もう、気持ちにいはない


宇賀谷家を出て村を当てもなく歩いた。結局数日しか走れなかったジョギングコースの畦道。ビクビクしながら入り込んだ森へ続く細い道。前来た時と変わらず、温かい人々がいる小さな町。この村に来て三週間程しか経ってないけど…色んな所に思い出がある。
ちょっと歩き疲れちゃったな。…あそこで休もう。
緩い傾斜になった川縁にストンと腰を落とした。水が流れる音が心地よく耳に届く。空の青と太陽の光を映してキラキラ輝く小川は、見ていると心の中の色んなものを一緒に洗い流してくれる様だ。
ゆっくり、上半身をパタンと傾斜に沿わせた。白い雲がゆっくり流れる空。
あの雲に乗れたら、気持ちいいだろうな〜…なんて、小さい時思ってたっけな…。水蒸気の上に乗れるわけないのにね。
クスッと笑って、私はゆっくり瞳を閉じた。風が草木の撫でる音が聞こえる。爽やかに過ぎ去る風が、私の額の上に一枚の葉を残していった。そっと目を開けそれを取ると、赤い紅葉が一枚。
どこから流れてきたんだろう…この辺に紅葉の木は見当たらないのに…。そう思い、視線を周りへ移すと、近くの山に赤く染まった場所が見えた。
あそこから飛んできたのかな?導かれる様に、私はその葉を持って赤く染まる場所を目指し歩き出した。



***



「きれい…」

冷たい風が髪を揺らして辺りを翔ける。もう冬がそこまで来てるんだ。紅く染まった葉がシャワーの様に舞い落ちる。陽が傾き、山間にその姿を隠そうとしている夕日の真っ赤な光を浴びて落ちる紅葉は、一層赤みを増し、緋色に染まる。風に靡き舞う葉は、この世界から私を隠してくれてるみたい。ハラハラと散る葉は、人々の目を彩らせ、役目を終え、土に返る。
…私も、この落ち葉と一緒なのかな?私の17年という人生は、この緋色に光る葉達と一緒で、役目を終えて…散ろうとしているのかな…。
そう思うと、もう流しつくしたと思った涙が溢れてきた。
仕方ないんだって、こうするしかないって…何度も言い聞かせた、納得できたって思ったのに、…やっぱり…怖い。死ぬのが…怖い…。でも、私がやらなきゃ…珠紀達が…今まで私を護ってくれた人達が犠牲になる。ずっと、この村に来てから私を護ってくれた皆に恩返しするんだ…って、思うのに…な。

「ハハッ、…ほんと、諦め、わるいなぁ〜…わたし…」

両手で胸を押さえた。今すぐ泣き叫びそうになるのを、グッと抑える為に。
このまま…今日が終わって、部屋に閉じ込められたまま誰と会うこともなく、私は消えちゃうのかな…?
…会いたいな…。最後に一目でいい、言葉を交わせなくてもいい…彼に…―拓磨に、会いたいな…。

「…むり、…かな?」

力なく呟いた。宇賀谷さんが…会わせてくれるわけ、ないよね?

「こんな所にいたのか」

ハッとして声のした方へ視線を向けた。舞い散る木の葉の奥から、こちらへ向かい歩いてくる人の姿。ヒラヒラ舞う葉と同じ色をした髪、紫がかった瞳。そして、私をいつも励ましてくれた、優しい笑顔の―彼。

「た…くま、」

彼は優しく微笑んだまま、私の前に立った。

「どうしたんだ?こんな所に来て」
「ん…なんか、綺麗だなって思って。…拓磨は、何でここに?」
「…お前がいる様な気がしたから」

トクン、と鼓動が波打つ。

「どうして…いつも、私のいる場所が分かるの?」

そう、彼はいつも私が悩んでる時、寂しいとき、哀しい時、傍に来てくれる。その問いに、拓磨は答えず、すっと私の頭上に手を伸ばした。そしてゆっくり私の前にその手を下ろす。そこには赤ちゃんの手を思わせる緋色の葉が一枚。

