君さえ


いつかのゆりかご(ジェイド)


「──この世界にも桜があるんですね」

 青い空に、薄桃色が舞っていた。風が柔く吹く度に、ひらひらと、はらはらと。見上げたそのコントラストは網膜に眩しくて、私はそっと瞳を細めた。

「ええ。名前さんのいらっしゃった場所でも桜は有名だったのですか?」

 隣に並び歩いていた彼、ジェイド先輩が私にそう問いかける。見上げた視線は首に優しくない角度だが、それももう随分慣れてきた。左右非対称な色彩が優しく私を見下ろしている。

「はい、私の住んでいた国では特に愛されてました。毎年桜の時期になると、桜に関連させた商品が並んだり、お花見イベントがあちこちで行われたり。一大行事でしたね」
「それはそれは……僕も陸に上がって初めて桜を見ましたが、この花は本当に美しいですね。ずっと見ていたいと思えるほどに」

 彼の瞳がゆらりと揺れて、そこに薄桃色を映す。青と、浅瀬色と、黄金色。彼とその世界を織り成す全ての色彩が、私の心臓をどうしようもなく締め付ける。

「分かります。……ああ、そうだ。こっちにもあるんですかね、桜についての都市伝説」
「都市伝説?」
「はい、――桜の樹の下には、死体が埋まっている。というものです」

 ぱちりぱちりと彼の瞳が瞬いた。きっと思いもよらなかった私の言葉に驚いたのだろう。その黄金色を揺らしたのは自分だという事実に、どうしてか口元が緩む。それを必死に堪えて、私は言葉を続けた。

「誰が言い出したのか詳しいことは私も知りませんけど、私の住んでいた世界では結構有名なお話でしたね」
「……何故桜の樹の下に死体を埋めるのです?」
「それも分かりませんね。……ただ、」

 視線を彼から桜へ移す。まるで世界を包む春を形にしたような、優しい薄桃の色彩は、毎年毎年人々の目を楽しませ続ける。その身が枯れ落ちる、いつかの日まで。

「桜の樹の下で眠れるって、幸せなことですよね」

 その春の下に眠ることが出来るというのは、もしかするとこの上なく幸福なことなのかもしれない。今すぐ死にたいだなんて思わないけれど、いつか自分が死ぬその時には、桜の樹の下に埋められるのも悪くはない。私はそう思っていた。

「そうですね、……確かにそれも素敵だと思います」

 優しい肯定の言葉に、私は再び彼を瞳に映した。浅瀬色が春風にくすぐられ、ふわふわと僅かに揺れ踊っていた。


「けれど、貴女にはもっと相応しい場所があると思いますよ?」


 黄金色がゆるりと弧を描いた。愉快そうに、楽しそうに、まるで、……まるで、ずっとずっと欲しかった玩具を手に入れた時の無邪気な子供のように。ようやく餌を手に入れた空腹の獣のように。何年も何年も待ち続けた生贄を捕まえた、かみさまのように。


「……それは、何処、ですか?」


 聞いてはいけないと頭の奥に警鐘が鳴っていた。けれど、聞かなくてはいけないと心臓が煩く喚いていた。結局唇からはその疑問が飛び出して、私の世界は、意識は浅瀬と黄金の色に全てを奪われる。


「──海の底、とか」



2020/3/24

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