死の報復2



ポコン、気の抜けたスマホの通知音に瞼を擦る。帰宅してから泥のように眠った木曜日。
日付が変わった深夜一時のことだった。

【AM 6:00 東京駅へ来い。青森に行く】

今から五時間後の話をしているのか?まじで?
眠気が吹っ飛んだ内容に急いでお風呂に向かった。十五分後、バスタオル一枚のまま小さいキャリーケースに荷物を詰め込んだ。濡れた髪から水滴が落ちるのも構わずに。

そこから二時間だけ眠り、指定された東京駅へタクシーで向かう。
見慣れたモスグリーンを見つけて走ると「遅い」と文句。
寝起き+短い睡眠時間+時前の連絡が五時間前であることに苛立ちを含めて舌打ちで返すと不思議そうにされる。なんでだ。

三時間で到着する予定と記されたチケットを渡されそのままポケットにしまい、乗り込んだ座席に座ると隣で既に寝るつもりのもじゃもじゃに一応声をかける。

「タバコ吸ってきます」
当然ながら返事はない。




朝十時過ぎ、青森駅から被害者が飛び込んだ海がある最寄りに到着するとすぐにタクシーに乗りこんだ。
向かいながら現地の所轄へ連絡をすると警察官一名を派遣すると返事をもらった。

「ちょっと、聞いてます?」
「…さみいな」
「無視。…当たり前でしょう、青森ですよ」

東京に比べて幾分も低い気温に白い息が目立つ。マフラーに顔を埋めながら、冷えた手のひらをポケットに入れたカイロで温める。
もっとはやくに連絡してほしいという意見はスルーされた。
調査から帰宅までほぼ一日で敢行しようとしているのかと思えば一応一泊するらしい。

「えっホテルどうやって取ってるの」
「きのうのうちに二部屋取った」
「…ならいいですけど」

なんの相談もないながらに付き合ってしまっている自分がバカなのはわかっている。

港でもある現場には鴎の鳴き声と船の汽笛の音が響いていた。

「中堂さ〜ん!みょうじさ〜ん!今そっち行きます〜!」
所轄の警察官が反対側から叫んでいるのを手を振って返事を返した。

警察の捜査によって目撃者の男性がいた場所と飛び込んだ埠頭、発見現場、二つが記された地図を見せてもらう。

「私ここやっとくんで、中堂さん発見場所のほう行ってもらえます?」
「わかった」

持ってきた容器に海水を入れ、採取した場所、日付を記入してケースに戻す。
表層、中層、底層の三層を複数箇所分。
それぞれ取っていくと相当な重さになる。ケースがパンパンになった頃、中堂さんも同じように採取してきたケースを肩にかけて戻ってきた。

「帰った方がいいんじゃないですか?」
「…いい。せっかく取ったんだ。休んでから戻るぞ」

採取した水(激重)を持ち歩くのが嫌で、それならもういっそ帰るのはどうかと提案したものの、弾丸ツアー並みのスケジュールだったこともあって疲労感あふれる表情で拒否された。

「えっ取れてないんですか?!」
「申し訳ありません…ダブルブッキングだったようで…」

「……ドラマじゃあるまいし…」
「…仕方ない。行くぞ」

ホテルに到着した頃には既に辺りは暗くなっていた。主張する疲労と空腹に合わせて部屋が一つ取れていないとまで言われると眩暈までしてくる。
申し訳なさそうなフロントの男性から鍵を一つ受け取ると、さっさとエレベーターに向かう男の背を追う。
幸い部屋はツインだそうだ。
まるでドラマのような展開に、ポーカーフェイスが崩れそうになるのをなんとかこらえた。心臓は、とても速い。



「戻りました」

家族風呂とホテルの露天風呂どらちを選ぶかと言われれば。
ここまできて室内にある、どこでも入れるようなお風呂に入るわけがない。
都心部であっても景色が綺麗なホテルが幸いして露天風呂は最高だった。
出張であることも忘れて一時間もお風呂を堪能してしまった。
髪を乾かす時間も惜しく、もうこれでいいやと急いで戻ってきた。半乾きな気がするけれど仕方がない。

「一時間も風呂でなにするんだ」

待っているとは思わなかった男が不機嫌そうにビールを煽っているのを見つめる。
「すみません」と小さく返事をして、荷物を置く。
奥の椅子に鎮座する中堂さん。もうそこが自分のものだと言わんばかりにベッドへ荷物が積まれている。
必然的に入り口に近いベッドが私のものとなる。
急いで寝る準備を進める。
酒を飲む余裕などない。明日はラボに戻らなければならないし乗る予定の新幹線は始発だ。


「おい」
「なん、ですか」

キャリーケースに荷物を詰めていると背後から話しかけられ振り向くとすぐそばまで近付いてきていることに気が付かなかった。
動揺を必死に隠しながら、どうにか言葉を紡いだ。
いつもよりも眼光は鋭くない。むしろ、とろんとした眼差しになっている。どうする、どうすれば?

「飲むか?」
「いり、ません」

吐息がかかるほどの距離に思わずたじろいでしまった。
お酒のせいで少しだけ熱を持った頬に、くるんと巻いた前髪がかかっている。
詰められた距離を、わざわざ離れるようなことをすれば意識していると言わんばかりかもしれない。
ここは、平常心。

「…お前がいてくれて、よかった」

肩口にかかった体重に硬直する。さらりと首筋にあたる髪の毛がくすぐったい。
ぼそりと告げられる、珍しい彼の呟きに心臓がギュッとなった。

「あ…ありがとう、ございます」
「ああ」

精一杯の返事に、普段通りの低い声が返ってくると肩の重みが消える。
その後何かを言うでもなく、備え付けの椅子に座って変わりなく酒を煽る姿に、【今のなんだよ!?】と大声で叫びたいのを我慢した。

普段から気安く誰かに触れたりするような人じゃない。おふざけでもそんなことするところを見たことがない。

顔が赤いかもしれない、とふと気がついたけれど、幸いにして間接照明しかついていない。多少薄暗いこの中じゃバレはしないだろう。

「わたし、寝ますよ」
「おう、寝ろ」
「明日の新幹線、始発ってわかってます?」
「わかってる。取ったのは俺だ」
「なら…いいです。おやすみなさい」
「!……おやすみ」



聞いたこともない優しい声が返ってきて、心臓は一段と跳ねた。まさか、聞こえないよな?
ていうか、どうやって寝ろと?

耳に残るおやすみがいつまでも早鐘を鳴らし続けた。



▽△▽


勝手に宿を取り勝手に調査に組み込んだ彼女が疲れから眠りに落ちるまでは早かった。
寝息が聞こえ始めることにひどく安堵した。

風呂上がりの女とはこんな無防備なものなのか?
ラボでシャワー後を見たことが何度もあったというのに。普段と違った様子にコイツも"女である"と今更ながらに思ったのだ。

少し濡れたままの、普段は纏められた髪が下ろされている。
それだけで心臓が跳ねた。なんなんだ、この感覚は———。

みょうじのベッドに近寄り、眠っているのをいいことに覗き込む。毛先がまだ少し湿ったままの髪が枕に散らばっている。
なんで俺は今触れたいと思っているんだ。自問しても答えはない。


触れると、自分にはない柔らかさを指先に感じる。
その温かさ、寝息に、さっきの『おやすみ』が耳に残っていることが、胸の奥で小さな波紋を広げる。

思わず目を閉じて、その余韻に浸る。