君を沢山傷付けて逃げていた


「なぁ、俺から離れないでよ」

石田がそう言うと、彼女は怯えたように彼の腕にしがみついた。
その様子はとても可愛らしくて、彼はつい笑みをこぼしてしまう。

「……うん」

そう言って優しく包み込むように後ろから抱き締める。
すると彼女の身体からは力が抜けていくのを感じ、どうやら七子は安心したのだろうか、少しだけ体重をかけてきた彼女に愛おしさを感じる。

石田は彼女の全てを自分のものにしたいと思っていた。

しかしそんなことをしたら壊れてしまうかもしれないとも思い、いつもギリギリまで追い詰めてから手放すのだ。
そして彼女が自分を求めてくる姿を見て満足するのだった。

(俺ってこんなに束縛強い方だったっけ?)

自分でも驚くくらい彼女を縛り付けている自覚はある。
ただそれが心地よくもあったし、彼女といる時間が何よりも幸せであった。

「俺だけ見ててよ」

耳元で囁くとビクッとして震える姿もまた可愛いくて仕方がない。

「い、いつも見てるよ?」

そう言った彼女の首筋に、そのままキスをする。
甘い香りがしてクラリとした。
舌先で舐めるとまた小さく反応するのが堪らなかった。

しかし石田は、彼女のその受け答えが気に食わなかった。


「嘘だろ。今日だって、宮田先生に会いに行ってたじゃないか」


彼の声がいつもより低くなり、不機嫌さを隠さなくなったことに七子は気付く。

石田の言葉に七子はハッとする。

それは事実であり、否定しようのないことだったからだ。
しかしそれを責められるとは思っておらず、動揺してしまう。
だが、ここで言い訳しても余計に彼を怒らせるだけだということは分かっていたため何も言わなかった。

すると石田は乱暴に七子を正面に向かせて肩を掴む。

「言えないんだ……」

石田の声色は更に低くなった。

それに比例して七子の腕を掴む力が強くなっていく。
痛みを感じたのか七子が顔を歪めたが、それでも彼女は黙ったままだった。

彼は自分がどんな表情をしているかなど全く考えていなかった。


本当は彼は、束縛なんてするつもりはなかったのだ。
初めは軽い気持ちだったが、いつの間にかどんどんエスカレートしていってしまいこうなっていた。

それは全て自分の自信のなさからくる、嫉妬心が原因だと分かっている。

(俺は……こんなはずじゃ……)

しかし、もう引き返せないところまできていることも分かっていた。
だからといってこのままではいけないことは分かっていたが、この感情を抑える術を知らない彼にはどうすることもできなかった。


七子のことを大事にしたかったのに、今ではただ傷付けることしかできない自分に嫌気が差していた。

「痛、いよ……。離して」

そう言われても掴む力は弱まるどころか強くなる一方だった。

「約束したじゃないか」

石田は泣きそうな声で呟きながら七子を抱き締める。

その様子に七子は何も言えなくなってしまう。
確かに束縛され続ける日々が辛いものだったが、でも彼は七子に対しては優しかった。

しかし宮田の所へ通うようになり、気持ちが傾かなかったと言えば嘘になる。

「ごめん、ね……」

石田の背中に手を回しながら、消え入りそうな小さな声で謝ると彼は七子を強く抱き締めた。


「……駄目だよ、七子」


そう言うと俺は、白く柔らかい腕に噛み付いた。
歯形がつくほど強く噛めば、彼女の身体は小刻みに震え出す。

その姿に興奮を覚えた俺は何度も同じ場所を攻め立てる。
上下の犬歯を立てて肉に食い込ませれば赤い血が流れ出し、小さな肉片が口の中へ入り込んできた。

「……ッ!!」


眉を寄せて痛みに耐える彼女の顔を見て、思わず笑みを浮かべてしまった。

(あぁ、やっぱり君は綺麗だな……)

そう思いながらも、彼女の腕に舌を這わせて舐めると鉄の味が口の中に広がっていく。

もっと彼女を自分のものにしたいという欲求が高まるばかりで、どうすればいいのか分からなくなっていた。

腕から口を離すと、七子の腕の肉を千切られた所は、少し凹んでおり白い肉が見えている。

そこから流れる血液は止まる気配がなく、トロトロと腕を伝って床に滴り落ちていた。

やってしまった……と後悔してももうすでに遅かった。

自分のしたことに罪悪感を感じて彼女の顔を見れば、涙目でこちらを見つめている。
そして、俺の視線に気付いたのか、ゆっくりと俺の首に両手を伸ばしてきた。

何をされるのかと身構えたが、彼女は俺の顔を引き寄せて唇を重ねてくる。

「ごめんね……」

彼女のその温もりに安心したのか、先程までの焦燥が徐々に落ち着いていった。

七子を愛しているのに、歪んだ形でしか表現できない俺は狂っているのか?と自問する。

しかし、彼女を手放すことなどできるはずもなかった。
彼女も同じ気持ちであってほしいと思う反面、俺から離れていくのではないかという不安もあった。

「七子、ごめん……ごめん……!」

石田は、彼女の首筋に顔をうずめて謝罪の言葉を口にすることしかできなかった。

そんな石田の様子を見た七子は彼の頭を優しく撫でる。

「大丈夫だよ、びっくりしただけだから」

その行動が嬉しくもあり、辛くもある石田は複雑な心境だった。

また彼女に甘えて傷付けてしまうからこそ、これ以上自分勝手で我の強い人間にはなりたくなかった。

しかしながら、七子を愛せば愛するだけ、独占欲が増していき縛り付けたくなってしまう。

「大丈夫、大丈夫だからね」

その言葉は七子の怪我に対してではなく、きっと石田自身に対してのものだった。

彼はそのことに気付いていたが、何も言わずにただ七子の体温を感じていた。


こんなにすぐ嫉妬するような幼稚な俺に七子は着いてきてくれるだろうか。

俺は七子を幸せにしてあげられるのだろうか。


答えの出ない問いばかり繰り返してしまい、七子の気持ちを考えていない自分に辟易していた。

そうしている間にも七子の腕からは赤い血液が流れ、絶えず床に垂れている。

彼には傷付けた罰だと言わんばかりに、ずっと、ずっと目に焼き付いて仕方がなかった。


あの時、彼女が宮田の元へ通っていることを知ったとき、頭が真っ白になった。
今まで我慢してきたものが一気に溢れ出したのだ。

自分がこんなにも嫉妬深いとは思っていなかったし、こんな醜い感情を持っているとは思わなかった。

その感情を説明するならば、自分の独占欲の延長であり、自己満足の塊でしかなかった。
そして自分を正当化したいだけのエゴにしか過ぎなかった。

七子のことは、何も考えられていなかった。

彼は彼女の腕の中で、ぼんやりとそう思っていた。



結局、俺は




(真っ白な包帯を巻いた君が、どれだけ痛々しかった事か……)



fin.




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