君さえ


毒を喰らわば何とやら(カリム)


「──私が用意した今日のそのティーカップ、実は毒が塗られているんですよって言ったら、どうしますか?」

 なんでもない日の昼下がり。こうして中庭で彼と2人、ジャミル先輩の淹れてくれた紅茶を頂くようになって、もうどれぐらいの時間が過ぎただろう。確か初めは秋の終わりで、そして今は春の始まりだから、大体4、5カ月といったところか。もう随分と習慣付いてしまったものだなと、まだ淡い春の日差しの中に彼を見つめる。

 柘榴石をそこにはめ込んだような瞳が丸く見開いていく様子を視界の中に見て、私はゆるりと笑みを浮かべた。

 彼の従者で側近であるジャミル先輩の姿は、今ここにはない。この紅茶とお茶菓子をいつものように甲斐甲斐しく用意してくれたあと、先生からの呼び出しに駆けて行ってしまった。何でもできるが故に誰からも頼られ振り回されるとは、なんとも理不尽な世の中だ。

 そうして残された私はふと、彼とこうやって二人きりになる機会はなんだかんだといってあまりなかったなと、そんなことを思い返した。そうしてふと私の唇から飛び出したのが、冒頭の言葉。もちろんそれは冗談で、ただただ彼がそれに対してどんな反応を見せてくれるのかが気になっただけ。けれども口にしてようやく、少し不謹慎な言葉だっただろうかと心に今更な躊躇が転がった。
 とはいえ声にした言葉を「やっぱりなし」と回収する方法などこの世界には存在しないから、私に出来るのはただ、彼が私の言葉を受けたうえで、どんな言動を返してくれるのかを待つだけ。
 丸く見開かれた柘榴石は今もまだ真っ直ぐに私を見つめて、そして紅茶の琥珀に満たされたティーカップは、彼の手にその柄を持たれて空中で中途半端に──浮かんでいるだけ、だったはずなのに。

「へえ、そうなのか」

 けろりと返された言葉に、その直後ティーカップに触れた彼の唇。私の位置からは琥珀色の増減など分からないけれど、ごくりとその喉が上下したことから、彼が確かにその紅茶を飲み込んだということを理解させられた。
 その一連の流れを見せつけられた私は、瞳を丸くしてただ言葉もなく彼を見つめるだけ。

「うん、今日もジャミルの淹れてくれた茶は美味いな!」

 真夏の太陽のような輝かしさで笑った彼は、空になったティーカップを空に掲げた。
 ……まあ、確かに私の先の言葉など隙ばかりで疑う余地もない戯言だったけれど、まさかそこまで気にもされないとは。たとえもし本当に私がティーカップに毒を塗っていたとしても、それを使って紅茶を淹れたジャミル先輩がそれに気づかないはずがないという、彼への厚い信頼の証だろうか。ああ、それなら頷ける。
 心の中で様々に言葉を吐きながら、私も目の前の紅茶に口を付けようとティーカップに手を伸ばした。指先で取っ手の部分を掬い上げて、それを口元へ。

「──なあ。その紅茶、実は毒が入ってるって言ったらどうする?」

 彼の言葉に、ぴたりと私は手を止めて目を丸く見開いた。視界の先でゆるりと弧を描いた柘榴石と、視界の隅でゆらりと揺れた琥珀色。

「はあ、そうなんですね」

 それだけ呟いて、そのまま私はティーカップに口を付け琥珀色の液体で口の中を満たす。
 ああ、今日もジャミル先輩の淹れてくれた紅茶は絶品だ。
 きっと目の前に並んだお茶菓子も、頬が落ちてしまう程に美味しいのだろう。それを確信して思わず頬を綻ばせたその瞬間、ようやく私は「ああ、そうか」と全てに気が付いた。

 視線を上へ、彼の瞳へ。
 ぱちりと視線が交わった。
 噴き出すように笑ったのは、一体どちらからだろう。
 遠くから、ジャミル先輩が目の前の彼、カリム先輩の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 ──ああ、今日も、酷く平和な一日だ。


2020/4/28

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