◇
夢には虎が棲む。
大陸の虎だ。虎の脚は太い。
虎は塀で囲まれた庭にいた。竹林と蔦と椰子の庭。大きな岩は苔むしている。虎の庭は壁に嵌ったガラス窓で隔てられている。ガラス窓の向こうから、虎はこちらを見ている。縞模様が竹の叢にまぎれて立つ。
「お前は今から十年後にスクンビット通りで右折してきたダットサンに撥ねられて死ぬ。それは決まっていることだ」
後ろから声が響いた。誰かが背後に立つ気配がある。気配だけが、ある。窓に姿は映らない。これは夢だ。夢でしか起こらないことが起こり、夢の理論には抗えない。
「お前には望むものがある」
ガラスに指を触れて虎を呼んだ。虎は恐ろしい。恐ろしいのに。
◆
次はお酒を飲もう、という話の詳細はカレーうどんを食べている間に決まった。宿儺を誘っても、「お前たちで勝手にやっていろ」と断られてしまったが。映画でも見ながらだらだらお酒を飲みたいね、ということになった。今日は家に呼んでもらったし次は私のマンションを場所として提供したい、と申し出た。
カレーを食べてから二週間ほど後の日。曇り空の夕方に、虎杖は私の家にやって来た。
「おじゃましまーす」
虎杖は玄関を見回す。
「めっちゃ片付いてんね。広い!」
「さあ、あがってあがって」
「ほんとに、俺と宿儺の家より全然広いじゃん」
行儀悪くてごめん、と言って、それでも目を輝かせてきょろきょろしている。
「リビングこっちだよ」
「あれ?じゃあこっちは?」
「書斎だよ」
「書斎!」
虎杖をリビングに案内する。
「テレビもでっかいね。ここで映画見る?」
「まあ、座って座って」
テレビの前のソファーを勧める。
「もしかして花名島って、実はお金持ち?」
「まあ……お金持ちといえなくもないかな、今日に限っては」
「今日に限っては?」
私はソファーに沈みこんでいる虎杖の前に立つ。
「あのね、言ってなかったんだけど、私の仕事はメイドなの。お金持ちのお家の専属メイドってやつ。ここ、実は私の家じゃないの。ご主人様の家なの。ご主人様は家族全員、今日から二泊の御旅行で留守にしてる。本当は非番の日に出入りしちゃだめなんだけど。私は勿論鍵の番号を知っていてね。だから今日一晩、この家を好きに使える。」
「すごいけど、それってヤバくないの?」
「まあ大丈夫でしょ」
虎杖を残して、キッチンの冷蔵庫にビールを取りに行く。冷えたビールを手にして、私は笑う。棚からウイスキーとブランデーの瓶も取り、全部無理やり抱えて持ってきた。ローテーブルにお酒を並べる。ブランデーの瓶を眺めて、虎杖は「高いやつだ……」と呟いた。
とりあえず冷えたビールで乾杯をする。適当につまみも開けた。しばらく飲んだところで、私のスマホが鳴り始めた。私は席を立って電話に出た。
「どうしよう……」
私の声に反応して、虎杖は不安そうな声で振り向いた。
「どうしよう、御主人様がこれから帰ってくるって、旅行先の道が大雨で通行止めになったらしいの。まだ近くにいるから、とりあえず今から家に帰ってくるって……あと三分で着くみたい」
「え、えっ、マジで?どうしよう」
「とにかくすぐに隠れて、私が出迎えてる間に」
「隠れるったってどこに?ちょっと待ってよ」
私はリビングに虎杖を残し、廊下を駆け出した。酒瓶を棚に仕舞う。しんと静まった部屋に、電子音が響き渡った。玄関のオートロックの開錠音だ。慌てて玄関に向かう。
「お帰りなさいませ……ええ、はい…………」
二人分の足音を響かせながらリビングの方に向かう。
「そちらの部屋でお休みに……?そうですね……はい……」
リビングのドアノブに手をかけ、ゆっくり、音を立てて開く。部屋の中に入る。
