夢を見ていた。
夜毎の夢にそれは降りてくる。
「お前に災いをもたらしたものの名前を知っているか?」
二面四臂、半男半女、半神半人、弓を引く王。
声は響きわたる。闇に顔を伏せて声を聞く。どこまでも暗闇が広がっている。闇の空間の中に、顔を伏せて夢を見ていた。
「鉱物のなかで眠り、植物のなかで目覚め、動物の中で歩いたものが、人間のなかでなにをしたか分かるか?」





 枕元に置いていたスマートホンが振動した。目を瞑ったまま手探りで掴む。夢を見ていた気がするけれど、内容は思いだせなかった。
「宿儺がカレー作りすぎちゃって困ってる。今からうちに食べに来ない?」
 虎杖悠仁からメッセージが送られてきた。昼寝の余韻を引きずったぼんやりとした目で画面を眺める。スタバで再会してから数日後のことだった。
既読をつけてしばらくすると、電話がかかってきた。
「カレー…………」
「じゃがいも入れちゃったからさ、冷凍できなくて」
「ああ、それは。食べに行きます」
 寝起きの空腹に、カレーの響きは魅力的だった。私は食い意地の張った人間なのだ。行きますと返事をして家のマップを送ってもらった。私の家からは徒歩かタクシーか迷う距離だけれど、まだ日は高いし歩こうと思った。途中で店に寄って手土産のお菓子を買う。
家の近くにたどり着いてから、電話をする。ラフな格好にサンダルを引っかけた虎杖が迎えに出てくれた。
「急にごめん。ありがとうね」
「いや、こちらこそありがとう」
 案内された家は、マンションの六階で、整頓された快適そうな部屋だった。
「おじゃまします」
 奥から宿儺が出てきた。シャツの袖を腕まくりして、小豆色のエプロンをしている。美味しそうな匂いがしていた。
「今日はありがとうございます」
手土産を手渡す。宿儺は袋の中のお菓子を確認して、納得したように頷いた。合格、といった感じだ。
「座っていろ」
 ダイニングに通される。食卓らしいテーブルがある。揃いの椅子が二脚、向かい合わせに並んでいた。虎杖は別の部屋から大きめのスツールを持ってきて一方に置いた。横並びの椅子とスツールの二つに、テーブルを挟んでもう一つの椅子が相対する。その一つの椅子の方を勧められる。私は座る。
 手伝ったりした方がいいのかな、と思いながら座っていると、すぐにお盆を持った宿儺がダイニングに入ってきた。意外だけれど、エプロンもお盆も宿儺に似合っていた。スパイスの匂いがする。白いカレー皿が三つ、テーブルに置かれた。続いて虎杖がお茶を煎れてくれる。
虎杖がスツールに腰掛け、宿儺はその隣の椅子に座る。私の向かい側に。
日本式のライス・カレーだ。小麦粉のカレー・ルーの香りが食欲をそそる。
「あー、こういうカレー最近食べてなかったな。いただきます」
 にんじん、じゃがいも、タマネギ、牛肉。インディカ米ではない、もちもちとした米。福神漬け。完璧なカレーライスだ。お茶はジャスミンティーだった。すっきりとした口当たりが、こっくりとしたルーに合う。
「ほんとに美味しい……カレー大好き……」
「美味いよな、福神漬けとかこいつが作ってんの」
「え、すごい。福神漬けって家で作れるの?料理、上手なんだ」
「当然だ」
「でもこいつ、気分が乗ったら作りすぎるからなあ。朝からずっとカレーだから飽きてきた」
「うーん、なにかアレンジしてみたら?」
「カツカレーとか?」
「今からカツは重くないかな?」
 私はほとんど夢中で食べ終わった皿の前で首をひねった。
「カレーうどんとかは?」
「いいじゃん!カレーうどんだ!なんで思いつかなかったんだろ」
「うどんって家にある?」
「無い。買いに出る」
 宿儺はさっと皿を片付けて立ち上がった。俺も、と虎杖が席を立つ。家主のいない家で留守番というのも落ち着かないので、私もついていくことにした。

「うどん売ってるお店ってあるの?」
「近くに日本食の店があるんだ。そこに冷凍うどん売ってる」
私と虎杖は並んで歩いて、少し先を宿儺が行く。底の厚いサンダルで、跳ねるように。軒を連ねる屋台の間を抜ける。
「バンコクに移ろうって決めて、バンコクでもどこにする?ってなった時に、スクンビットなら日本食のお店があるし、他にも色々な国の人が住んでるから、色んな国の食べ物が食べられるって聞いて。だからこの辺に住むことにしたんだ」
「虎杖も料理ってする?」
「するする。けっこう得意だよ。鍋とか」
「いいなあ。私は全然自分で作らないや」
 屋台の白熱灯、レトロ風バーのネオンサイン、コンビニの蛍光灯の間を私たちは進む。
「こーやって夜出歩くのって、なんかわくわくしねえ?」
「する」
 細い路地の角にあるお店にたどり着いた。業務用食材と小売りが半々といった感じの食料品店だ。パッケージには日本語が躍る。
宿儺は冷凍食品のコーナーにまっすぐ向かい、迷わず冷凍うどんを手に取った。といっても冷凍うどんはその一種類しか置いていなかったようだ。虎杖はお菓子の棚を眺め、アイスをチェックし、酒類のコーナーで立ち止まった。
「酒飲みたいな」
「今からうどんだよ?」
「じゃあ次、次はお酒にしよ」
「お酒、いける口?」
「まあまあかな。花名島は?」
「お酒は好きだよ」
「やった、じゃあ次は飲もう」
「次、ね」
つぎ、と口にしてみる。それは柔らかい響きだった。

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