ただ傍にいたかった
…ただ傍に居たかった…傍で…笑ってる顔が見たかった…それだけで…良かったのに──
「いけないっ、もうすぐ7時来ちゃう!帰り際に仕事押し付けんなっての部長のやつめ!」
腕の時計を見てコツコツとヒールを鳴らしながら待ち合わせの店へと急ぐ。
今日は高校の時やってたテニス部の同窓会。テニス部って言ってもマネージャーだけど。
立海大付属高の男子テニス部は全国大会出場常連校で、練習もキツクてマネージャー業も大変だった。
その分、部員同士の絆は強かった。高校で一番仲が良かった皆と久々の再会。
「……あっ…」
走ってた足を止めて見たのは…駅前に立っている背の高い時計塔。
駅前にあって分かりやすいって事で、恋人達の待ち合わせ場所になる事が多い時計塔。
……懐かしいな…。
『おー、待たせたな』
『遅いよ!30分も遅刻!』
『すまんすまん』
『罰として、今日のお昼は雅治の奢りだからね!!』
『はいはい。奢らせて頂きます』
頭の中に流れる懐かしいやり取り。
あれから…何年経ったんだろう?楽しくて……悲しかった…あの頃から…――
***
高校3年生の夏。
「苗字。…俺と付き合わんか?」
私達の代で全国大会3連覇を成し遂げた後の打ち上げの帰り道。家が同じ方向の雅治が、急に囁くように言ってきた。
…驚いた。嬉しいとか恥ずかしいとかより、驚いた。
「付き合う…ってのは…買い物の荷物持ちとかではなく?」
「違うな。荷物持ちなら、お前さんじゃなく、赤也にさせるよ」
突然の事で混乱する頭を整理して出た言葉がそれだった。
ほら、早とちりして恥かくのも嫌だし!…って自分に言い訳してみたり。
「じゃ…仁王は…あの……わ、たしの事――」
「苗字の事が、好きだ」
頭の中で…何度も鼓動の様に繰り返される、仁王の言葉。いつもの方言じゃなくて…標準語で言われた告白。
「ほ…んと…に?……ペテン…とかじゃない…よね?」
「…ここでペテンだって言ったら、最低な奴だと思わんか?」
「そ…そっか。そうだよね」
「…で、お前さんの返事は?」
私の返事なんて、聞かなくても分かってますって言う様に私の頬に手を添えて、クイッと顔を上にあげた。
悔しいと思う反面、傍にいたいと思ってた人に好きだと言ってもらえて嬉しくて、私は涙を溜めたまま、笑った。
「…好いとーよ」
「…その顔は反則ぜよ」
「えっ――」
そう言った仁王はそっとキスをおとした。キスから伝わる、仁王の想い。自意識過剰とかじゃなく、本当に伝わってきたんだ。私に対する、仁王の優しい想いが――
それが嬉しくて…溢れる気持ちが涙になって零れ落ちた。その涙を、仁王が拭ってくれて…お互い顔を見て笑いあった。
この笑顔が傍にあるなら、どんな事が起こっても乗り越えられる。
そんな風に思っていた――
「じゃ、HR終わります」
「起立、礼!」
日直の号令に合わせて礼をすると、背伸びをする子、友達と喋りながら教室を出る子と様々。
「名前」
「あ、雅治!ちょっと待ってね!今用意するから」
「ゆっくりで構わんよ。幸村に呼びだされたから、ちょっと行ってくるな?」
「幸村に?…何かやらかしたの?」
「何もしとらんよ。もうすぐ引退試合じゃき、その組み合わせを決めるんだと」
「そっか。じゃあ正門前で待ち合わせで!」
「おぅ。じゃ、後での〜」
「うん!」
あれから、もうすぐ1ヶ月。
受験シーズンな私たちは勉強漬けの日々。部活を引退してからは放課後図書館に行くのが日課。でもたまに息抜きでテニス部を覗きに行っては切原相手に遊んでる。そう言えば引退試合って言ってたな…もうそんな時期なんだね。うちの部の伝統行事で、引退する三年と一、二年で試合をする。
私達が二年の時は先輩方をストレートで打ち負かして送り出したけど、今年はどうなるのかな?そんな事を考えながら、下足箱を開けると…また入ってる。
下足箱に手を入れ取り出したのは、靴ではなく一通の手紙。ルーズリーフを4つに折ったその手紙は、ここ最近毎日の様に入っている。中を見ると、これまた代わり映えのない文句が綴られていた。
『仁王君と別れろ』
『仁王君とあなたじゃつりあわない』
この2文がルーズリーフいっぱいに筆ペンで殴り書きされている。私が雅治と付き合いだして、よく貰うこの脅迫状。
勿論、雅治には言っていない。心配させたくないし、今の所こんな脅迫状を下駄箱に入れるくらいしか嫌がらせはないし。ま、どんな脅迫を受けても雅治と別れる気はない。
だって…傍にいたいもん…。雅治の隣で…雅治の笑ってる顔…みていたいから…。
手に持った手紙をぐしゃりと握り、鞄の奥に詰め込んだ。
「なにしとるんじゃ?」
ハッとして横をみると、雅治が立っていた。
「雅治…早かったね。もうオーダー決まったの?」
「あぁ。基本的に決めるのは幸村と真田と柳じゃからの〜。抜けてきた」
