君さえ


それはいちばんたいせつな(ジェイド/微仄暗)


 むかしむかしあるところに、ある日突然異世界からこのツイステッドワンダーランドへとやって来たひとりの少女がいました。

 魔法のない世界に生きていたその少女は、もちろん魔法なんて使えません。それでも、とある魔法士養成学校の学園長の恩情を受けて、少女は一匹のモンスターと共に学校へ通いながら、元の世界に戻る方法を探すことになりました。
 けれどどれだけ調べても、探しても、一向に元の世界へと戻る方法は見つかりません。少女は毎夜毎夜、元の世界に残してきた家族や友人のことを思って涙を流すようになりました。
 周囲に心配はかけられないからと、少女はそれでも笑おうとします、しかしそこに無理が滲んでいることぐらい、誰もがすぐにきづいてしまいます。そして、そんな少女の姿を見かねて、彼女と親しい関係にあったひとりの生徒が彼女にとある魔法薬を与えました。

「この魔法薬を飲めば、少しは気持ちが落ち着くと思います。悲しくてどうしようもない時は、どうかこれを」

 少女はその言葉に喜んで、心からの感謝を告げました。それは、もう随分と久しぶりに見る彼女の心からの笑顔でした。
 その姿に、魔法薬を渡した生徒も笑います。
 少女はその生徒から言われた通り、どうしようもなく悲しみが募って眠れない夜にその魔法薬を飲みました。そうすれば本当に心が少し軽くなって、深く穏やかな眠りに就くことが出来るようになったのです。

 ──けれど、少女は知りません。その魔法薬が自らに与える本当の影響を。

 生徒は嘘を吐いていました。
 その魔法薬は確かに心を落ち着かせる効果も持っていましたけれど、その本当の姿は『その人にとって一番大切な記憶を少しずつ消していく』魔法薬だったのです。

 その生徒は、少女のことを愛していました。
 だからこそ、少女にずっとずっとこの世界で生きていて欲しいと願っていたのです。元の世界のことなど忘れて、この世界で永遠に自分の隣で笑っていて欲しいと願っていたのです。

 彼女にとって一番大切な元の世界での記憶を無くせば、忘れてしまえば、思い出すことはなくなります。恋しいと思うこともなくなります。帰りたいという気持ちだって、きっとなくなってしまいます。

 だから、どうか。どうか忘れてしまえ。
 家族のことも、友人のことも、大切な思い出も、全部全部。

 そうしてずっとこの世界に。

 一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、そうしてひと月が経ちました。昨日彼女は「今晩の分で魔法薬が無くなってしまう」と言っていました。魔法薬の効果が確かなら、今日、彼女から『一番大切な記憶』が完全に消え去ってしまうはず。
 生徒はそれを確かめるために、彼女に会いに行きました。彼女が全てを忘れてこの世界を、自分の隣を選んでくれると信じ、胸を逸らせながら。

 少女はオンボロ寮の自室で、ぼんやりと窓の向こうを見つめていました。
 生徒はそんな彼女に近寄って声をかけます。
 彼女の名前を呼びます。

 ゆるりとその瞳が生徒の姿を映しました。
 そうして唇を震わせ、彼女はこう言いました。

「──貴方は、誰?」



2020/5/13

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