付が変わるまで


「……わかりました」

珠紀は一言呟き、覚束ない足取りで部屋を出て行った。

「美鶴、準備はできているわね」
「はい」

襖の前に座り、淡々と答える美鶴は本当、人形のよう。

「これで玉依姫としての力が目覚めてくれればいいのだけど…」

窓の向こうに見える月を見ながら、言った。

「…珠紀に、恨まれてしまうわね」
「……」
「しかし、玉依姫として、鬼斬丸を管理する者として乗り越えてもらわなくては…」

そんな言葉にも、美鶴は瞳を揺らぎもさせずどこを見ているのかも分からない。
静寂の中にある部屋で、2人は冬の風が外を吹き抜ける音を耳にした。



***



「…ババ様からのお言いつけです」
「答えになってないぜ?…何で会えない。どうして結界を張ってる」
「それにお答えする事はできません」

俺は何度となく美鶴に問うたが、それに答える気はないようだ。ババ様に直接聞こうともしたが、貴方に言う事はなにもありませんの一点張り。
鬼斬丸の封印が解かれてから三日経った。名前が目覚めたと聞いて会いに来たのに、あいつの部屋に入る事はできなかった。しかも、部屋に結界が張られてる。
何度聞いても、ババ様も美鶴も、それを解く気はねぇらしい。珠紀も気分が悪いからと部屋に閉じこもったまま学校にも顔を出さない。
一体、どうなってるんだ?

しかし、その力は未だ何か分からない。私達にとって、善か、悪かなのかも

もし、彼女の中にある力が鬼斬丸同様、悪影響を及ぼす力であるならば…


最初の宝具が失われた時、ババ様が言った言葉を思い出した。
ババ様は…あいつの力を…悪影響を及ぼす物と判断したのか…。だが、あの力は何度も現出している。今回が特別、という訳ではなかったように思う。…鬼斬丸が復活したからか?あいつの力が…鬼斬丸の復活と関係している?

「…くそっ!」

鬼斬丸の封印は解かれ、俺以外の守護者はまだ怪我が完治せず療養中。そして…名前は部屋に閉じ込められたまま…。なのに、何もできないでいる自分が不甲斐無い。
きっと…名前は泣いている…。よくない事ばっかり考えて、一人震えて…。

今まで独りでいるのは当たり前だったのに…今は、独りになるのが…怖い。私が…なくなりそうで…また…誰かを傷つけてしまいそうで……。

…こわいよ…っ――


鮮明に思い出される…小さく震えながら、恐怖に怯える名前の姿。
守ってやるって約束したのに…襖一枚隔てた先にいるあいつの傍に…いてやりたいって思うのに…俺は何もできないのか…。

「……名前」

あいつの名前を呼んだ俺の声は、静かな宇賀谷家の廊下に溶けて消えて行った。



***



鳥の声が…聞こえる。
重たい瞼をゆっくり開けると、もう見慣れた景色が広がっていた。だけど、その景色も、今は私にとっては牢獄と一緒だ。

「…いま…何時だろ…?」

いつもの癖で横に手を伸ばすが、手に取った携帯は電池が切れていて画面は黒く、鏡の様に私の顔を映しているだけだ。

「…ブサイクな顔だな…」

自傷気味に笑ってみるが、顔は無表情のまま。
泣きすぎたせいなのかな…笑うことができないや…。
腕をついて、気だるい体を起こすと、窓から射す光が顔にあたって、眩しさに手を翳した。

「…鳥が…飛んでる」

窓の外には、遥か高い空を悠々と飛ぶ鳥の姿が見えた。
いつもなら何とも思わない事なのに…今は、羨ましいと思う。その翼で自由に、行きたい所に行ける鳥。

「…今日が…さい、ご…か」

空を見上げながら、ポツリと呟いた。
そう…今日が…私が自由に動ける最後の日になる。明日には……もう―

「……着替えよう」

布団から立ち上がり壁にかけていた服に手をかけた。何も考えたくなくて、先の事なんて考えたくなくて…。
着替え終わり、姿見の鏡の前に立った。ここに来た時と変わらぬ姿。でも…変わってしまった。もう、あの頃の私には…戻れないんだ。
鏡から目を逸らし、襖に手をかけた。
…やっぱり、開かないや…。

「美鶴、ちゃん」
「はい」

少し離れた場所にいたのか、小さく美鶴ちゃんの声が聞こえた。少しして、結界が解けたのか、襖がゆっくりと開かれた。

「おはようございます」
「…おはよ」

ゆっくり頭を垂れた美鶴ちゃん。だけど、何だか距離がある…そう感じた。
宇賀谷さんは、自分の部屋にいるんだろう。珠紀は…学校かな?いつもと変わらないはずなのに、凄く静かに感じた。

「朝食の用意ができております」
「…うん。もらおうかな」

こんな気持ちでも、お腹は空く。実際三日以上何も食べていない事になるんだから、お腹が空いて当然だ。…昨日はあんな事があって何も食べる気になれなかったし。
居間に行って座卓の前に座ると、美鶴ちゃんが朝食を運んで来てくれた。温かいご飯にお味噌汁。鮭の切り身にお新香。どれも美味しくて、私は黙々と箸を進めた。
……静かだな。
隣の台所で美鶴ちゃんが何かしてる音が聞こえてくるだけ。いつもと同じはずなのに…どしてか、凄く寂しく感じる。数日前は、ここに拓磨や真弘さんもいて…――

「ちょっと、勝手にいれないでよ!」
「大丈夫、お前なら食える」
「なんでそんな事拓磨が分かるのよ!」
「きついなら、お前の刺身もらってやるから」
「ちょ、刺身は大好物なんだから!絶対あげないからね!」


クスクスと思い出し笑いをしてる自分がいてハッとした。
もう…ああして笑ってご飯を囲むことは…できないんだね…。
そう思うと、進んでた箸もピタリと止まってしまう。それでも、残すと作ってくれた美鶴ちゃんに悪いと食事を再開するが、さっきまで美味しいと感じていたはずのものが、そう感じられなくなっていた。

「……ごちそうさま」

無理矢理押し込んだ朝食。久しぶりに食べ物を口にしたせいか、胃が凄く重い。食器を台所まで持って行き、そのまま玄関へ向かった。
座って靴を履いていると、背後から足音が聞こえる。美鶴ちゃんかな?

「お出かけですか?」
「…うん」
「日付が変わるまでにはお戻り下さい。それから、…決して、逃げようなんて思われませんよう」
「……わかってる」

逃げても…仕方のない事だって…。
振り返らず、私は宇賀谷家を後にした。

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