「あらら〜。後で真田に怒られてもしらないよ〜!」
「そんなヘマはせんよ」
だろうね。
「それよりお前さん…」
「ん?」
「鞄に手突っ込んで、なにしてるんじゃ?」
「え?」
下を見ると、鞄に手紙を突っ込んだままだった事に気づいた。
「あ、…携帯!携帯探してたの!」
「ほぉ〜…あったんか?」
「うん!」
丁度手元にあった携帯を手に取り、出して見せた。
それを見て、雅治は少し笑って私の頭をポンっと叩いた。
「…何かあったら、いいんしゃい」
「…何かって?」
「いや、なんでもなかよ」
…雅治に隠し事は出来ない。しかも、私は隠し事が下手らしい…。
でも、雅治は無理矢理に聞きだしたりしない。私が言い出すまで待ってくれる。そして、無理はするな…って言ってくれる。
雅治は優しくて…すぐその優しさに甘えたくなるけど…でも、これは私の問題だから。
私が…どうにかしなくちゃいけない事だから。
***
「苗字さん…ですよね?」
「え?あ、はい…」
ある放課後。
委員会のあった私は、雅治の待つテニスコートに行こうと下足を出た所で男子生徒に声をかけられた。
誰だろう?
「ちょっと…話したい事があるんですけど…今、いいですか?」
「え…あ…まぁ、いいですけど…」
じゃあ、と言ってその子は校舎裏へゆっくり歩いて行った。
これは…付いて来いって事なのかな?
仕方なく、私は彼の後を追い歩いて行った。
「…ん?あれは…」
私が男子について行く姿を柳に見られてたのに気づく事はなかった。
もし、柳が私に気づかなかったら…違う未来があったのだろうか…――
「仁王君と別れて下さい」
「…え?」
校舎裏に呼び出され、もしかして…これは告白の流れ?!なんて、内心ドキドキしてた私は驚きの余りポカンとしてしまった。
まさか、男子からそんな事を言われるなんて微塵も思っていなかった。
もしかして…この子…ホ――
「…高杉さん、仁王君が好きなんです。だから!彼女の為に仁王君と別れて下さい!」
え?…どういう事?高杉さんって…B組の高杉さんかな?
雅治のクラスに行った時に見た事ある。結構可愛い子で清楚っぽい子。
あの子、雅治の事好きなんだ…。
「君は、その高杉さんに言われてこんな事を?」
「いえ、彼女は関係ありません。僕が勝手にしてる事です」
「…君、高杉さんの事好きなんだ」
そう言うと、彼は拳を握り下を向いた。
「でも…高杉さんは仁王君が好きなんです。彼女には幸せになってもらいたい…だから、仁王くんと別れて下さい」
ある意味尊敬する。片思いの相手の恋の手助けをしてるつもりらしい。その勇気は凄いとは思うけど…。
「そんなの…頼まれて、はい。別れます…なんて言う訳ないでしょ」
「……」
「それに、仮に別れたとして、雅治が高杉さんを好きになるとは限らないでしょ?」
「好きになりますよ…彼女は素敵な人だ」
下を向いていた顔が空に向き、目はどこか遠くを見ている様だった。
「あんなに綺麗な人を、好きにならない訳がない。僕を虜にした彼女は最高の女性なんです」
ニヤリと笑いながら、ゆっくりとこっちに目を向ける彼。
その瞳は…さっきまでとは違う、怖い印象を受けた。
「でも、彼女の求めているのは僕じゃない…哀しいけど…彼女の為なんだ…彼女の笑顔の為…」
悪寒が足元からザッと背筋に走った。私が1歩後ろに下がると、彼が1歩私に近づいてくる。
「だから…別れてください。…あなたが仁王君の傍にいると…彼女の笑顔が曇るんです」
怖い…私は声を出す事も出来ず、少しずつ後ろに下がるのが精一杯だった。
「ちゃんと別れて下さいって手紙も書いたのに…あなたなかなか分かってくれないし」
じゃあ…あれは全部この子が…
「別れてくださいよ…はやく…別れるって…言えよ…」
目を見た瞬間、やばいと思い、全力で走った。
殺気を帯びた目って言うのだろうか。ライオンに狙われてるシマウマの様な…そんな感じだろうか。逃げなければ…殺される…そう思った。
「ハッ…ハッ…アァッ!!」
校舎裏の角を曲がろうとした時、後ろから肩を掴まれ、後方の地面に叩きつけられた。
すぐ起き上がり逃げようとしたが、髪を掴まれ逃げる事が出来ない。
「痛ッッ!離して!」
声は出す事は出来た。…でも震えている。
「仁王君と別れるって言ったら離しますよ…早く言って下さいよ。僕もこんな事したくないんです」
笑って話す彼。
狂ってる…。
「ねぇ…早く言ってよ…じゃないと…早くいわないと…」
彼はズボンの後ろポケットに手を入れた。
ゆっくりポケットから出された手には…キラリと光る銀色の光が…。
「――死んじゃうかもよ?」
光るそれを見せられ、私は彼の体を鞄で殴り、一瞬をついてその場から逃げようとした。
テニスコートへの道はそいつが立っていて行けなく、反射的に元来た道を全力で走った。
一刻も早くこの場から逃げなきゃ!
