05
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次の日、宮田は午前中の診察に合わせて七子を知り合いの所へ預けるため不入谷へ車を走らせていた。
「今日は半日で診察は終わるが、その後残務処理をするから夕方には迎えに行くよ」
「は、はい!」
「緊張してるのか?」
助手席に座る彼女の声が上擦っていることに気が付き、宮田は問いかける。
すると彼女は、少し恥ずかしそうにしながら小さく頷いた。
「心配しなくていい。彼は優しい人だから、良くしてくれるよ」
「そうですね。宮田先生の知り合いだもん、要らない心配ですね!」
彼女はどこか不安げだったが、宮田の言葉に安心感を覚えたようだ。
にこりと笑うと、いつものように明るく振る舞った。
そんな彼女の様子を見て、宮田も心の中で安堵したようだった。
そんなやりとりをしながら、車は目的地へと到着した。
そこは村で唯一の教会だった。
教会の前には神父と思われる人物が立っており、こちらの姿を確認すると微笑みを浮かべながら会釈をした。
「宮田さん、お待ちしてました。七子さんも、初めまして」
二人はその人物へと会釈を返し、挨拶を交わす。
その男性は宮田と恐ろしく似通った顔をしているが、彼より幾分柔らかな表情をしていた。
しかしその瞳は寂しげで悲哀に満ちた色が浮かんでいたが、それは彼が纏う雰囲気によるものかもしれないとも思えた。
七子は、二人が双子であることを察すると少しだけ驚いた様子を見せた。
だが彼女自身もなぜだか分からないが、それを口に出すことはできなかった。
「は、初めまして」
「私はこの村で求導師をしている、牧野慶と申します」
「私は宮田先生にお世話になってます、名無七子と言います。よろしくお願いします!」
元気よく自己紹介をする彼女に、牧野は優しく笑った。
宮田は早速、本題を切り出す。
「じゃあ牧野さん、私が仕事している間は彼女の面倒をよろしくお願いします」
「ええ、任せてください」
「では……。七子さん、何かあれば牧野さんを頼ってください」
宮田がそう言うと、七子は勢いよく首を縦に振る。
そして宮田は運転席の窓を開けると、そのまま車を発進させた。
そしてその姿が見えなくなるまで見送ると、二人は並んで歩き始めた。
「とりあえず、教会でゆっくりしましょうか」
「はい」
七子は笑顔で答え、二人はゆっくりとした足取りで礼拝堂へと向かった。
ステンドグラスからは鮮やかな光が差し込んでおり、奥の主祭壇には不思議な形の十字架が飾られていた。
「……」
七子がそれに目を留めていると、牧野は主祭壇の前へと歩み寄った。
「珍しいですよね。こんな小さな村の独自の土俗信仰なんて」
「いえ、あの」
「これはですね……この村で信仰している眞魚教の宗教的象徴である『マナ字架』と呼ばれるものです」
「眞魚教……」
「この宗教はですね土着神の堕辰子様が崇拝対象で、その御首を御神体としているんです。信仰は私が務める求導師ともう一人、求導女が中心となっているんですが……」
そこまで言って、牧野は言葉を濁す。
「……?」
不思議そうな顔をする七子に気が付くと、慌てて言葉を続けた。
しかしそれは、先ほどまでの穏やかな口調ではなく、どこか言いづらそうな雰囲気を感じさせるものだった。
「去年の夏、求導女は行方知れずになってしまったんです……」
そう語ると、牧野は寂しげな表情を見せる。
「じゃあ、慶さんがおひとりで切り盛りしてるんですね」
そう尋ねると、牧野は力なく笑う。
どうやらそれが彼の癖らしい。
「私、慶さんのお手伝いします!」
七子が意気込むように言うと、彼は一瞬驚いたような顔を見せたがすぐにいつもの顔に戻り、小さく微笑んだ。
「ありがとうございます、七子さん」
それからしばらく、二人は他愛もない話をしながら時間を潰していた。
夕方を過ぎ、間もなく日の入りにさしかかろうかという時、宮田は診察を終えて教会へと向かっていた。
彼は車内で七子のことを考える。
うまくやっていけそうだとは思うが、それでもやはり不安はある。
誰だって見知らぬ土地、見知らぬ人に囲まれての生活は簡単には落ち着けないはずだ。
「……」
宮田は少しの間考え事をしていたが、やがて運転に集中することにした。
そして教会に着くと、宮田は驚きで少し目を見張った。
牧野と七子が、教会前を掃き掃除しながら楽しげに談笑をしていた。
「牧野さん、七子さん。遅くなりましたが、診察終わりましたよ」
