対諦めないよ


静かだ。虫の声が微かに聞こえる道を、私と拓磨はゆっくり歩いている。しっかりと繋がれた手から拓磨の温もりが感じられる。
トクン、トクンと波打つ鼓動は繋がれた拓磨の手からも伝わって、私の心を満たしてく。
もう陽が山の奥に沈んで月明りが私達の足元を照らしてくれる。あと…数時間…。数時間したら私は…――。

「ねぇ、拓磨。ちょっと寄りたい所あるんだけど、いいかな?」
「…どこ行くんだ?」

私は何も言わず、拓磨の手を引いて目的の場所に向かった。宇賀谷家とは逆の方にゆっくりと…。



***



「誰もいないんだね…ってか、こんなに簡単に入れて大丈夫なの?」
「大丈夫なんだろ?当直のおっさんは大体酒飲んで寝てるし。平和な証拠だろ」

声を潜めて廊下を歩く。夜の学校なんて天然のお化け屋敷だと思ってたけど、月の光が明るいからかそれほど怖いとは思わなかった。それは、隣に拓磨がいるからかもしれないけど…。

「ここが、俺達の教室」

ガラガラと音を立てて教室の戸をゆっくり開けた。私の行ってる学校より古いけど、さほど違わない教室風景。
ここで毎日、授業受けたり、他愛無い話をしたり…。

「ね、拓磨の席ってどこ?」
「俺?俺の席はそこだけど」

指差す先は教卓から2番目の席。先生の視界に入りやすい席だな。

「早弁とか居眠りできないね」
「しねぇよ…たまにしか」
「してんじゃん」

クスクス笑いながら、私は窓側の一番後ろの席へ歩いて行った。

「じゃあ…私はここがいいな」
「なんで?」
「お昼寝に最適の場所だから」
「あぁ…確かにな」

夏と冬は辛いけど…春や秋はポカポカの陽が当たって本当に気持ちいいだろうな。…でも、私がこの席を選んだのは…授業中でもゆっくり拓磨の背中が見れるだろうな…って思ったから。
誰の席か分からないけど、椅子を引いてストンと腰を下ろし、机に頭をのせて教室を見渡した。
私と拓磨以外誰もいない静かな教室だけど、何だか凄く懐かしく思えて嬉しくなった。
少し学校って場所から離れてただけなのに、こんな気持ちになるんだ。…それとも、もう来る事ができないから…かな。

「…どうした?」
「ん?何が?」
「…いや…」

少し困った様に、愁いを見せる拓磨。そんな拓磨の顔を見たくなくて、そっと彼の腕に手を伸ばした。

「ね、拓磨」
「…ん?」
「前、拓磨がさ、美鶴ちゃんに逃げて下さいって言われた時、拓磨はそれに『うん』とは答えなかったよね」
「…あぁ」
「あの時ね、私も決めたんだ。…拓磨が逃げないなら、私も絶対に逃げないって。どんなに辛い事や苦しい事があっても、頑張るんだって。…ま、それから何度も逃げたくなったりしたんだけどさ…」

アハハ、何て笑いながら話す私を、拓磨は少し困った様に柔らく笑みを浮かべていた。

「でも、やっぱり逃げたくないよ。拓磨が、みんなが死ぬ思いで戦ってるのに、私だけ逃げるなんて…できるわけないでしょ?」
「でもお前―」
「でも諦めた訳じゃないよ?私の中にある力で鬼斬丸を封印できるみたいだし!」
「力の事、わかったのか?」
「うん!結構凄い力みたいでさ!この力があれば、皆の役に立てる、皆と一緒に戦える。だから逃げないよ」
「……そうか」

隣の机に軽く腰をおろした拓磨は、私の手に触れた。

「…約束してくれ。…絶対、生きる事を諦めるな。何があっても生きるって…」

真っ直ぐ向けられた瞳。吸い込まれそうなくらい真剣な眼差し。私に生きろって、それ程までに思ってくれているんだって…心が温かくなった。

「うん…約束する。絶対諦めないよ」

笑って答えれば、彼もやっと優しいいつもの笑顔をみせてくれた。
分かり易いっていつも言われるけど、…お願い。これが、あなたにつく最初で、最後の嘘だから…。そのまま気づかずにいてね。
教室の時計が、カチカチと時を刻む。止まることのない時は、私に残された時間が、あと僅かだというのを知らせてくれる。

「…そろそろ帰ろっか」
「……そうだな」

それからお互い何も言葉にせず、重たい足を終わりに向かって歩き出した。拓磨に手をひかれながら、私は彼の背中をじっと見た。
何度…この背中に護られてきたんだろう?両手じゃ足りないくらいかもしれない。大きくて、温かくて、この背中に護られる度にホッとして、なのに、凄く辛くて…。
今まで沢山護ってもらった背中を…今度は私が護れるんだ。もう…この背を見る事は出来ないけど…。
そう思うと、しっかり焼き付けておこうって思った。今まで私を身を挺して護ってくれた、彼の背中を――。



***



「ただいま」
「おかえりなさいませ」

家まで送ると言ってくれた拓磨の言葉を断って、石段の前で別れた。鬼斬丸の封印が解けてから守護者の皆は自分の家で療養中。拓磨も今は家に戻らされているみたい。
玄関を開ければ、無機質な声で美鶴ちゃんが出迎えてくれた。

「お食事はどうなさいますか?」
「あぁ〜…うん、お腹すいた!昼から何も食べてなかったからね〜」

そう言うと体が食を求めているのか、お腹がグゥ〜と気の抜ける様な音を立てる。すると、さっきまで無表情だった美鶴ちゃんの頬が緩んで、優しく笑ってくれた。
少し呆れた様に笑って、居間でお待ち下さいと言った美鶴ちゃんが、台所へ行き温め直した夕餉を持って来てくれた。

「美味しそ〜!いっただっきま〜す!」

これ美味しい〜と言いながら箸をすすめる音だけが空間に広がる。美鶴ちゃんは黙ったまま視線を下に落としている。私は茶碗とお箸を持つ手を座卓の上において、言葉にした。

「美鶴ちゃん、ありがとね。毎日美味しい料理作ってくれて」
「…いえ、それが私の仕事ですから」
「それでも、美鶴ちゃんのご飯、凄く楽しみだったから。いつか……料理さ、教えてくれると嬉しいな!」
「…苗字さん…」

いつか…なんて、来る事はないけど…。

「…ね?」
「……はい、わかりました。先に言っておきますが、私はスパルタですよ?」
「ぅ…が、頑張ります!!その時は珠紀も巻き込もう!」
「ふふっ。珠紀様もお料理できるみたいですけど」
「え?!まじで?!」

私の言葉を否定する事もせず、来るはずのない未来の話にのってくれた美鶴ちゃん。
ちゃんと笑えてる。私、笑えてるよね?泣いて嘆く事が多かったけど、そんな私ばっかり覚えていられるのは嫌だから…いつもの私を、たくさん覚えていて欲しいから。

私も…覚えておくよ…こうして笑った、この一瞬を――。


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