これをハッピーエンドと呼ばずして(ジェイド/転生現パロ/微仄暗)
「──お嬢さん、あんた前世で誰かに殺されたね?」
しわがれた老婆の声が、街を行く私の足を引き留めた。その声を辿って視線を向けた先には、街路の片隅にひっそりと開かれた小さな露店。客を座らせる小さな椅子に、机の上には大きな水晶玉がひとつだけのそれは、どうやら路上占いの類らしい。黒いローブを頭から被った老婆の瞳が、布の向こうからじっとりと私を見つめていた。
私自身は、正直占いも前世もあまり信じない質だ。けれど、丁度今現在することも無く手持無沙汰であったこと、そして老婆の言葉に心が惹かれたことなどが重なって、私はふらふらと吸い寄せられるようにその露店へと歩み寄った。
それににこりと笑みを浮かべた老婆は、私を目の前の小さな椅子へと誘う。
「誰かに殺されたって、どういうこと?」
「そのままの意味さ。前世のあんたは事故死でも病死でも老衰でもなく、誰かの手で殺された。……そうだねぇ、ちょっと顔を良く見せてごらん」
どこか愉快そうな老婆の声は、不謹慎でもある言葉をすらすらと紡ぎあげる。けれど私がその内容に抱いた感情は、『おもしろい』の一点だけ。不謹慎は私もだった。
老婆に言われた通り、顔を彼女へ真っ直ぐに向ける。すると彼女の瞳がじぃと私を見透かすように見つめてきた。遠く、遠く、私のもっと深い部分を覗き見るように。
「──……海、」
二度、三度と瞬きを繰り返して、老婆はふとその二音を口にした。
「青い、海だ。海の底に、あんたは連れて行かれたようだね」
どうやら前世の私は、彼女曰く海に沈められ溺死したようだ。彼女の占いはそれだけに終わらず、さらなる私の過去を暴いては白日の下に晒していく。私さえ知らない、前世の私の死を。
「それも、男の手によって。憎しみや嫌悪によるものじゃぁないね。あんたはその男に深く深く愛されていたようだ」
「海に沈められてしまうぐらいに?」
「ああ」
なるほど、それは随分ぞっとしない話だ。殺したいほどに愛しているだなんて、殺されるほどに愛されるだなんて、前世の私は一体その男に何をしたのやら。想像はするものの、一欠けらもその詳細なんて私のお粗末な頭には思い浮かばない。
「あんた、身体のどこかに生まれつきの痣はあるかい?」
「え、……うん、あるけど」
突然の老婆の問いかけは、私にとってはあまりにも唐突なもので思わず反応が遅れてしまう。けれど、どうやらそれまでの話とこの問いには関係があったようで、そうかそうかと老婆はさらに笑みを深めて私を見つめていた。
「気をつけると良い。生まれつき身体に存在する痣は、前世で『来世のあなたがどんな姿に生まれ変わっていてもその痣を頼りに迎えに行く』と恋人につけられたものと言われているのさ。その男があんたの恋人だったかは分からんがね」
老婆の静かな語りに、ぞわりと背筋が淡く波立つ。咄嗟に指先が伸びたのは、件の痣が存在する左胸。心臓の真上のあたり。私が生を受けたその瞬間からずっと、ずっと、私と共に在るそれの根付く場所。
揺れ動く感情に首を傾げて、けれども私はすぐさま笑みを浮かべた。
「……ご心配ありがとう、おばあさん。でも私は大丈夫よ」
どこかで彼が私を呼んでいる声が聞こえた。優しい、愛しい、大好きな彼の声だ。
「私は今、とっても幸せだから」
机の上に占い代を置いて、私は椅子から立ち上がる。老婆に暇を告げて振り返れば、丁度露店のすぐ目の前の道に彼が立っていた。その姿を見て、私は彼に歩み寄る。
「どこに行っていたんですか。探しましたよ」
「ごめんごめん、ジェイドがテラリウム用品にご執心だったから暇になって」
いつもの困り顔で小言を挟む彼にけらけらと笑って、私は彼の手を握った。大きな手のひらは私の手のひらを包んでもさらに余りがある程で、もう慣れたはずのその感覚にも、またどうしようもない愛おしさが込み上げる。
仕方ないなと言いたげな表情を浮かべて、彼は私の手を取り歩き始めた。歩幅は私に合わせて、酷くゆっくりと。
「それで、何をなさっていたんです?」
「占いのおばあさんに前世を占ってもらっていたの。中々に面白かったよ」
「ほう、前世ですか」
興味ありげな彼に笑って、私は先ほどあの老婆に聞いた話をなぞるように口にする。
私は前世で私を愛した男によって海に沈められ、そうして殺されたこと。胸元にある痣は、もしかするとその男が今世でも私を見つけるためにつけたものかもしれないということ。
「この痣は、やっぱりその誰かに付けられたものなのかな」
左手の指先で、私は心臓の真上辺りをなぞった。
そこには生まれつき存在する痣がある。
「『魚の鱗』みたいな、この痣」
視線を持ち上げて、背の高い彼の表情を見やる。左右で色の違う不思議な瞳が、優しく私を見下ろしていた。そこに滲む愛情が、狂おしいほどの愛執が、私を捕まえては離さない。手放すなんて、絶対に許さない。だって、
「──……ちゃんと、迎えに来てくれたんだね」
私が笑えば、彼も笑う。世界はこれを、狂気と呼ぶのだろうか。異常だと蔑むのだろうか。好きに言えばいい。誰が何と言おうと、これは正しく私たちにとっての『愛』なのだから。
「勿論。僕は貴女を心から愛していますので」
手を繋いで、私たちは2人、両の脚で地面を踏みしめ並んで歩く。今までも、これからも、ずっと、ずっと。私たちは愛し合って生きていく。きっと来世も、その先も。
──さて、今世の彼は一体私にどんな『痣』を与えてくれるのだろうか。
2020/4/12
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