宮田が声をかけると、二人ともこちらを振り向く。
「あ、先生。お疲れさまです」
「お帰りなさい」
牧野は笑顔を見せ、七子も嬉しそうに宮田を迎える。
彼はそんな二人の様子を見ながら、ふっと微笑む。
「お待たせしました。では、行きましょうか」
宮田の言葉を聞いて、二人は箒を片付ける。
「牧野さんも、家までお送りしますよ」
「本当ですか? 助かります」
「七子さんの荷物は、車の中に積んでおきますね」
「ありがとうございます!」
三人は教会を後にすると、宮田の車へと向かう。
そして後部座席に七子のバッグを乗せると、三人は再び乗り込んだ。
「牧野さん、これからよろしくお願いします」
「いえいえ。七子さんも、私の仕事をお手伝いしてくださって助かってます」
「七子さん、そうなんですか?」
「はい! 何もせずに預かっていただくのも申し訳ないので……」
七子はそう言うと、宮田に向かって笑顔を向ける。
「そうか」
そうして車で走ること数分、牧野の家に到着した。
「では、私はこれで」
牧野は車を降りると、宮田へ会釈をしながら礼を言う。
「今日は本当にありがとうございました。七子さん、また明日」
「はい!」
七子が元気よく返事をするのを確認すると、牧野は家の中へと入っていった。
それを見送った後、車は宮田の家へと向けて出発した。
「上手くやっていけそうか?」
助手席に座っている七子に声をかける。
「はい。慶さん優しいし、色んなお話をしてくれて楽しかったです」
彼女は屈託のない笑顔で答える。
「……ならいいが」
「そういえば……慶さんって顔が先生にそっくりですね。もしかして、双子ですか?」
「ああ。俺と牧野さんは双子の兄弟だ」
「あれ? でも……苗字が」
七子が隣にいる宮田の顔を見ると、彼はどこか寂しそうな表情を浮かべていた。
「……」
「あ、あの……すみません。変なこと聞いちゃったみたいで……」
すると宮田は道端に車を止めると、ハンドルに肘を置いて手を組み、その上に顎を乗せた。
「いや、いいんだ。少し……昔の話をしようか」
その言葉を聞くと、七子は姿勢を正す。
「は、はい」
「……」
宮田は無言で前を見つめていたが、やがてぽつりと語り始めた。
その表情はどこか悲しげだった。
「この村には『神代家』、『不入谷家』、『牧野家』と呼ばれる御三家がいるんだ」
「御三家?」
七子が首を傾げると、宮田が説明を続ける。
「そうだ。それぞれの家は昔から、眞魚教の祭祀を取り仕切ってきた。そして彼らに仕えてきたのが『宮田家』なんだ」
「えっ……」
宮田の話を聞き、七子は驚く。
「じゃあ、慶さんと宮田先生は……」
「色々あって、宮田家と牧野家にそれぞれ養子として引き取られた……」
「…………」
「そして彼は求導師の後継者として、俺は村医者になるために育てられた……皮肉なものだよな、血を分けた兄弟なのに立場が違うんだからな」
宮田はそこまで話すと、視線を窓の外へと移した。
外はすっかり日が落ちており、月明かりだけが彼の横顔を照らしている。
しかし、その表情からは何も読み取ることができなかった。
「宮田医院の跡取りっていうと聞こえはいいが、村の権力構造を見ると俺は御三家の影として生き、彼らに仕える存在だ……」
「……」
彼女は黙ったまま、淡々としていて感情がこもっていないように聞こえる彼の話に耳を傾けている。
「いわば、秘密警察ってやつだな」
「それって……」
宮田が自嘲気味に笑うと、七子は顔を曇らせる。
「聞きたいか? 俺がどんなことをして、何を見て、今まで生きてきたのか……」
彼が横目で七子を見る。
彼女はその目を見て、ごくりと唾を飲み込んだ。
そして小さくこくりとうなずく。
「宮田先生のことを知りたいって言ったのは、嘘じゃないから……何があっても受け止めます」
「……!」
宮田は驚いた様子で真剣な彼女の様子をしばらく見つめた後、再び前を向くとゆっくりと語り始めた。
「神代家と牧野家のためなら平然と手を汚し、違法な行為も厭わない、それが宮田家で……」
彼は七子の顔を見ることなく、淡々と言葉を紡ぐ。
彼女はその言葉を聞き逃すまいと、静かにうなずきながら耳を傾けた。
「村の暗部を知る者や、村に都合の悪い存在を始末するのが俺の仕事だ」
彼はそう言いながら、組んだ手にぎゅっと力を込める。
そしてゆっくりと息を吐いた。
「分かるか?」
「……?」
宮田の言葉の意味がよく分からなかったのか、七子は首を傾げる。
すると彼は、表情ひとつ変えることなく口を開いた。
