02


十月某日。
宮田医院に一本の電話が入った。

宮田が受話器を取ると、どうやら看護師が電話を転送してきたようだった。


『××地方検察庁の検察官、二之部様からお電話です』


「検察官?」


『ええ。なんでも、名無さんのことでお伺いしたいことがあると仰ってます。お繋ぎしますか?』


「……ああ、よろしく頼む」


『承知しました』


保留音が流れる中、宮田は彼女のことを思い出しながら椅子に座った。


一体何を聞きに来たというのか。


そんなことを考えていると、やがて通話音が止んだ。


『お世話になっております。××地方検察庁所属の検察官、二之部蒼と申します、突然の連絡ご容赦ください』


「いえ、こちらこそ……私は宮田医院、院長の宮田司郎と申します」


宮田は名乗ると、相手の出方を窺った。

どうやら向こうは礼儀正しい人間らしい。
丁寧な口調で話し始めた。


『本日は、名無さんのことでお聞きしたいことがありまして……』


二之部は宮田の予想に反して、それは若い男の声だった。
おそらく、二十代後半か三十代前半ぐらいではないだろうか。

落ち着いたトーンで、ゆっくりと言葉を続けた。


『そちらで名無七子さんがお世話になっていると聞いたもので、彼女に関してお話を伺いたいと思いまして』


「ええ、春先までは入院していましたが……」


『本当ですか。今はどこに……?』


「今は私の家に住まわせています」


その瞬間、相手が息を呑む気配を感じた。

しばらく沈黙が流れた後、二之部が静かに言った。


『なるほど……』


その声色は、どこか納得しているような響きがあった。


『宮田先生……そこでですね、お願いがありまして』


「はい、何でしょう?」


宮田は背筋を伸ばして返事をした。
すると、相手は少し間を置いてからこう続けた。


『名無さんとお話できますでしょうか? もちろん、無理にとは言いませんが……』


二之部の申し出を聞いて、宮田は眉根を寄せた。

そしてそのまま黙り込む。
しばらくの間、二人の間に静寂が訪れた。


「お気持ちは分かりました。ですが、まずは私が話を聞かせていただきたいと思います」


やがて宮田は、はっきりと答えた。

相手は数秒の間を置いた後、了承した。


『……承知しました。それでは、ご都合の宜しい日にちについてお教え願えますか?』


それから二人は、会う日程を決めると電話を切った。





五日後の火曜日、宮田は病院を臨時休診し二之部との約束通りに会うことになった。


宮田医院二階、院長室にて。

応接セットのソファーの横に立つと宮田と二之部は、挨拶を交わした。


「……改めまして、二之部蒼と申します」


そう言うと彼は手に持っていた名刺入れから一枚取り出し、両手で持つと宮田へと差し出した。

そして二之部のスーツの胸元には秋霜烈日しゅうそうれつじつのバッジと呼ばれる、検察官であることを示す徽章きしょうが光っていた。


「宮田司郎と申します。宜しくお願い致します。こんな辺鄙なところまで御足労いただいて、ありがとうございます」


宮田も彼に倣うように名刺を差し出すと、互いに交換する。


