君さえ


『勘違い』にももう遅い(ジェイド/男装監督生)


 5月10日はメイドの日と呼ばれているらしい。何でも、 5月を英語読みした『メイ』に、10を『ド』と読むとんでもない語呂合わせがその起源だという。いやはや、一体どこの誰がそんなものを生み出してしまったのやら。隠す気もない煩悩が溢れすぎていて片腹が痛い。

 ──まあ、そんなメイドの日に託けてメイド服を着せられているこの状況が今一番、片腹どころか頭が痛いものであるのだけれど。

「はー……どうするかなぁこれ……」

 エースとデュース、そしてグリムの悪戯により、今日の日付が変わる時までメイド服姿になってしまうという、あまりにも恐ろしすぎる上に努力の方向を完全に間違え切っている魔法をかけられてしまったのが、確かもう二時間ほど前のこと。授業が全て終わった放課後に犯行に及んだのが、彼らの最後の良心だったのだろうか。いや、多分違うな。どうせ昼休みにでも突発的に思いついて、放課後になってようやく魔法が完成したのだろう。俺にはお見通しだ。
 全く、男のメイド服姿なんて見て一体誰が喜ぶというのだろうか。まあ、似合わないところを指差して笑って存分に楽しむことが目的だったのだろうけれど。
だがしかし、残念なことに彼らのそんな思惑も外れて、俺のメイド服姿は存外見られないものでもないものに落ち着いてしまったようだ。「うわ、何だお前。意外と似合うな」「は〜、面白くね〜」とか文句を言ってきたあいつらはとりあえず存分に締め上げておいた。メイド服姿で。ほら、ご奉仕だぞ喜べよ。そう言ってジャーマンスープレックスをかませば奴らは随分と嬉しそうに悲鳴を上げていた。はは、はしゃぐなはしゃぐな。

 まあそんなこんながありつつ、俺は周囲からの視線を避けながらもなんとかオンボロ寮に辿り着くことが出来て今に至るのだが。
 俺からの報復が怖かったのだろう、グリムはエースたちと一緒にどこかへ行ってしまった。多分あの様子ではハーツラビュルにでもお世話になって今夜は戻ってこないだろう。またリドル先輩にお詫びの菓子折りでも持って行かなければ。

 頭を掻こうとした指先に触れた布の感覚に、そう言えばご丁寧にヘッドドレスまで着けられてしまったのだと思い出す。ふと何となく立ち上がって姿見の前に立てば、そこには変にクオリティの高いメイド服を身に纏った自分の姿が映りこんでいた。髪こそ短く切りそろえられているものの、線の細い体に、その衣服はそれほど違和感を生んでいない。
 似合うとまでは言えなくとも、ネタにして笑えるほどのゲテモノでもない。
 まあ、それもそうだろう。──俺は実際のところ女でしかないのだから。男よりもメイド服を着ることによる違和感が少ないのはまあ、特段可笑しなことでもない。
 生来のがさつさや男らしさによって、一緒に寝起きしているグリムにまで気づかれていないこの真実。もしかして自分は本当に男だったのかと疑ったことも一度や二度ではない。が、やはりこうして体格的な事実を目の当たりにすると、理解せざるを得ない。自分は、何をどうしたって『女』であるという現実を。

 小さく息を吐いて、鏡に映り込む自分の姿から視線を外す。
 その直後、オンボロ寮の玄関ドアが誰かに叩かれる音が聞こえた。時刻は十九時を過ぎた中途半端な時間。一体誰がやって来たのだろう。律義にドアを叩くところからして、グリムが帰ってきたという訳でもなさそうだ。
 この姿で来客の対応というのも少し気が重いが、もし危急の連絡などであったら困る。はいはいと声をあげながら、俺は玄関へ急いだ。

「はーい、どちら様です……か……?」

 相手が誰であるかも確かめず、俺はドア押し開けて、……そして、そこに立っていたそのひとの姿に目を丸くした。
 高い背丈に、こちらを見下ろす特徴的なオッドアイ。瓜二つな彼の片割れとの見分けも、今となってはもう瞬時に出来てしまう。

「あれ、ジェイド先輩……?」

 俺の姿をその虹彩に映して固まっている彼の名前を呼んでみる。どうして彼まで目を丸く見開いているのだろう、なんて、そんな疑問への答えもすぐさま自分の中に落ちてきた。そう言えば今、自分はメイド服を着ているのだった。

