泡になってさよなら


「ねぇ、真弘!人魚って本当にいると思う?」
「は?いねえだろ」
「私は絶対いると思うんだ!だって私には見えないけど、神様はいるんでしょ?なら人魚がいたって不思議じゃないでしょ?」
「……で、お前は何が言いたいんだ?」
「だから、いつか二人で海に人魚探しに行こうよ!」
「はぁ?!何で俺様まで行かなきゃならないんだよ!」
「だって一人じゃつまんないでしょ?ね!だから、大きくなったら一緒に行こう!」

そう言って出した小指に、真弘は渋々自分の小指を絡めてきた。

「ゆ〜びき〜りげ〜んま!嘘つ〜いたら…う〜ん…なにしようかな」
「なんでもいいって」
「…あ!、嘘つ〜いたらスカート穿いて村内一周しても〜らう!」
「はぁ?!」
「ゆ〜びきった!」

無理やりな約束をしたのはもう何年も前のこと。もう真弘は忘れちゃってるかもしれない。でも、私は今まで一度だって忘れた事がない。
本当は人魚がいようがいまいがどっちでもいい。ただ、理由が欲しかった。大きくなっても真弘の隣にいれる理由が。
でも…やっぱり、あんな約束だけじゃ…繋ぎ止めるなんてできなかったのかな…。



***



「あ、真弘先輩!私のおかず取らないで下さいよ!」
「いいじゃねーか。お前残すからおいてたんだろ?」
「最後に食べようと取っといたんですよ!返して下さい!」
「食っちまったもんをどう返せってんだよ」

屋上に響く楽しそうな声。
少し前、一学年下に転入してきた春日珠紀ちゃん。宇賀谷さんのお孫さんらしく、大抵この屋上で真弘達と一緒に昼食をとっている。

玉依姫と守護者――。

その言葉を小さい時真弘から聞いたことがある。この季封村を守る巫女様の事を言うのだとか。
前玉依姫は宇賀谷さんだった。だから、今は珠紀ちゃんって事になるのだろう。その玉依姫に仕えるのが守護者だと。
守護者がどんなものなのかは知らない。一度、真弘に聞いた事があったけど、大したことじゃないと流されてしまった。でも、その話をする時の真弘は笑顔を浮かべているものの、瞳が酷く寂しそうで…。
その悲しみを帯びた目をみていられなくて、私はギュッと抱きついた。真弘は、嫌がりもせず、ただじっと遠くを見ていた。
それから、真弘は時々遠くを見るようになった。笑ってバカやって…でも、ふと見せる寂しい瞳。皆気づかないけど…私はわかる。嘘つくときは、必ず目を逸らす事や、口は悪くて短気でも女の子には手を上げない事だって知ってる。…ずっと真弘をみていたから。
でも…今、真弘の隣にいるのは…私じゃなくて彼女…。
彼女なの?…なんて聞く勇気もなくて、ただ…彼女と楽しそうに話してる真弘を見ているのが嫌だった。

「…そんなとこで何してんだ?」

お弁当を食べてた真弘が急にそう言った。珠紀ちゃんも何事かという顔をしてる。真弘の向ける視線の先は…私のいる場所だった。

「隠れてんのわかってんだよ、名前」

どうしてばれちゃうんだろう。昔からそう。どこに隠れてたって真弘にはずぐに見つかってしまう。…それとも、私が隠れるの下手なだけなの?
バレてしまっては仕方がない、と渋々壁から少し体を出した。

「なんか用か?」
「…ううん…なんでもない」
「あ、真弘先輩の幼馴染さんですよね?よかったら一緒にお昼しませんか?」

にっこり笑顔で珠紀ちゃんがお昼に誘ってくれた。笑った顔は可愛いし、優しそうな子。本当は、一緒にまざりたいって気持ちが強いんだ。きっと楽しい。でも…――

「ごめん。約束あって…邪魔してごめんね…。じゃっ」

そう言って逃げる様にその場を後にした。
嫌なやつだな。せっかく珠紀ちゃんが誘ってくれたのに…。何しにきたんだ?って感じ…だよね。でも…いれなかった。ただの醜い嫉妬。
真弘の隣にいるのは…私でいたかった…。



***



あれから数日。真弘と私はぎくしゃくしたまま。…というか、私が一方的にぎくしゃくしてるだけ。真弘は今までと変わらず話しかけて来てくれる。嬉しいのに、素直になれなくて…真弘と話そうとすると、楽しそうに珠紀ちゃんと話してるのを思い出して素っ気無く返してしまう。
それからだった。真弘が時々学校を休んだり、数日ぶりに来たと思えば、凄い怪我の跡が体中にあったり。
どうしたの?って聞けば、お前の心配する様なことじゃないって素っ気なく言われた。
昔と同じ。あの時と一緒…。寂しさを宿した瞳。だけど、私は言葉をかけることも、昔の様に抱きしめる事もできなかった。


***



「…はぁ〜」

一人歩く帰り道。虚しく響く足音を聞きながら、何度同じ溜め息を落としたかわからない。
真弘とすれ違いの日々。少し前までは一緒にバカやって笑ってたのにな…。

「はぁ〜、―ッ!」

また溜め息を吐いた時、頭に痛みが走った。多分デコピンならぬ頭ピンをされたのだろう。痛みのあった場所をおさえ振り返ると、…大好きなその笑顔があった。

「…真弘」
「なに辛気くさい顔してんだ?」

変わらない笑顔。私が機嫌悪いときは、いつもこうやって話しかけてきたっけ。

「…今日は…みんなと一緒じゃ、ないの?」
「後で合流するぜ?それがどうした?」
「別に…」

じゃあ、こうして隣にいれるのも少しだけか…。そう思って視線を落としたら、横にいた真弘がクスッと笑って、何も言わず私の横を歩く。
あと数十メートルも行けば家に着く。そしたら、真弘は皆の…珠紀ちゃんのもとに行ってしまう…。
そう思ったら、歩みが自然と止まった。

