誰がために働く1
「こちらでーす。もうまもなく始まりますので、お急ぎくださーい」
ラボの見学説明会があると言われ準備を始めたのが先月の頭だった。
実際に教壇に立ち、話すのは三澄さんだ。中堂さんにそんなコミュ力はないし本人もやるつもりが無いから。
UDIは法医学者がいなければ何もできないのだからどちらかが立たなければできない。二つ返事の三澄さんに所長は嬉しそうに笑っていた。
見学者向けの資料や、実際にどんな話をするべきなのか。今週はそんな会議ばかり行なっていた気がする。
見学に来てくれた人たちに配るビラも、ラボの資料作成も行った身としては、受け取ってくれるだけでありがたい気がしてくる。
「どうぞー」
「ありがとう」
ビラを配った相手はサングラスの綺麗な女性だった。
ふんわりとカールした毛先を目で追う。胸元にはバッチがついている。一瞬だったけれどあれは。
「弁護士バッチ…」
三澄さんの講演が終了する頃になるとたくさんの人が動き始めた。
また新たに来られた見学者へビラ配りを続けていると、講演に一緒に出ていた東海林さんと久部さんも現れ、持っていたビラをいくつか分けて持って行ってもらった。
一人で配るよりも早く無くなりそうで助かった。
「こんにちは〜」
「こん、…あれさっきの」
「三澄ミコトの、母です」
「え…わあ。そうなんですか。お世話になってます。」
「まあ、可愛らしい。あらっ?どうも〜!」
「どうも…」
「ミコトの母です」
「えっ…あっ久部六郎です」
「久部さん、独身?」
「えっ、独身です…」
なんだあれ。お見合いかな?
▽△▽
見学者が完全にいなくなったか確認のために講演した会議室、案内した所内のすべての部屋を見回る。
解剖室のほうからパタパタと足音がして、そこに向かってみても誰もいなかった。
気のせいだったのだろうか。
そもそも解剖室に見学者は来ないし、その後は特に問題はなさそうだったのでラボに戻ることにした。
久部さんが残った機材(めちゃ重い)を回収してくれて助かった。
ああいうとき、中堂さんならさっさと帰っている。手伝いをお願いしても無視するくらいだ。
「わあ。おいしそう」
三澄さんのお母様の手土産である"しあわせの蜂蜜ケーキ"を分けてもらう。
三澄さんのお母様が来られた理由は解剖依頼の件で、どうやら所長と三澄班で対応するようなので私はデスクに座っていただいたケーキを頬張ることにした。
"しあわせ"と銘打った商品のわりに内情はそうでもないのだろうか。味はとても美味しいけれど。
背後で交わされる話の内容に、なんだか後味が悪くなった気分だ。
目の前に座った中堂さんは黙々と作業している。時折合う目も、すぐに離されてしまう。
【いつまでも逃げおおせると思うなよ】
烏田検事の声が脳内でリフレインする。
あれを聞いてから、中堂さんは以前にもましてよそよそしい。よそよそしいと言うよりもはや無視というレベルだ。
業務に差し障りない程度に話すけれど、それ以外は皆無。
▽△▽
「あ、あの!」
ラボに戻る廊下を歩いていると聞き慣れた声が届く。
「あら、さっきの。みょうじさん、だったかしら」
「はい。その、…ちょっとご相談がありまして」
「!わかった。どこか話せる場所はあるかしら?」
「あー…じゃあこっちで」
帰宅する三澄の母親と名乗った女性を呼び止めるみょうじをみつける。
もらった名刺に記されている職業は弁護士。
みょうじがこそこそとしているのも珍しく、そんな様子に不審に思った中堂は後を追うべきか思案する。
しかし先日の裁判でのことを思い出した。検事に話しかけられた時のことを。
彼女は普段ではありえないような、見たこともない表情をしていた。
それがどんな感情によるものなのか中堂にはわからなかった。
チラチラと視線を感じる帰りの車内でもその後でも。みょうじは何一つ聞いてくることをしなかった。
二人の背中を見送りながら、自分が立ち入るべきではないと考え直し、向けていた足をラボの方に戻した。
それを、後悔する日が来るとも知らず。