死の報復1




「おい、早くしろ」
「自分で書きまーす」

「久部さん」
「久部」
「久部くん」

「あああああ!もう限界っす!!!
こんなの一人で間に合うはずないじゃないですか!!!」


温厚な後輩の叫び声に、集中していたモードが切れる。
三澄班、中堂班に分かれて解剖を行っている途中の出来事だった。

班長である上司のせいで臨床検査技師が不在の我が中堂班は、記録係だった私が助手を務めることになってしまっている。
おかげで三澄班の記録係である久部さんが兼任させられてしまい、ついには発狂してしまった。

とうとう新しい人材が来るまでは、解剖依頼を減らすことになった。

「中堂班は三澄班のサポート」
「は?」「はーい」

「一つのご遺体に法医解剖医二人が入れば、少しでも時間の短縮になるでしょう」
「いや、変わりはしませんよ」
「二人体制、私は賛成です」
「え〜いいのー?」
「そういう体制でやってるところもあるんだよ」
「私も異論ありません」

解剖後の器具を洗浄中。なかなか落ちない血液をゴシゴシしながらそう口に出す。
隣にいる東海林さんがニヤリと笑っている。


「では第一執刀医を三澄さんで二人体制!」
「俺は賛成だと言っていない」
「中堂さんに選択権はありません。」
「…クッソ…なんで辞めたんだ坂本は!!」

「そりゃ傍若無人なパワハラ野郎だからじゃないですか?」
「なんだと!?」
「まーまーまー!落ち着いて!とにかくその体制でお願いしますよ!?」

持っていたシャワーを構えて応戦しようとしたところで神倉所長が間に入ってしまう。水を出していなかったのが幸いだ。



「もうなまえ〜!!!」
「なんですか?」
「ほんとアンタって最高!」

解剖後に食べる食事はまさに栄養を摂っていますと言わんばかりに美味しく感じられる。体に染み渡るような感覚だ。
定食屋さんを出てまっすぐラボの喫煙所を経由し、オフィスに戻ってくるとまさに今食事中の三澄班に捕まる。
さっきの解剖室での件を話していたらしい。

「中堂さんにあんなに堂々と言えるのアンタだけ!」
「だって腹立つでしょ?」
「だからって口に出します?」
「しばらく不機嫌モードだったもんね」

もぐもぐしている三人になんだか癒しを感じられる。
外出した私と違い、三人はそれぞれ近隣で買ってきてオフィスで食べている。中堂さんもしかり。まあ中堂さんはカップ麺だろうけど。
所長室のドアが閉まっているのでまだ不機嫌モードのままなのかもしれない。


▽△▽


「えっ青森?」
「そうそう。MARSの件でうちを知ったんだって」

出勤して荷物をデスクに置きながら、明日届く予定の解剖についての話をふられる。
ある意味な広報活動のおかげで新しい依頼が飛びこんでくる。
まあ、【いつか何かあったときのために】なんて起こらないほうがいいんだけれど。

今日以降からは二人体制なのだからかなり短縮して行えるし、その分ほかの業務に時間を割くこともできる。
溜まったままの書類やデータの管理がデスクの上に乱雑に置いたまま。これを、片付けられる。


「なまえも読んだ?蜂蜜ケーキの記事!」
「読んでないです」
「これこれ!」
「………へぇ、きもくない文章ですね」
「それなんか前も言ってたよね、ミコトの記事だったっけ」
「この文章の人と前の人は違うと思いますよ」
「えっ」
「えー!そんなのわかんの?!」
「なんとなく。文体で?」
「超能力みたいじゃない?」
「……」