「のってた」
「…ありがとう」

それを受け取り、私はそれを胸に抱いた。

「もう…秋も終わりだな」
「そうだね。ここは冬になったら雪積もりそう」
「あぁ、積もるな。一面雪景色」
「そっか…綺麗なんだろうな」
「でも、生活するには大変だぞ。学校行くのも面倒になる」
「あ〜、それは分かる気がする」

そんな他愛ない話が、今は凄く愛おしく思える。

「冬が来て、春が来て、夏が来て、また秋が来て…そしたら、またここも紅く染まるんだね」
「あぁ…」

でも、その景色を見ることは…もうない。

「ここより…」
「ん?」
「ここより、もっと綺麗な場所がある。…今度連れてってやるよ」
「……うん、…見たいな」
「…なに、泣いてんだ…」
「な、…でもない…」

拓磨と見たい。ここよりも綺麗だという場所で、今みたいに並んで、他愛ない会話しながら…。そんな未来を想像しると…押し込めていた涙がまた頬に伝う。

「……名前」

彼が私の名を呼ぶ。ゆっくり顔を上げれば、すぐ目の前に彼の体があった。そして、彼の香りが私を包み込む。温かく、強く、私の体を抱きしめる彼の姿に、私は驚いて何が起きたのか理解できるまで数秒かかった。

「―逃げろ」

振り絞る様に言った拓磨の言葉。ロゴスとの戦いで何度となく聞いた言葉でもある。

「ババ様が何を考えてるか分からねえけど、お前にとっていい事じゃないって事は分かる。…だから、お前は逃げろ」
「…無理、だよ。だって、鬼斬丸が」
「鬼斬丸は俺達で何とかする!だから、お前は何も心配しなくていい…自分の家に帰れ」

落ち着いた声の中に、必死さを感じた。こんな拓磨…初めて見たかもしれない。

「ダメだよ…私一人、逃げ、るなんて…できない。私が逃げたら…っ、みんなが、…世界が―」
「世界がどうなったって構わない!!」
「……え…」
「例え、お前を逃がせば世界が滅びると言われても…俺はお前を選ぶ。何よりも大切で…絶対失えない、失いたくない」
「――た、くま」

抱きしめられた腕からフッと力が抜け、拓磨の顔を見上げた。真っ直ぐに向けられたその瞳が私を捉えて離さない。

「――好きだ」
「っ!」

夢かと思った。さっきまでの哀しみや苦しみから来るものではなく、拓磨の一言で心の奥底から温かいものがあふれ出す。顔が熱を帯びていくのがはっきり分かり、目頭も熱くなる。そこから流れる涙を、ゆっくり拓磨の指が拭ってくれた。

「名前が、好きだ」

優しく微笑む拓磨。大好きな笑顔がそこにある。嬉しさと、愛おしさが同時に湧き上がり、私も自然と頬が緩む。
再びきつく抱きしめられ、私もそれに応える様に背中に腕をまわす。私の鼓動と拓磨の鼓動が重なって、大きく響きあうのが分かる。
自然と、お互いの距離が近づき、瞳を閉じて感じるのは温かい彼の口づけ。触れるだけのキスをして、再びお互いを体に刻み込む様に抱きしめあった。さっきまで感じてた恐怖が嘘の様に溶けていく。心が満たされる。
…私はいつも、拓磨に支えられてるな…。悩んでると、必ずこうして私の心を癒してくれる。だから、頑張ろう!って、立ち止まってちゃダメだって思えたんだ。

ありがとう…拓磨―。

もう、気持ちに迷いはない。拓磨を守りたい。世界が滅びるとしても私に逃げろと言ってくれた彼を、私は守りたい。彼の笑顔を守れるのなら…、私はこの命を捧げる。
拓磨の腕の中で聞こえる彼の鼓動。少し早く高鳴るその音を聞きながら、私はゆっくり目を瞑った。彼を傍に感じられるこの時を、かみ締めるように――。

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