君さえ


グッドガールと私を褒めて、グッドレディと私を愛して(クルーウェル)


 赤と黒を基調にハート型を描くその姿は、見た目だけならばとても愛らしいものだと思う。
 何かにつけてすぐにそれを着けられている友人たちの姿を傍観しながら、私はいつもぼんやりとそんなことを考えていた。まあ、その実態を知っているがゆえに、「愛らしい」なんて言葉をなかなか表立って口には出来ないのだけれど。
 オフ・ウィズ・ユア・ヘッド。かのリドル・ローズハート寮長がその言葉と共に放つユニーク魔法は、対象者の首にハート型の首輪を施し、その首輪が着けられている間は魔法が使えなくなるという効果を与えるものだ。魔法と呼ばれるものが生活の中核を為すこの世界においては非常に厄介なそれを嫌厭する人は、やはり学園内にも数多い。
 とはいえ、リドル寮長の前で何かをやらかさない限りその魔法をかけられてしまうことは早々無い、のだけれど。

(まさか、それを自分が被ることになるとは……)

 事故というものは何事においても起きるものだ、と思う。だから今回のこれも、ある種仕方のないことだったのだろう。私自身の身体にも精神にも特別異常が起きていないため、必要以上に騒ぎ立てる気はない。とはいえやはり、首にぶら下がったそれにはどうしたって意識が向いてしまうのもまた、覆すことのできない事実であって。
 生徒たちの乱闘騒ぎと、そこに運悪く居合わせてしまった私。そしてそれを収めに来たリドル先輩による、広範囲的な「首をはねろ!」……つまりはそういうことだ。
 リドル先輩からは丁寧な謝罪をされたけれど、彼に非は一切ない。本当にただただ私の運と間が悪すぎただけなのだから。
 逆に、滅多にこんなことはないから少し新鮮な気分だと言って笑ってみせれば、彼も「相変わらずおかしな子だね、君は」と微笑みを浮かべてくれた。私、ハーツラビュル寮生になりたいなぁ。
 そもそもで魔法が使えない私に、魔法の使用を制限するユニーク魔法。その組み合わせが悪かったのか、リドル先輩曰く、時間経過で魔法が解けるのを待つ以外にそれを外す方法はないらしい。
 遅くとも明日の朝には解けているはずだからと申し訳なさそうに眉を下げたリドル先輩へ、私は数十回目の気にしないでくださいを叫んだ。元々魔法なんて使えないのだから、この首輪も私にとってはちょっとしたアクセサリーのようなものでしかない。少し煩わしさはあるけれど、これぐらいならば容易く我慢できる。
 乱闘騒ぎを起こした生徒たちを然るべき場所へ連行していくリドル先輩を見送って、私はそのまま日常生活へ。エースたちにからかわれたりはしたけれど、それ以外に変化もなく時間は過ぎ、あっという間に放課後が訪れた。
 そんな夕暮れの廊下の中を、私はひとり教員室へと向けて歩く。日直の仕事である日誌をクルーウェル先生に届けに行かなければならないのだ。
 グリムには教室の戸締りを頼んである。高いところの窓の確認は私では難しいので、つまりは適材適所というやつだ。
 グリムがサボっていなければいいけれど、と微かな不安を抱きながらも、私は目の前の扉をノックする。その直後に「入れ」と部屋の中から飛ばされた声をちゃんと聞いて、ドアノブに手を伸ばした。
 鍵のかけられていないそれは、容易く開いて中へと私を誘う。失礼しますと口にしながら身体を滑り込ませれば、大人っぽい香水の香りが微かに鼻孔をくすぐっていった。多分おそらく、クルーウェル先生が愛用しているものの香りだ。

「今日の日誌を持ってきました」
「ああ、ご苦労」

 私の言葉に、何やらソファに座って書類を眺めていた先生の視線が持ち上がる。隙のないアイメイクが施されたグレーの双眸が私を捉えて、そしてぱちりとひとつ瞬きを落とした。
 一体どうしたのだろうと首を傾げそうになったが、その理由にもすぐさま検討がつく。何故なら彼の視線は真っすぐに私の首元へと注がれていたから。