▽△▽


ご遺体の受け取りに向かう三人を見送りながら、解剖室の準備を行なっておく。
スムーズに進めるよう、器具を出しているとペタペタと足音が聞こえ始めた。

「まあ、誰かに突き落とされたとしても溺死は溺死で所見は同じだな」
「…」
「この…共感性皆無男が」「ぶっ!」
「なんだ?なんか言ったか」
「イイエ、なにも」

ばちんと叩かれた背中にふふと笑みを返す。うん、いつも通りだ。


「周囲に胸腔液」
「胸腔液採取しま〜す」
「はーい」

口頭で伝えられる順序や状態を所見記録に事細かに記録していく。
本当に自殺かどうかもわからない、溺死で正しいのかもわからない彼女の、最後の情報を。

「解剖医が二人いると同時進行でいいですね〜」
「さっさとやれ」

「記録係も二人いると楽だね」
「はい。身に染みます。」

三澄班に中堂班がサポートとして入るとこうなるんだなあ、なんて呑気に書き込みながら写真を撮ってくれている久部さんに言うと、この前の発狂の件もあってその表情はとても晴れやかだった。
「検査技師ももう一人欲しいよ〜寂しい!」
「ふふ」

東海林さんが検査キットに手をかけながら言うので思わず笑いが込み上げた。こんなふうに和気藹々とした解剖室は初めてだ。
いつもはむすっとした傍若無人な上司と必要最低限の会話しかしないからだろう。

そこへどこかから駆けてくる足音がする。

「あ〜〜〜〜〜っ!!!」
「うわっ」

「えっ」「いったあ……」

突然の声に肩が跳ね上がり、持っていたペンを落としてしまった。それを拾おうと屈むと声に驚いた久部さんの手が直撃し、鼻を強打する。
悶えるように唸ると「だ、大丈夫ですか…」と申し訳なさそうな声がする。
それよりも。

「木林さん!?」
「開けちゃったか」
「それうちのご遺体です」
「えっ」

「うちの葬儀場から盗まれたご遺体なんです」

「三澄さん今、死体損壊罪になってます」
「………えっ?」



▽△▽

「…それ怒られますよ」
「黙ってろ」
「どうするつもりですか」
「いいから黙ってろ」
「…………」


三澄さんと所長が西武蔵野警察署に向かうのを見送り、残ったご遺体の処置は中堂さんが行うことになった。
記録していた紙は処分することになるだろうと思いながらもペンを止めなかった。

「ん」
「はい」

渡された鉗子を受け取り代わりに針を手渡す。

「…では共犯になります」
「!……勝手にしろ」

驚き、思わずこちらを見たと言わんばかりの表情で丸くなった瞳に自分が映るのが見えた。
どこか間抜けな表情にゆるゆると自分の中の何かが絆されたようで、それを見抜かれないよう視線を逸らした。

「検査出しときます?」
「ああ」

「…鼻赤いぞ」
「えっまじすか。さっきのかな」

ケースに入れた"それ"を抱えながら、書き記した書類もバインダーごと掴む。
背中に視線を感じて振り向くと背の高い中堂さんが覗き込むように顔の中心を見ていた。
指摘されたのはさっきの久部さんの手の甲で強打した鼻だ。

「あとで冷やしとけ、不細工だぞ間抜け」

「…ノンデリめ」

赤くなった鼻をバインダーで隠すも時すでに遅し。
フンと鼻を鳴らし少しだけ上がった口角がバカにしたようでイラッとするも、その人物はすでに部屋から出て行っていた。
坂本さんに"クソ"の禁止を誓ったのならば、私には"不細工"と"間抜け"の禁止を誓ってもらいたいものだ。



▽△▽


"きっと捨てられたんだ"、"だから自殺に違いない"。
なんて身勝手な憶測なのだろう。
ご遺体の両親は夫と名乗った鈴木さんに対する憎しみが混じった判断を下している。
彼女がどんなふうに彼のもとで生きていたか知らないから。
もしかしたらとてつもなく幸せだったのかもしれないのに。

