つたな


(※ モータースポーツの世界での活躍を夢見る二人の恋の物語。甘。全六話。バトル等の時系列は原作とは異なります。車の知識などで至らない点があるかもしれませんので、ご了承ください。)


八月の静かな赤城山の展望駐車場に、一台の白いスポーツカーが止まっていた。
その車は月明かりに照らされて、仄白い光を放っているように見える。

車の運転席でハンドルを握るのは、この車の持ち主である七子であった。

時刻は、二十時四十五分。
彼女は仕切りに腕時計を気にしていた。

ふと視線を前に向けたその先には窓越しに見える山々が、小さく輝く星空を背景にして浮かび上がっている。

しかしそんな彼女の表情は、どこか浮かないものだった。
それもそのはずで七子は二十時に、とある人物と待ち合わせをしているのだ。
だが現在、約束の時間からすでに四十五分ほどが経過している。

すると彼女は車のドアを開けて外へ出た。

真夏の夜の湿った生温い風が頬に当たる。
そんな風に煽られてしなやかな髪が揺れる中、彼女は天を仰いで夜空を見上げた。

「……やっぱり、来ない……よね」

七子は小さな声で呟くと、寂しげに微笑んだ。
しかしその表情とは反対に、彼女の瞳には涙が滲んでいる。

「ぅ……」

そして次の瞬間、その瞳からは大粒の涙が溢れた。


私は一体何を期待していたんだろう?

もしかしたら彼は来るかもしれないなんて、どうして思ってしまったのだろう……。


潤んだ瞳から溢れた雫は、アスファルトに滲んで消えていく。

「もう……帰ろう、かな」

そう言って彼女が踵を返そうとした、その時だった。

遠く、山の木々の間から微かに車のマフラー音が聞こえてきた。
それは段々とこちらへと近づいてくるようだ。

「この、エキゾーストノート……もし、かして……」

次第に音は大きくなっていき、やがてヘッドライトをつけた黄色いスポーツカーが姿を現した。

そしてそのままスピードを落とすことなく走り抜けていき、駐車場の中へと入ってくるとブレーキ音を響かせながら停車する。

「う、そ……」

運転席側の扉が開かれて中から慌てて降りてきた男は、走って七子の目の前までやってきた。

「七子ッ!」

その男は切羽詰まった様子で名前を呼ぶと、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめてくる。

それを見た彼女は信じられないというように目を大きく見開いた。


「けい、すけ……。もう……来ないかと、思ってた……!」


震える唇から出た声はとても弱々しく、掠れてしまっている。

だが彼の耳にはしっかりと届いたようで、彼は眉間にシワを寄せると、苦しげな表情を浮かべた。

そして絞り出すような声で答える。

「待たせちまって……本当に、ごめん」

その声を聞いた途端、彼女は堪えきれずに大きな声を上げて泣き出した。

そんな七子に近づいて、泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でると、啓介は少し困ったような笑みを浮かべる。

「泣くなよ……俺も、我慢……してんだぜ……?」

しかし啓介の声も、次第に震え始めていた。

彼は顔を歪めながらも必死に笑顔を作ろうとするが、とうとう耐えきれなくなったのか片手で顔を覆うと肩を震わせて小さく嗚咽を漏らす。


しばらく二人はお互いに何も言わず、ただひたすらに涙を流し続けていた――。



そんな彼女と彼の話は、ここから数ヶ月前の三月まで遡る。

――
―――
――――

「……と、まあ来月から本格的にこのプロジェクトを始めて行くんだが……」

若緑の香りを含んだ花風が赤城山から吹き下ろす、とある日の夕方頃、プロジェクトリーダーである涼介によるミーティングが行われていた。

場所は、いつものように県営の無料駐車場の隅にそれぞれの車を停めているスペースだ。
そこで集まったメンバーたちは、真剣な面持ちで話を聞いていた。

今日はその最初の打ち合わせなのだが、涼介は気合が入っているのか、いつもよりも饒舌になっているように見えた。

「今日集まってもらったのは、新しい仲間を迎え入れようと思っていてだな……七子、こっちへ」

すると、そう切り出して話し始めた彼に皆は首を傾げる。
すると涼介は、ある方向に向かって手招きをした。

「はいっ」

するとワンボックスカーの後ろに立っていた人物は、おそるおそるという感じで前に出てくる。

その姿を見た一同は、驚嘆した。

なぜならその人物は、若い女の子だったからだ。
歳はちょうど成人を迎えたくらいだろうか。
長い髪を後ろで一つに束ねており、ナチュラルメイクをしているその顔立ちは、可愛らしい印象を受ける。