「いいえ、とんでもない。落ち着いた場所で、私は好きですよ」


宮田が手元の名刺に視線を落とす。

そこには、
××地方検察庁 三隅支部
検察官 二之部 蒼
と書かれており、合わせて連絡先なども記載されていた。


宮田はその名刺を眺めると二之部の方をちらりと見やる。

すると彼は自分の方へ視線が向けられていることに気付き、ふっと笑みを浮かべる。

しかしそれは一瞬だけで、すぐに真顔に戻った。


「どうぞ、お座り下さい。今、コーヒーをお持ちしますので」


「失礼致します。お気遣いありがとうございます」


二之部がソファーに腰掛けると同時に、宮田はコーヒーメーカーの方へと向かう。

そして二つのカップを用意しているところで、二之部から声がかかった。


「宮田先生は、ずっとここでお医者さんを?」


その問い掛けに、宮田は振り返らず答える。


「ええ。私の家はここでずっと医者をしているそうです」


「お若いのに凄いですね」


「いえいえ、ずっと勉強中の身ですよ」


宮田は手際よくコーヒーを注ぎ終えると、それを二つ持って向かい側のソファーへと座った。


そうして宮田が一息つくのを待っていたかのように、二之部が口を開いた。


「まずは、このような機会を頂きありがとうございます。検察官と聞かれて驚いたことでしょう……」


宮田の手元にある名刺に目をやりながら、淡々とした口調で言う。

彼の表情は、相変わらず穏やかだ。
しかしその瞳の奥には、何か底知れぬものを感じる。

宮田は少しばかり警戒心を抱きながらも、なるべく平静に聞こえるよう努めて答えた。


「まあ……無いとは言えませんが、まさかこんな形でこのような職業の方とお会いすることになるとは思いませんでした」


正直な感想を述べると、二之部は苦笑いしながら小さく頭を下げた。


その後、一呼吸置いてから再び話し始める。

今度は幾分か声色を落としながら。
その様子はまるで、宮田の反応を窺っているかのようだ。


「早速本題に、入りますが……。宮田先生は彼女の主治医だということで、この件についてお話します」


「ええ」


「宮田先生は、名無さんのご両親が何者かに殺害されたことはご存知でしょうか?」


「はい、彼女の叔母が医院に預けに来た時にそのように言ってましたね」


宮田は記憶を辿るように答えると、二之部が同意するようにこくりと首を縦に振った。

そして、ゆっくりと語り始めた。


「率直に申しますと……今、巷で話題になっている三隅郡連続強盗傷害事件の被疑者が、七子さんのご両親を殺害したと私は睨んでいます」


「なっ……!」


宮田は思わず目を見開いた。

すると、そんな彼の様子を気にすることなく話を続ける。

先程までよりも一層、真剣な眼差しを向けながら。
彼は宮田がどういう反応をするのか分かっていたかのようだった。

しかしその表情からは、一切の感情が読み取れない。


「そしてその被疑者『久住心道くずみしんどう』は一年前の強盗殺人の後、住居侵入罪で略式起訴され、しばらくは身を潜めていました。しかしこの間の事件で、警察が尻尾を掴んで再び逮捕されました……」