誰か、誰かに助けを!!
誰かと考えて…浮かび上がる人は一人しかいなかった…。
雅治――
『何かあったら、いいんしゃい』
優しく言った雅治の顔が脳裏に浮かんだ…。
雅治、助けて…。
「まさはッッ――!!」
石に躓いて勢いよく転んだ。
すぐ後ろには、獲物を狙う猛獣の様な目をしたあいつが刃物を構え、私に向かって来ていた。
「やりやがってッッ!!」
「っぅわッッ!!」
刃の柄で思いっきり顔を殴られ、私はその場に崩れた。
それでも這いながら距離をとろうと後ずさるが、ついに壁に追い込まれてしまった。
土まみれの私を見下しすそいつの目は…赤也の様に目を血走らせていた。
「さっさと別れるって言えよ!」
小さく首を振る私の頬を、何度も殴る。
「別ろよ!別れろよ!別れるって言えぇ!!」
声を荒げ、刃物を持った手を大きく振り上げた。私は逃げる事もできず、目を瞑った。
「雅治ッッ!!」
そう叫んだ時、私の頭上で鈍い音が聞こえた。
「…大丈夫か…名前…」
愛しい人の声が聞こえる。
私はゆっくり顔を上げると、大好きな人がそこにいた。
「雅は…ッッ!」
―言葉が出なかった。
私に向ける、優しい笑顔をしたその人の肩に…アイツの持っていた銀色の光が見えたから。
「あ…ぁ……ぁぁあぁあ!!」
正気に戻ったのか…彼は叫びながら走って行った。でも…そんな事はどうでもよかった。
「すまん……助け…られんで…」
「雅治ッッ!!」
崩れ落ちる雅治を抱きかかえると、背中に刺さったソレの周りが、徐々に紅く染まっていく。
「俺は…大じょ…ぶじゃ……」
大丈夫な訳がない…額に汗を浮かべて、息が荒くなってる。
「だ…か…だれ…か…」
雅治の体を抱き、私は絞りだす様に叫んだ。
「だれか…助けてッッ!!雅治が…ッッ誰かぁーー!!」
何も考える事が出来ず、ただひたすらに助けを呼んだ。
あの後、テニス部のメンバーが私の声を聞いて駆け付けてくれた。
私の姿を見かけた柳が、雅治に男と校舎裏に向かったと言ったらしい。
それで雅治は私を追って…怪我をした――。
逃げた彼は、駆けつけたテニス部のメンバーによって捕まえられ、警察へ送られた。
雅治は救急車の中でも、大丈夫だ、泣くなって私に声をかけてくれた。
本当なら…私が支えなければならないのに…雅治の方が…もっと苦しい筈なのに…。
すぐ病院に運ばれた雅治はそのまま手術室へと運ばれてた。
「…苗字、お前も手当てを受けた方がいい」
手術室の前で下を向いて立ち尽くしている私に柳が言った。
「……ぃだ」
「ん?」
私は呪文の様に呟いていた。
「…ゎたしの…せい…だ…。私が…まさは…ると…別れるって言わな…かったから…」
「苗字」
その場に居たテニス部のメンバーも、心配そうにしていた。
「お前のせいじゃない。自分を責めるな」
私は首を横に小さく振った。
「私が…雅治の傍に…いたいって…思ったから…自分のわがままで…雅治がッ…!」
「そんなの我が儘ではない。仁王もお前の傍に居る事を望んだ」
「でもその所為でッ!雅治がッ!ッッ――」
ぎゅっと握っていた手を少し開くと、赤黒い跡がついていた。それを見る度に、さっきまでの光景が甦る。
「…ごめ…なさい…ごめんな…さぃ…」
何度も何度も…私はごめんなさいと言い続けた。崩れる体を支えてくれた柳やテニス部メンバー。皆の優しい言葉。でも、あの時の私は、自分の所為で大切な人が傷ついたと…そればかり思っていた。
別れると言っていれば…自分が雅治の傍にいなければ…こんな事にはならなかった…。
自分の…傍にいたいと言う我が儘で…雅治が傷ついてしまった。
私がいなければ…私の所為だ…。