そこまで脳裏に浮かんだものの、私も知らないくせに何を考えているんだろうと思考を止める。

「帰ってきたら、彼女がいない。」

三澄さんたちの会話を耳にしながら、検査から戻ってきたデータを打ち込む。目の前の仕事を片付けながらも、思考は今朝の女性とその彼のことばかりで埋まる。

どれほど辛いことか。死に目にも会えず、死んだ後も会わせてもらえず。

結局彼女の溺死が自殺か否かを調べる段階までになかったことからこの件は終結すると神倉所長が宣言してしまった。
デスクの上の乱雑に置かれた書類の束を整理しながら、目が合った所長の視線を無視する。ごめんなさい、見てわかる通り無理ですというアイコンタクトをして。

「中堂さん…か、中堂班の方いますか?」
「あっ…はい!」
「これきのう頼まれてた…「ああ!」…いいですか?」
「どうしたのなまえ」

渡された紙一枚を検査員の方から強奪するように掴み背中に隠した。

「ここの遺体番号が記入されてないのでシステム上決済に回せないんで、記入頼んでもいいですか?」
「…なにそれ。なまえ、見せて」
「………」

検査員の方の声に反応した三澄さんの鋭い眼差しから逃れられず、おずおずと差し出すと文字を追っている瞳がぐるっと動いた。

「どうかしました?」
「あっ」「わっ!びっくりした〜」
「…なんにも!問題ないです。お疲れ様です!」

理解した瞬間、所長から隠すようにしてくれた。
所長やほかのみんなにバレないよう三澄さんをオフィスから引っ張り出した。

「なによこれ!」
「いやだって…」
「だってもなにも!どういうこと?!」

小声ながらも怒りを露わにしている彼女が眉を寄せている。そんなことは初めからわかっている。バレたらやばいことも。

「調べなきゃと思ったんです」
「!……なんで?」
「中堂さんを、見てたから…?」
「俺がなんだ」
「!」
「アッ!イイエ!なにも!」
「中堂さん!どうせ指示したの中堂さんですよね?!」

三澄さんに掴まれ、結局二人並んで怒られることになった。

「ご遺体ちゃんと返したんですよね…?」
「……」
「まさか他にも?」
「あーー、そういえば、肺を体にしまい忘れた。」
「………」

絶句した三澄さんに、中堂さんは悪びれない様子で話している。同様に見つめられてはこちらは申し訳ない表情を作るしかない。

「なまえ、ちゃんと中堂さん見ててよ!」
「えっ」
「みょうじも共犯だ。」
「えぇっ?!」
「ちょっと…そんな素直に話さないでくださいよ」
「なまえに期待した私がバカだった…」

「心配するな、ちゃんと保管してある」
「ウソでしょ?!あるの?」


解剖室へと三人並んで向かい、ケースに保存している番号は666番。
この行為が窃盗であることを指摘されると、中堂さんは屁理屈をこねた理由を述べた。
【"遺体を閉じろと言われたから閉じた。肺を戻せとは言われていない"】と。
呆れた様子の三澄さんは二の句が告げられず、閉口した。


「プランクトン検査は?」
「海水の成分は検出されましたが、めぼしいものは出てないですね。」
「現場の海水との比較が必要だな。」
「ですね」
「まだ調べるつもりですか?なまえまで…」

「…」
「なまえならまだしも、中堂さんは個別の案件に深入りするタイプじゃないと思っていました。どうしてそんなに?
納得のいく説明をしてください」

「考えたことがあるか?
永遠に答えの出ない問いを繰り返す人生。
今結論を出さなければもう二度とこの人物がどうして死んだのかを知ることはできない。
今、調べなければ…。
調べなければ、永遠に答えの出ない問いに一生向き合い続けなければならない。

そういうやつを一人でも減らすのが、法医学の仕事なんじゃないのか?」



そう言われて、三澄さんは口を開くことはなかった。表情は納得していない様子だったけれど、理解はできると、物語っていた。


悲しげな眼差しを横で見つめる。
わかっている。彼女と同様、私も納得はできずとも理解はできる。

中堂さんは、今も、八年経っても。
答えのない問いに向き合い続けている人だから。