私の隣の人物は笑い声をあげた。
虎杖はリビングの真ん中の木製のローテーブルの下になんとか手足をおさめて丸まっている、が、ばればれだ。
「もうちょっと他に隠れるとこあったでしょ」
私の隣にいた男はテーブルの前のソファーにゆったりと腰掛け、愉快そうな笑みを浮かべる。
「っていうか、宿儺じゃん!なんで!?」
ごつ、という音がローテーブルから聞こえる。叫んだ時にぶつけたか。私は虎杖の腕を引っ張ってテーブルの下から引きずりだす。
「あーごめん、ごめん、大丈夫?……ふふっ、」
「手の込んだドッキリだな……」
「ドキドキした?」
「した。すごい焦った。乗るなよお前も」
お前も、と、虎杖は宿儺に呼びかけた。
宿儺は虎杖を見下ろしてまた笑った。
「……ってか、なんで宿儺なの」
「いやあ、私、ここで他に友達いなくて」
「嘘、でもここにけっこう長いこと住んでるんだろ?」
「五年かな」
「五年住んでるのに?」
虎杖の純粋な視線がすこし痛い。
「五年住んでるけどさあ、ほら見て、私のすぐにかけられる連絡先、虎杖と宿儺だけだよ」
と言って、私はスマートホンを手にした。
「そもそも宿儺とはいつ連絡先交換したんだよ」
「こないだね」
虎杖に連絡先の画面を見せる。
「ほんとだ、少ない。なんで?」
「人見知りなの」
「俺とは全然普通に話せてるじゃん」
「虎杖のことはさ、なんか昔から知ってた気がして、普通に喋れるの。不思議だけど。すごい良いヤツだからかな、なんでだろ」
私がそう言うと、宿儺はさもおかしそうにくつくつと笑った。
「え、私なんか変なこと言った?」
ビールはぬるくなっていた。もったいないのでそれを全部飲んでから、冷えたビールをもう一度持ってくる。宿儺はウイスキーの方がいいそうだ。ウイスキーグラスと氷を用意する。生憎うちにあるグラスは虎杖に出したものと宿儺のウイスキーグラスの二つだけで、私は缶のままビールをすすった。
「どうしても宿儺の作った夜食が食べたくて、面白いことあるからって頼んで来てもらった」
「俺のことダシにしたんだ……」
「でも美味しいおつまみ食べたいでしょ」
宿儺の披露してくれたカレーは本当に美味しくて、この料理をおつまみに宴会ができたらたらどんなに良いだろうと思ったのだ。私の家のキッチンは広くて、電子レンジとは別にオーブンがある。トースターも食洗器も揃っている。家具付きの家だったので、調理器具一式が揃っていた。普段はそのほとんどを使っておらず、綺麗なままだ。全部好きに使ってと宿儺に頼んだ。今、そのキッチンを存分に活用してくれているはずだ。良い匂いがする。
「台所は悪くはないが、冷蔵庫はロクなものがなかった」
と言いつつ、から揚げを作ってくれた。チリソースが添えてある。
「ビールと揚げ物!最高、分かってるじゃん……」
チリソースの程よい辛味でビールが進む。うれしくて、もう一度乾杯をした。じわじわと酔いが回ってくる。
「そうだ映画見よう、映画。何にしよっか。選んでいいよ」
見放題サービスから、好きなものを再生してもらう。
虎杖の選んだ映画は、聞いたことのないタイトルだった。短くて登場人物も少ないけれど話の展開が凝っていた。ラストには物悲しい余韻が残った。こういう映画を、虎杖はどこで覚えてきたのだろう。次に宿儺が選んだのはスプラッタホラーで、私は悲鳴を上げて一時停止し、厳重に抗議した。宿儺はからかうように笑っていた。虎杖に訴えかけると、「これ、最後まで見ると意外と深くて面白いんだよ」となだめられて再生ボタンを押された。なんだか裏切られた気分だ。
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