「これはまた、随分と愛らしい首輪をしているな」
「あー……、あはは、ちょっと色々ありまして」

 先生の優雅な指先に手招かれた私は、日誌を手に彼の方へと歩み寄る。彼の座っている高級そうな革のソファの少し手前で足を止めて、見下ろす形で彼へと視線を向けた。
 そのまま日誌を先生に渡して、早く帰ろう。そう思って私が日誌を彼へ差し出そうとするよりも早く、彼の手がするりと滑るように私の首元へと伸ばされた。咄嗟のことに逃げることも許されなかった私は、目を見開いたままその一連の流れを眺め続けることしか出来なくて。
 首輪と首との間のわずかな隙間に彼の指が差し込まれ、そのまま首輪ごと彼の方へと引っ張られた。首という人体の急所のひとつを支配されてしまった私は、その力に従うまま上半身を傾かせる。
 爪先で不格好なステップを踏み、反射的に伸ばした左の手のひらをソファについて身体の支えにした。そのすぐ傍にあるのは、ソファに悠然と腰かけているクルーウェル先生のすらりとした足の姿。嗅覚を刺激したのは、先ほどよりも一層その濃度を増した脳を溶かすような香水の芳しさ。
 それらの全てを知覚しながら恐る恐る視線を持ち上げれば、普段よりもずっと近い位置で酷く愉快そうに煌めいている彼の瞳と、視線が交わった。

「──赤と黒のコントラストは悪くないが、お前にはもっと小柄で繊細なデザインの首輪の方がよく似合うだろうな」

 緩やかに眇められた彼の視線が、私を射抜くように見つめている。あまりにも妖艶なその表情と声色に、今にも心臓が馬鹿になってしまいそうだ。
 皮膚の下にどくどくと血液が荒れ狂って、頬に熱が集まる。
 はく、と言葉どころか呼吸までもを見失ってしまった唇が曖昧に開閉だけを繰り返した。そんな私の様子に、また彼の瞳に滲んだ『愉快』の色が深まるものだから、羞恥が掻き立てられてしまって仕方がない。

 本当に、ずるい大人だ。

 口には出来ない罵倒を内心に蹴飛ばして、私はきっと彼を睨みつける。赤く染まった頬と情けなく潤んだ瞳では、きっと大した威嚇にもなりはしないだろうけれど。

「……私に似合う首輪、先生が用意してくださるんです?」

 べ、と舌を出しながら挑発するようにそう言い捨ててみせれば、彼の瞳が微かに丸く見開かれていく。深いグレーのキャンバスいっぱいに私の姿が映し取られたその瞬間、どうしようもないほどの歓喜が私の胸を包みこんだ。
 こんな子供が貴方に懸想してしまうのは、やはり愚かなことでしょうか。そう問いかけるように彼の瞳へ視線を落とす。長い睫毛の落とすわずかな影にさえ高鳴ってしまう心臓の殺し方を、どうか教えて。

 ……だから、ねえ、先生。
 そんなに優しいかおで、私に笑いかけないでよ。

「そうだな。あと数年してお前が立派なレディに成長した暁には、この俺がお前にいっとう似合う首輪をプレゼントしてやろう」

 首輪から外された彼の指先が、まるでごみでも払うかのように私の前髪に軽く触れて、呆気なく遠ざかっていく。きっとそれが、彼なりの最後の一線というものなのだろう。
 触れて欲しい、名前を呼んで欲しい、抱きしめて欲しい。そんな願いばかりが胸から溢れ出して仕方ないけれど、口にすることなど許されはしなくて。
 必死に唇を噛みしめる私に、彼がわらう。


「……そう不満そうな顔をするな。安心しろ、その時はちゃんと首輪を嵌めて閉じ込めて、もう永遠に逃がしてやりはしないから」


 だからあと数年、ちゃんといい子で待っていろ。

 そんなことを言われてしまったらもう、私は逆らうことなんて出来はしない。いつかの未来、彼に褒めてもらえるその日を夢見て、私はまた一層、彼への想いを燻らせていくのだ。


2020/9/15

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