君さえ


「僕はいつまで経ってもあと一歩を踏み出せないままなんですよ」(ジェイド/現パロ)


※年齢操作あり

「あ〜〜〜っ! もうやだ!!」

 がん、と木製のテーブルに勢いよくジョッキを叩きつけて、私は溜めに溜めたその鬱憤を悲痛な叫び声に変換する。途端にじわりと滲んだ視界をそのままに、私は目の前で静かにグラスを傾ける男へ取り留めもない言葉を投げ続けた。

「ほんとさぁ、何? 何なの? 私ってもしかして呪われてたりする? なんっで付き合う男という男がどいつもこいつもクズ野郎ばっかりなの? 前世でなにかやらかした? お祓いとか行った方がいいのかなどう思うジェイド」
「そうですねぇ。確かに貴女の男運の無さは最早おもしろ……そうですね、面白いぐらいに絶望的ですし、お祓いに行くのもひとつの手段かと思いますよ。効果があるかは分かりませんが」
「ねえ、言い直すならちゃんと言い直してよ。笑うなよ。同情しろよもっと」
「いやですね、ちゃんとしていますよ、同情。今回も呆気なく浮気され破局に至ってしまった貴女に悲しみが募って涙が溢れそうです。しくしく」

 相変わらず取り繕う気もさらさらない嘘泣きを披露する彼をじとりと睨みながら、私は再びレモンサワーを勢いよく煽った。炭酸混じりのアルコールが喉を滑り落ちていく感覚に、頭がじんじんと痺れていく。脳細胞がひとつずつ丁寧に溶かされているかのようだ。そのまま全部がどろどろになってしまえば、このむしゃくしゃした感情も忘れられるのだろうか。
 喉元に蟠った苛立ちとも悲しみとも後悔ともとれるそれは、どれだけアルコールを流し込んでも腹の奥へは落ちていってはくれない。その事実にまた言葉にならないうめき声をこぼして、今度はジョッキごと自らの額を机へ落とした。
 昔から。言ってしまえば中学生の頃からずっと男運というものに見放されて生きてきた。
 初めての彼氏は死ぬほど面倒くさい束縛男。次の彼氏はヤンデレを拗らせたストーカー。そして次は身体だけが目当てな遊び人。外面だけはいいクズのようなヒモ男。そして今回は最低浮気野郎。いや、もう、本当に。我がことながらあまりにも酷すぎる。イケメンがいいだとか、身長が自分より何センチ上じゃなければ嫌だとか、収入はいくら以上でだとか、そんな我儘は一度も言ったことがないというのに。どうしてこんなにもアレな男にばかり私は引っかかってしまうのだろう。私に男を見る目が無いのだと言われてしまえばそれまでなのだけれど。

「……もうほんと、普通に。普通に普通の人とお付き合いをして結婚をするという幸せを掴み取りたい。そろそろ」
「普通って、案外一番難しいものなんですよ」

 ぶつぶつとぼやき続ける私に何かと辛辣な言葉を投げかけてくる彼の名前はジェイド・リーチ。私の中学時代以来の腐れ縁であり、なんやかんやと様々なことが起こり続けた結果今ではこのように気の置けない間柄になっている。
 外見も外面も美しく穏やかでたおやかだけれど、その実内面がかなりやばいと噂の彼は、それでもこうして私の長ったらしい愚痴に付き合ってくれるのだからそれなりにいい奴ではあるのだ。まあ多分恐らく、本心は私の波乱万丈な恋愛劇とこの醜態を見ることが楽しいだけなのだろうけれど。それはそれ。こうしてなんでもかんでもを打ち明けることのできる相手がいるというのは、それだけで結構心が救われるものだからよしとする。
 今日も今日とて、突然の私の呼び出しに「仕方ないですねぇ」なんて言いながら足を運んでくれた彼は、アルコールを浴び続ける私に困ったような笑顔を浮かべてみせるのだ。

「本当に難儀な体質をしていますよね、貴女」

 見ている分には大変面白いですけれど。
 たとえ背景が大衆居酒屋のそれであっても、彼は『彼がそこにいる』というただだけでそこに1枚の絵画を形成してしまうのだから、本当に質が悪い。一体その巧言令色でこれまでにどれだけの人間を転がしてきたのやら。彼の人間関係にも略歴にも然程興味は無いため、相変わらず憎たらしい男だなと思うだけで私の思考回路はシャットアウトされてしまうのだけれど。