自分を責め、幾日も部屋に篭り、嘆き続けた。雅治が退院して、私に会いに来てくれた時も、私はずっと謝り続けた。どんな優しい言葉をかけてくれても、ただひたすら謝った。
壊れた機械の様に…。
そして…私は決めたんだ…。
「…わかれよう」
数ヶ月ぶりに外に出た。雅治に…別れを告げる為に。
雅治の家を訪ね、下を向いたまま私は呟いた。
もう、彼の傍にいるのが辛くて…この苦しみから逃れたくて…別れを告げに行った。
「……わかった」
少し沈黙した後、静かに言った。何も言わず、私を責める事もせず、雅治はそう一言言った。
私はとぼとぼと雅治の家を後にした。これで…この苦しみから解放されるんだと思った。
その時――
左腕を掴まれ、後ろを向くと…私の大好きな香りに…抱きしめられた。
強く…強く…左腕に力がこもっていくのが分かる。
大好きなこの腕の中で…もう流しつくしたと思っていた涙が溢れ出した。
抱きしめたかった…。今すぐ…伝えてしまいたかった。大好きだと…傍にいたかったと…。貴方の笑顔を…ずっと傍でみていたいと…。
『守ってやれんで…すまんな…』
私の耳元で…そう一言聞こえた。
雅治は…いつも守ってくれたよ…。いつも私を支えてくれた…。雅治がいたから…私は頑張ろうって思えたんだよ。ありがとう…本当に…ごめんなさい…。
ゆっくり、肩に埋められた雅治の顔が上がり、顔を合わす事もなく…私達は別れた。
吹き抜けていく風で…濡れた肩が冷たく感じた――。
***
後で知った事だけど、雅治が私との別れを受け入れたのは、壊れていく私を見ていられなかったからだと聞いた。あの時の私は、自分の事ばかり考えて、雅治の辛さなんて考えてなかったんだって今更思う。
今なら…また違う未来があったのかな…。もっと、頑張れたのかもしれない。そう思う事も何度もあった。でも…もう過ぎてしまった。終わってしまった事だ。
悔やんでも仕方がない。あの時は、それが精一杯だったんだ…と、自分に言い聞かせた。
想い出の場所を見つめながら、過去に浸っていると、鞄の中の携帯が鳴った。
「もしもし?」
『お前何してんだぁ?もう他の奴ら全員集まってんぜ!」
「あ、ゴメン!今駅だからもう少しで着く!」
『早くしろよぃ!お前来ないと飯食えねぇんだからな!』
「はいはい!今走って向かってるから、後でね!」
携帯を切って、ヒールを鳴らして走り出した。
私以外全員集まってる…。行くか行かないか、ぎりぎりまで悩んだ。
あれ以来、雅治にも会っていないし、どんな顔して会ったらいいのか分からなかった。
でも、3日前、久しぶりに雅治からメールが来た。
ブン太の携帯から雅治が送ったみたいだけど。
『同窓会、ちゃんと出席しんしゃいよ?お前さんがおらんと立海テニス部全員集合にならんからの』
昔と変わらないメールの内容。
私より…雅治がちゃんと来るのかが心配だよ…って…涙した。
もう…雅治への気持ちがないって言ったら嘘になる。今でも雅治との事を考えると胸が苦しくなる。でも、大人になって、あの頃みたいに泣き崩れる事はない。時間が…悲しみも苦しみも…徐々に浄化していってくれてる。
「っと…早く行かないと!」
近づく度に、楽しみと不安とで心臓が煩く音を立てる。
とりあえず、会ったら久しぶりって言って…それからどうしよう…。
もう、昔には戻れないけど…また、新しい関係を築いていけると…いいな…――。
そんな事を考えながら、皆の待つお店へ足を向けた。
fin..
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