「俺は、人殺しだよ」
その声色は先ほどまでとは打って変わって冷たく、まるで感情のない機械のような話し方だった。
宮田は目を細め、じっと七子を見下ろす。
彼女は、そんな彼を不安げに見上げた。
「……」
しばらくの間沈黙が流れる。
やがて、彼女の小さな手がそろりと伸びて、宮田の手の上に重ねられた。
宮田は少しだけ驚いたように顔を上げる。
そこには穏やかな笑みを浮かべる七子がいた。
その手は温かく、宮田の心の中にじんわりとした何かが広がる。
「こんなに優しい手で人を殺せるんですね」
彼女は、ぽつりと言った。
宮田は無言のまま、自分の手に視線を落とす。
それは確かに血塗られてきたものだったが、今は不思議と嫌なものには感じられなかった。
彼はその手を見つめたまま何も言わずに、重なった手を握り返した。
(この子は……)
どうして自分を怖れないのか、と疑問に思っていた。
自分を恐れない人間など、今まで見たことがなかったからだ。
しかし同時に、目の前にいる七子が自分のことを受け入れようとしていることも伝わってきた。
宮田は自分の心の中に生まれた不思議な感覚に戸惑いながらも、どこか心地良さを感じていた。
それは彼が初めて感じた安らぎかもしれない。
「宮田先生が過去にどんなことをしていたとしても、私は今こうしてここにいる先生を信じますよ」
その表情はまるで聖母のように慈悲深く、慈愛に満ちたものだった。
その言葉を聞いた途端、宮田の目頭が熱くなった。
宮田は慌てて目を逸らすと、ハンドルを強く握りしめる。
どうしてそんな風に笑っていられる。
俺がしてきたことは、知っているはずだろう。
宮田はそう思いながらも、心の中で何かが揺れ動くのを感じていた。
そして彼女をじっと見つめると、静かに語りかける。
「俺は、羨ましかった……後ろめたかった……自分を認めてあげたかった」
「うん」
「でもそんなことをしたら、自分を許せなくなると思ったんだ」
まるで懺悔をするかのように。
それは彼自身も気づいていない本心だったのかもしれない。
宮田家に養子に来てからの、本当の気持ち。
彼はそれを初めて口に出したのだ。
誰にも打ち明けることができなかった、自分の心を。
だから彼女はそれに真摯に応えた。
「宮田先生……」
彼が抱えていた苦しみや悲しみ、痛み、その全てを。
七子は彼の名を呼んで、そっと抱きしめた。
宮田は何も言わずに、彼女の肩に顔を埋める。
「先生の手は、人を殺す手じゃない。人を生かす手です」
七子は優しく囁くと、彼の背中を撫でた。
「してしまったことは間違いだっかもしれないけど、今こうして私を助けてくれてるじゃないですか。それだけで十分ですよ」
彼女はそう言って微笑むと、もう一度強く彼を抱き締めた。
その言葉を聞いた途端、胸の奥底で何かが溶けていくような気がした。
宮田は目を閉じると、七子の体温を感じながら思った。
ずっと、苦しんでいたんだと。
誰からも理解されない、許されない罪だと分かっていたつもりだった。
でも本当は、誰かに許されたかった。
自分自身を、認めて欲しかった。
それがどんな形でも良かった。
「……もう苦しむ必要なんてないんだよ」
その言葉を聞いて、彼はようやく自分が求めていたものを見つけたように思えた。
ずっと誰かに言って欲しくて堪らなかった言葉だった。
宮田は目の前にいる彼女を強く抱き締め返すと目を閉じて、その温もりを噛み締めるように、しばらくの間そのまま動かなかった。
七子も何も言うことなく、ただ彼の背中を撫でていた。
やがて宮田は身体を離すと、七子の目を見つめる。
そこにはもう、迷いはなかった。
「帰ろうか」
「はい」
宮田は穏やかな表情で告げ、車を発進させた。
七子はその横顔をちらりと見ると、安心しきったように座席にもたれかかる。
窓の外には、どこまでも続く田園風景が広がっていた。
そんな彼女を宮田が見ていることに気付かないまま、七子は心地よい車の振動に身を預け、いつの間にか眠ってしまった。
宮田は運転しながら、助手席ですやすやと眠る少女の横顔を見る。
その寝顔は無垢であどけなく、とても美しかった。
「ありがとうな、七子」
宮田はぽつりと呟くと、ハンドルを握る手に力を込めた。
この子は、自分が守ってみせる。
宮田はそう決意し、アクセルを踏み込んだ。
To be continued…▼▲▼
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