「……期待するのはもう止めるんだって、毎回決意はするんだけどなぁ……」

 それでも誰かを求めてしまうのは、ある種の病気か何かなのだろうか。汗をかいたジョッキグラスに伝う雫を指先になぞりながら、私はアルコールにふわふわとし始めた唇で言葉を転がす。
 賑わう居酒屋の喧騒が遠く聞こえて、なんだか眠気までもが生まれ始めてしまった。

「……なら、僕にしておきますか?」

 くわりとこぼれそうになった欠伸をかみ殺す私に、ふと飛ばされたのはそんな言葉。あまりにも突飛なその内容に強い驚きを与えられた私は、しばらくの間、その言葉の意味どころかその声を発したのが誰であるかさえも理解できなかった。
 机に落としていた頭を持ち上げて、向かい側に座る彼を見やる。安っぽい蛍光灯の朧な光の下に、それでも彼のターコイズブルーは酷く鮮やかに色づいていた。
 ゆるりと交わった視線の先で、にこりと黄金と黄灰の色が柔く微笑む。

「自分で言うのもなんですが、僕は容姿も学歴も収入も申し分ないでしょうし、これでも案外一途な質ですので浮気なんて絶対にしません。暴力も束縛も以ての外です。……それに、貴女のことはそこらの誰かよりもよく知っていると思いますし。今更貴女が何をしようと何を言おうと幻滅することもありません」

 彼にしてはほんの少し早口に、まるで私へ言い聞かせるように紡がれていくその言葉の羅列に、私は半ば置き去りにされながらもぼんやりと考えた。彼と恋人になることについて。彼と未来を歩むことについて。なるほど。確かに彼は、性格はとんでもなく悪いけれど、それにも慣れてしまった私にとってはなかなかに良い物件であるように思えた。
 付き合いも長く、今更気を遣うような相手でもないために、きっと彼と過ごす日々はなかなか居心地の良いものになるだろう。

「……それもいい、かもねぇ」

 ふにゃりと表情を溶かしながら、私は彼の提案にくすくすと笑ってみせる。向かい側のヘテロクロミアがその言葉にぱちりと見開かれたことにも、まどろみの中に溺れ始めた私は気付くことが出来なかった。
 彼と恋人になって、同じ屋根の下に住んで、こうして一緒にお酒を飲み交わす。そんな未来も悪くはないと、確かに思った。
 けれど、

「──でも、やっぱり、ジェイドを恋人にするのは何だかもったいない気がするから、いいや」

 恋人という枠組みは、自由なようで想像以上に不自由だ。何をどうしたってそこには見えない束縛が生まれてしまって、お互いがお互いの首へ手をかけあうような、そんな息苦しさがずっとふたりの間に蟠る。それこそが恋なのだと世界は呼ぶのかもしれないけれど、私は、彼との間にそんな不自由さを介入させたくはないと思った。
 友人とも称しきれない、曖昧な関係。付き合いの長い腐れ縁。何かがあればお互いに呼び出しあって、こうしてつらつらと会話をしながらお酒を飲む。それぐらいの関係が、きっと私と彼の最適で最善だ。

 氷が溶けだして味の薄くなったレモンサワーを飲みこんで、私は今度こそ大きな欠伸をこぼす。
 滲んだ視界の中にターコイズブルーが揺れる。細められた2色の瞳が、なんとも言葉にし難い温度をそこに孕んで私を見つめていた。いつものように下げられた眉が、なんだかいつもよりもちゃんと困っているように見えたのは、酔っ払いの錯覚だろうか。

「──……貴女が『そんな風』だから、」

 ほろりと紡がれた彼の声は、この居酒屋の喧騒を抜けて私の鼓膜に届くには少し小さすぎて、上手く最後まで聞き取ることが出来なかった。
 もう一度、と彼に言おうとして言えなかったのは、まるで「聞かないでくれ」とでも言っているかのように、彼の微笑みが深くなったから。飲み込んだ言葉が、ぐるりと喉元に蟠りを生む。つい先ほどまでそこにあったはずの感情は、いつの間にかその姿を消していた。
 苦いアルコールと酸味の強いレモンの風味が、舌の上にじわりと滲む。からん、と溶けた氷がぶつかり合う涼しげな音が響いた。

 蕩けた脳みそが、それでも確かに知覚する。じくりと疼いた心臓の輪郭を。
 けれど、その理由ばかりは、やはりどうしても理解できないままだった。


2020/8/23

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