二之部がそこまで話すと、一旦言葉を切る。

宮田の様子を確認すると、彼は俯いて考え込んでいるように見えた。


だがそれも束の間。

彼はすぐに顔を上げると、質問を投げかけた。


「だからって何故、今さらになってここへ?」


その表情は、どこか険しいものだった。

相手の真意を確かめるように、じっと二之部の顔を見る。

すると彼は静かに息を吐くと、ゆっくりと話し出した。

それは宮田にとっては、衝撃的な内容だった。


二之部は、今回の件は警察でもまだ把握していない事実がきっとまだあると言う。

そしてそれが何かを知るためには、事件の被害者である彼女の協力が必要で、改めて補充捜査の協力を要請したいと言った。


「……つまり、七子さんのご両親の殺害という余罪もあるが、我々としては証拠が少なすぎて強盗殺人の嫌疑では起訴できない可能性がある……ということです」


二之部の話を黙って聞いていた宮田だったが、聞き終えると眉根を寄せた。


「だから、七子さんに直接コンタクトを取りたいということですか?」


「はい」


二之部は、はっきりと返事をした。

彼の言うことが正しいなら、七子にとってしてみれば、その事件は解決しないということになる。

それはすなわち、彼女は一生この理不尽な現実と共に生きなければならないということだ。

宮田は無意識のうちに、拳を握り締めていた。


「…………」


二之部は無言で宮田の様子を見つめている。

何も言わずに、ただひたすらに待っていた。
宮田が、どう判断するのかを。


しばらく沈黙が続くと、やがて宮田は口を開いた。

しかし宮田から出てきた言葉は、二之部の予想とは異なるものだった。

彼は、こう言ったのだ。


「私は医者で、患者を守る義務があります……」


二之部は何も言わずに次の言葉を待った。
すると彼は続けて話し始めた。


「無理矢理に彼女の無い記憶を掘り起こして、これ以上あの子を傷つけるような真似はしたくありません」


宮田はそう言うと、視線を足元へと落とした。

彼の脳裏には、七子の姿が浮かんでいた。
彼女が時折見せる、悲しそうな笑顔。
それを思い出す度に、胸の奥がきゅっと苦しくなる。


「無い、記憶……」


二之部がぽつりと呟いた。
宮田はその言葉に反応すると、顔を上げて彼を見据えた。


「ええ。彼女はあの事件後、記憶喪失になったと聞いています……そして今も」


「……」


二之部は、目を伏せた。

それは彼が宮田に対して初めて見せた感情の発露だった。

彼は、七子が受けた心の傷の深さを理解した。
だからこそ、宮田の言葉に納得せざるを得なかった。


「ですから……少し、待っていただきたい」


二之部は再び目を開くと、真っ直ぐに宮田を見た。

その瞳には、強い意志が宿っていた。


宮田が何と答えようとも。
自分のやるべきことは変わらないと。


そして数秒ほど間をあけてから口を開く。

そこには、今までにないくらい真剣な表情があった。


「先生のお気持ちは、痛いほど分かります。きっとお二人で過ごしてきた時間が、そうさせるのでしょう。しかし……!」


そこで一度話を止めると、今度は真っ直ぐ宮田の目を見た。
その瞳は、何かを訴えかけるように揺らめいているように見える。


「我々には時間が無いのです……! 余罪が起訴されない場合は、併合罪にはならず量刑に与える影響は軽微なものです……」


二之部の声は、いつの間にか小さくなっていた。

まるで懇願するような響きを帯びながら、訴え続ける。


「何としても、久住の罪を裁かなければならないんです!」


そして二之部は、ゆっくりと深呼吸した。
それはまるで、自らの決意を確かめているかのようにも見える。

やがて彼は顔を上げると、再び口を開いた。


「……七子さんと彼女のご両親の無念を晴らすためにも、ご決断を!」


その声に込められた想いは、宮田にも十分伝わってきていた。
だからこそ、簡単に答えを出すことはできなかった。

しばらくの間、重い空気が流れる。


「記憶が無いのでしたら、尚のこと急がなければなりません」


二之部は、そう言い切った。
その表情は、どこか切羽詰まったような様子だった。


「…………」


宮田は黙り込んだまま、何も言えないでいた。

彼の心の中には、様々な思いが渦巻いていた。


七子のことを考えれば、今すぐにでも協力したい。
だが彼女への負担を考えると、どうしても踏み切れない。

その迷いが、彼を苦しめていた。

すると、そんな宮田の様子を見ていた二之部が静かに語り始めた。
それは宮田が想像していなかった内容だった。


「私……強盗殺人事件の参考人として七子さんと話したことがあるんです」


「そうなのですか?」


「ええ……その時も覚えていないようでしたが、一時的なものだと思っていました」


そこまで話すと二之部は顔を曇らせた。
そのまま、ゆっくりと息を吐き出す。

宮田は黙って彼の言葉の続きを待った。


「なにせ重大事件だったので……再逮捕から再び送致されてきましたが、七子さんからの証言も取れず、嫌疑不十分で処分保留となってしまったのです」


二之部は悔しさを滲ませながらも、淡々と事実を話した。
当時のことを思い出しているのか、拳を握りしめているようだ。


「そんなことが……」


宮田は驚いたように呟くと、俯いて考え込んでしまった。


「その時の彼女の言葉が忘れられなくて……」


二之部はそう言って、ゆっくりと話し出した。




To be continued…





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