「……その姿は?」
「あ〜、気になりますよねぇそりゃ。エースたちに悪戯されちゃって、日付が変わるまでこのままなんですよ、俺。どうぞ哀れんでください」

 苦笑いを通り越して乾いた笑いをこぼしながら、俺はかくかくしかじかと彼に事情を説明する。まあ、変に哀れまれるよりはいっそ笑ってくれた方が俺にとても有難いのだけれど。
 けれど、俺の予想に反して彼は笑うでもなく哀れむでもなく、ただただ静かに俺の姿を見つめてくるだけ。一体どうしたというのだろう。無言かつ真顔で注がれる彼からの注視に、俺は次第に居心地が悪くなっていく。
 見下ろされる威圧感にややたじろぎながらも、俺はせめてこの場を何とか和ませなければいけないという謎の使命感に駆られて口を開いた。

「……お、おかえりなさいませ、ご主人様……?」

 まあ、確実にその発言は誤りでしかなかったのだけれど。
 ぴしりと世界が固まる音を、俺は確かに聞いてしまった。あ、これだめなやつだ。絞め殺されてジ・エンドルートだ。俺知ってる。
 迫りくる自らの死の未来に諦めの笑みを浮かべて、俺は彼から下される沙汰を待つ。

「──……ふ、っふふ、」

 だがしかし、俺の鼓膜に降り注いだのは死刑宣告ではなく、堪えきれないとでも言いたげにこぼされた彼の笑い声。驚きに視線を持ち上げれば、そこには口元を手のひらで覆い隠しながら必死に笑いを堪えようとするジェイド先輩の姿だけがあった。
 一体何が起きているのだろうか。ぽかんと首を傾げた俺の姿に気付いたらしい彼が、笑いを噛み殺しながら言葉を与えてくれる。

「、すみません、あまりにも貴方が可愛らしかったものでつい」
「……口説くのは女の子だけにしておいてもらえますか?」

 咄嗟に俺の口から飛び出していったのは、可愛げの欠片もない照れ隠しの言葉。残念ながらいくら見た目や言動が男らしくとも、心にはまだ乙女を飼ってしまっている私なのだ。そこに大した意味がないことを知っていても、ただの冗談だと知っていても、こんな美丈夫にそんな言葉を言われてしまえば心臓が変に跳ねてしまうのも仕方ないだろう。
 おや手厳しい、なんてくすくすと笑っている彼は、相変わらず何を考えているのかよく分からない。

「僕は心からそう思っているんですけれどね……」
「やーめーてーくーだーさい! これだからイケメンは。冗談も程々にしてくださいよ! それで、一体どうしたんですか今日は」

 俺の言葉に、彼はすぐさま本題に戻ってくれた。この代わり身の速さからしても、やはり先程までのやり取りは冗談。いや、疑うまでもないことだったのだけれど。
 どうやら彼は、うちの担任であるクルーウェル先生からのおつかいで俺に教材を届けに来てくれたらしい。それは純粋にありがたいし申し訳ない。彼から教材を受け取って、俺はありがとうございますと頭を下げた。

「いえいえ、お気になさらず。貴方の可愛らしい姿も見られましたし」
「ま〜だ言ってるよ……そんなこと言って、俺が勘違いしたらどうするんですか? その時はちゃんと責任取って下さいよ〜?」

 茶化すように俺は笑って、彼の表情を見上げた。
 そして、息を呑む。

「──ええ、それは勿論」
 
 ゆるりと弧を描いたふたつの色に、そこに宿った光の揺らめきに、どうしてか背筋がぞわりと震えた。その理由を、俺はまだ知らない。ただ、ただ、どうしてかその色彩から視線が外せなくなって、心臓が煩く跳ねた。
 こちらへ伸ばされた彼の手から逃げることも、思考回路がショートしてしまった俺には出来ない。するりと頬を滑っていった彼の指先が、撫でるように俺の横髪を掬い取って、そうして優しく耳にかけた。
 彼の指先が俺から離れていった刹那、ぶわりと頬に熱が集まる。

「……是非してください、『勘違い』」

 彼に触れられた頬が、耳が、どうしようもなく熱くてむず痒い。自らの手のひらで頬を抑えたけれど、手のひらにまでその熱が及んでいたせいで、身体は冷えるどころか火照りを増していく一方。まるで沸騰しているかのようだった。

「それでは良い夜を、愛らしいメイドさん」

 そんな俺の姿にくすりと笑みを残して、彼は踵を返し颯爽と去って行った。
 残された俺はひとり、メイド服が汚れてしまうことも忘れて玄関先に座り込む。未だに身体中が熱くて、心臓が煩くて、全部全部が今にも壊れてしまいそうだった。

「……なんなんだよ。わけわかんねぇ」

 呟いたせめてもの悪態は、誰に届くこともなく空気に掻き消える。
 まあ、俺が全てを理解する日も、実はそう遠くはない未来のことだったのだけれど。
 それはまた別の話。


2020/5/10

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