そんな彼女は緊張しているのか表情を強張らせているものの、その表情とは対照的に瞳は強い意志を持って輝いていた。

「名無七子と言います。コ・ドラ目指して勉強してるので、少しでも皆さんの役に立てればと思います。よろしくお願いします」

そんな彼女を見ていたメンバーは、口々に感想を言い合う。

「涼介さん、こんな可愛い子……どこで捕まえてきたんですか!」

賢太が興奮気味に尋ねると、涼介は苦笑いしながら答えた。

「お前なあ……」

その言葉を聞いて七子は頬を赤らめると、恥ずかしそうに俯く。

するとそんな彼女の様子を見て、涼介が言った。

「この子は、レッドサンズの元メンバーの妹なんだ。だから、ちょっと無理言って引っ張ってきたんだよ」

七子が元メンバーの妹だと聞いて、一同は納得した様子を見せる。

「へえ〜、マジすか!」

「ああ、そうだよな? 七子」

涼介から同意を求められた彼女は、小さく首を縦に振った。

「はいっ。兄は、そこからラリー目指したって聞きました」

それを聞いた賢太は目を輝かせる。
そして他のメンバーたちも、七子の話に興味津々といった感じだ。

だがそんな中、一人だけ面白くなさそうな顔をしている男がいた。
それは、啓介だった。

「ちょっと畑が違うんじゃねえの」

彼はボソッと呟くように言うと、視線を外す。
彼のその言葉に涼介は、顔色を変えることなく言い返した。

「確かにそう見えるかもしれないが、根本的なところは同じさ。早く走るためにどうすればいいのか、っていう考えが同じなら大丈夫だよ」

「そうかい……」

涼介の言葉を聞くと、啓介はチラッと七子の方を見る。
しかし彼女が自分の方を見ていないことに気づくと、不機嫌そうに視線を逸らした。

それから涼介は、目の前にいるメンバーたちそれぞれの顔を見ながら話し始める。

「それで、何を任せるかってことなんだが……彼女の親父さんが有名な走り屋で、この影響でチューニングにも詳しいらしいから、裏方でサポートしてもらうにはうってつけの人材だと思う」

その説明を聞いて、メンバーの表情が明るくなる。

「彼女は、啓介の専属にしようと思う……どうだ、啓介?」

そう言って涼介が視線を向けた先にいたのは、先程からずっと険しい顔をしている啓介の姿があった。
七子もその様子に気づいており、不安げな表情で彼を見つめている。

「あ? 別に、問題ねえよ。でもまあ悪ぃけど、働きっぷりを見せてもらってからだな……」

しかし当の本人は、ぶっきらぼうに答えると車の方へと向かって行ってしまった。

その様子を見た涼介は、ため息をついてメンバーたちの方へ向き直ると、申し訳なさそうな表情で謝る。

「ったく……。申し訳ないな、七子。あんな口の聞き方してるけど、根は悪い奴じゃないから」

「いいえ、大丈夫です! 皆さん、よろしくお願いします」

涼介の言葉に七子は慌てて答えると、彼とメンバーたちに向かって微笑んだ。
そんな彼女を見て、涼介も笑顔を浮かべる。

そしてメンバーたちの後ろで啓介は、複雑な表情を浮かべながら車の運転席に乗り込んだのだった。



その日の夜、啓介は自身の部屋でベッドの上に寝転びながら夕方の出来事を思い出していた。

「なんで俺が、女なんかと組まなきゃいけねえんだよ」

それは七子という新しい仲間についてのことだった。

啓介は、あの時見せた彼女の表情が忘れられなかったのだ。

自分を見つめる、真っ直ぐな眼差し。
まるでこちらの心の奥底まで見通しているような、強い光を放つ瞳。

あれは彼にとってすれば、居心地の悪いものだったのだ。
自分の心の底にある醜さを見せつけられているような気がして、仕方がなかった。

彼は苛立たしげに舌打ちすると、寝返りを打って目を閉じた。
だが瞼の裏に浮かぶのは、今日の光景ばかりだ。

そんなことを考えて眉間にシワを寄せていると、部屋の扉がノックされる音が聞こえた。

啓介は身体を起こすと、返事をする。

「なんだ?」

すると扉が開かれ、そこには涼介の姿があった。

彼を見た瞬間、啓介は顔をしかめる。
涼介もまた、不機嫌さを隠そうとしない彼の姿を見て苦笑した。

そしてそのまま部屋に入ると、後ろ手にドアを閉めて言う。

「申し訳ないな。お前に何も言わずに、決めてしまって」

すると啓介は、鼻を鳴らしてから答えた。

「別に。兄貴が考えることなら、しょうがねえだろ」

その態度に涼介は、困ったように笑う。
啓介は、昔から涼介に対してだけは素直なのだ。
だから涼介は、そんな弟を責めるつもりはなかった。

「そういうことだから、七子と仲良くしてやってくれ。三週間後には遠征を控えてるんだ、少しでも戦力を増やしたい……頼む」

そう言って涼介が頭を下げると、その様子に啓介は驚いて目を見開く。

そしてバツが悪そうな表情になると、そっぽを向いて答えた。

「あー……分かったよ! もう、いいから!」

その言葉を聞いた涼介は、嬉しそうに微笑むと顔を上げ、それから再び口を開く。

「頼むぞ、啓介」

涼介は弟の性格をよく理解していたらしく、こうなることを予想して話を進めていたようだ。

そして彼は、きっと七子とうまくやってくれるだろうと、そう確信していた。



To be continued...




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