のようにこぼれる私の言葉にはきっと取り留めなんてなくて、彼をただただ困らせているだけなのだろう。それでも、私はそこに意味があるのなら知りたかった。彼のその言動と、優しさの意味を。

「──ああ、なるほど。そういうことですか」

 どれだけまとまりがないことを私が言っても、彼はちゃんとこうして全てを噛み砕いてそして飲み込んでくれる。頭ごなしに否定なんて、絶対にしない。彼のそんなところが、また私の心を恋に引きずり落としては、逃がしはしないぞときつく抱きしめてくるのだ。

「そうですね。貴女の言う通り、確かに契約書という形に残した方が約束は固くなり、ユニーク魔法を使った方が真実は正確に分かります」

 彼の瞳が、その唇が、ゆるりと三日月のように弧を描く。いつもの穏やかなだけの其れではない、酷く優しくて、温かな感情に満ちた彼の微笑み。
 私だけに見せてくれる、彼の表情。

「──けれど、それを恋人である貴女に適用するのは、些か情趣に欠けるでしょう?」

 彼の言葉に、今度は私が目を丸くする番だった。
 くすくすと笑いながら、彼は私を見つめて言葉を紡ぐ。まるで幼い子供に物語を聞かせる親のように優しく、吟遊詩人のように穏やかに、そして、神の下に愛を誓う新郎のように慈しみ深く。2色の双眸はゆるりと柔らかに笑みを浮かべていた。

「これでも僕は、貴女とちゃんと向き合って、貴女を心から愛して、慈しんで、愛おしんで、そうして『恋人同士』で在りたいと願っているんですよ」

 じわり、じわりと彼の言葉が私の心に降り注ぐ。胸が震えたのは、心がさざめいたのは、視界が揺れたのは、どうしようもないほどの歓喜が私を包み込んだから。

「だから僕は貴女と言葉で約束を結び、貴女の言葉を信じている。何もおかしいことはありません。互いに信じ、言葉に耳を傾ける。ユニーク魔法も契約書も、そこには必要ない。恋人同士とは、そういうものでしょう?」

 自分を制していないと、今にも彼の胸に飛び込んでしまいそうだった。

「それに、僕たちの間に必要な契約書は、生涯においてたった一枚だけですよ」

 その言葉の意味を理解した瞬間、私の瞳からはぼろぼろと涙が溢れて、それと一緒にこぼれ落ちる感情のまま、私は自制など忘れて彼の胸に飛び込んだ。私を受け止めてくれる彼の胸と、抱きしめてくれる彼の腕。心も、身体も、もう全部。私の全部は彼の優しい愛に包まれてしまった。ああ、もう、本当にどうしようもない。

「ジェイド先輩、好きです。私とずっと一緒にいてくれますか?」
「僕も貴女を愛しています。だから、僕と未来を歩んでください」

 私達の生涯でたった1枚の契約書に私と彼の名前が並ぶ日は、そう遠くはない未来。


2020/4/12

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