「どうした?」

立ち止まった私に真弘が話しかけてきた。
何か…何か話したい。一緒にいれるこの時に、沢山話がしたい。

「ま、ひろ…覚えてる…?」
「なにを?」
「…小さいときにさ…一緒に、に――」

そこまで話したときだった。地鳴りが辺り一面に響き、空は徐々に黒い雲に覆われ、どこからか不穏漂う風が吹き抜ける。
いきなりの出来事で何があったのかと驚く私とは逆に、ただ一点をじっと見てる真弘の姿に気がついた。
まっすぐな瞳は、何かを決めた様な、でも…あの、悲しみを帯びていた。

「真弘?」
「…悪い、もう行くわ」
「え、――」

真弘は瞳を向けていた方へ走ろうとしたが、私は彼の袖を掴んで引き止めた。

「どこ、…いくの?」
「様子見てくる。お前は家でじっとしてろ」
「……だめ…」

何でもない様に言う真弘だけど…私は嫌な予感がして掴んだ袖を離す事ができなかった。このまま真弘を行かせてはいけないって、そう思ったから。

「ダメだよ。行っちゃダメ!」
「何必死になってんだ?ちょっと様子見てくるだけだって」
「嘘。真弘、…嘘つくとき目逸らすもん…」
「……」

不安で、言葉が震える。それでも、真弘は顔を逸らしたままだった。

「俺が、行かなきゃいけねえんだ。その為に俺がいる」
「なにそれ…それは守護者だから?あの子の…珠紀って子の為に行くの?」
「珠紀の為じゃねえよ…村を守る為だ」
「それでも!それでも行かないで!行っちゃやだ!行ったら真弘…イヤだよ…真弘がもし、…」

その先は言葉にするのも嫌だし、したくない…。それなのに嫌な予感しかしなくて、不安で…真弘の腕を掴んだまま、自分の頭を押し当てて泣いた。

「……名前」

優しく私の名を呼ぶ真弘。ゆっくりと涙を拭いもせず顔を上げれば、そっと頬に手が添えられた。優しく引き寄せられたと思えば、唇にあたたかいものが触れた。
触れるだけの…だけど、強く…まるで惜しむ様に当てられたそれに、驚きと共に愛しさがこみ上げてきた。
その温もりが離れると、きつく真弘の胸に抱きしめられた。
私の肩に顔を埋め、囁く様に真弘が言った。

「心配すんな。すぐ帰ってくる」
「ほ、…とうに?」
「あぁ。約束したしな。…一緒に人魚探しに行くって」
「まひろ…」

覚えてて…くれた。小さい頃の約束。

「だから、お前は笑って俺様の帰りを待ってろ」

名残惜しむ様に抱きしめた腕が、ふっと緩んだ。

「―、真弘ッ!」

彼を引きとめようと伸ばした手が、むなしく空を掴む。風の様に去っていく真弘の後ろ姿が、森の奥へと消えていこうとしてる。

「――いや」

やだよ。いやだよ真弘…。本当に約束してくれるなら私の目をみて言ってよ!!

「真弘…いかないで…真弘…真弘ぉぉおーーッ!!」

私の叫びに振り向く事なく、真弘は森へと消えていった。

そしてその日以来…真弘が私の前に姿を見せる事はなかった。



***




「……寒い」

言葉と共に、白く濁る息。海から吹く冬の風が、一人浜辺に佇む私のもとを吹き抜ける。
最後に真弘を見た日から数年。私は彼と約束した海に、一人で来た。一緒に来ると言った彼は…どこに行ったのだろう…。
あの日何があったのか、誰に何を聞いても教えてくれなくて…。私は、ただただ待った。ずっと待ってた。真弘が戻ってくるのを…。
それでも…真弘は戻って来てはくれなかった。待ち続けるのも疲れて、もしかしたらもう先に人魚探しに行ってるのかも…なんて淡い期待を抱いて、ここに来た。
だけど、私を迎えてくれたのは一面に広がる大きな海。…ただそれだけだった。

「…ねぇ…真弘」

海に向かい、小さく呟いた。

「約束やぶったら…スカート履いて、村内一周って言ったよね…?」

応えてくれるのは、冷たく吹く風の音だけ。

「人魚…一緒に探そうって…約束、したのに…まるで……真弘が、人魚姫だったみたい…」

真弘が人魚なんて、って笑ったけど…でも、私の瞳から零れる涙は止まらない。
でもね真弘。人魚姫は恋が実らなかったから泡になって消えたんだよ?もし、あの時くれたキスが、私の思っている意味なら…真弘は、泡になって消える必要ないんだよ?
だからさ…――。

「か、え…てきてよ……真弘ッ…!」

蹲って、子どもみたいに声を上げて泣いた。
こんな姿真弘が見たら多分、うるせーって言われそうだけど…でも、今はゆるしてよ…。
最後に…するからさ…。こんなに大声だして泣くのは…最後にするから…。

泡になってさよなら

(私の想いも、泡になって消えてしまえ)

(C)確かに恋だった



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