道途


(※前話「と」からお話が続いていますので、そちらからお読みください。)


プロジェクトDは順調に北関東での勝利を積み重ね、ドライバーに限らずメカニックやナビゲーターたちも着実に己のテクニックと知識を磨いていた。

そしてバトルに勝つということがどういうことなのか、プロジェクトDというチームで活動する意味も、各々は少しずつ分かってきているようだった。

リーダーである涼介は、それぞれの個性を持ったメンバーたちには他の誰にもない才能があり、それを開花させれば、きっとプロの世界でも活躍することができるはずだと信じている。

その時のためにこのプロジェクトでの経験は決して無駄にはならないと思っていたし、他のメンバーも同じ気持ちでいた。


そして七子がプロジェクトDのメンバーになってから、二ヶ月経ったある日のこと。

日本でも有名なプロレーサーを輩出している、南関東のとあるチームとのバトルが決まったのだ。
そのチームは地元神奈川を拠点にしていて、北関東のチームとは比べものにならないくらい速い。

当然、彼らの腕試しにはうってつけの相手だった。

バトルは明日の夜、二十二時から開始されることになっていて、それまでに相手のマシンやコースに合わせたチューニングとプラクティスをしておかなければならなかった。

そして今回のバトルフィールドは、高速セクションの少ないワインディングロードが続くような、中低速セクションのテクニカルコースとなっている。

さらに畳み掛けるように相手チームは啓介を名指しで指名してきたため、彼がそのバトルに出ることは決定事項となっていた。
それ故に彼が克服したと見られる、ミリ単位のアクセルワークと狂いのない時間感覚が求められる。

しかし啓介は、勾配のきつさやタイトコーナーの連続で思い通りに立ち回ることができず、タイム短縮に苦労していた。

「ああ、クソッ! なんで、上手くいかねえんだよ!」

苛立ちをぶつけるように、車から降りた啓介は地面を踏みつける。

「さっきのラインさ……」

彼の隣に立つ七子は、今日の走行中に気になったポイントを伝えようと口を開いた。

「っるせえーな! FDアレで突っ込んで行けって言うのかよ」

しかし啓介はその言葉を遮り、彼女の方を見向きもせずに吐き捨てた。
七子が言いたいことを察しているからこその反応だった。

傍から見ていた涼介は、協力関係が大切なナビゲーターの七子にも当たり散らす啓介の様子に眉根を寄せた。

確かに今までなら、このタイミングでは彼はすでにセッティングを決めていて、すぐにでも走り出す準備ができていたはずだったからだ。
そして今日の彼は、いつものように自信満々な様子ではなかった。

彼の気持ちはよく分かるが、ここで怒りに任せて喚いても仕方がない。
まずは自分の中で消化してから、次のことを考えるべきなのだ。

だから涼介は冷静な口調を意識して口を開こうとしたが、七子の言葉によって遮られた。

「FDはメリハリのある走りよりかは、コーナリング速度と脱出速度を重視しないとでしょ? フロントミッドシップ寄りでピーキーなんだから、スピンしてお釈迦になるよ」

そう言った彼女は、プロジェクトに参加してから初めて見せる厳しい表情をしていて、啓介に対する不満を隠すことなくぶつけていた。

「……」

そんな彼女を見たのは初めてで、思わず言葉を失ってしまった。

啓介は一瞬たじろいだものの、すぐに険しい顔つきになり彼女を睨む。
だが七子は怯むことなく、むしろ負けじとばかりに強い視線を向ける。

「あそこはマージンなきゃ、いくら啓介でも危ないよ」

啓介は舌打ちして顔を背けたと思うと、強い口調で言った。

「……ンなこと、分かってんだよ! チューニングしてくれたとは言え、FDは低速ギアから大きめのアクセルオンは立ち上がりでロスすっから、アクセルワーク勝負なのもよォ!」

その声音からは、自分のプライドを傷つけられて腹を立てていることがよく分かった。
七子が啓介に歩み寄ろうとすると、彼はますます苛立った様子を見せる。

彼女は唇を噛んで俯く。

言いたいことはたくさんある。
そして啓介の腕を信じていないわけじゃない。

けれど、それでも心配なのだ。

彼の腕は信用しているし、彼ならどんな逆境だって乗り越えられると信じている。
だからと言って、うだつの上がらない彼を見ていると不安にならないわけではないのだ。
それを彼女なりに気遣ったつもりだったのだが、どうやらそれは裏目に出たらしい。

しかしここで引くわけにはいかない。
何のために自分がここにいるのか分からなくなってしまうからだ。

そんな声を荒らげる啓介に対し、七子は落ち着いた口調で返した。

「啓介なら……」

大丈夫だよ、と続くはずであろうその言葉は最後まで発せられることはなかった。

「なんだよッ! 期待してるってか!? どうでもいいんだよ! 憐れんで同情なんかしてほしくねぇよッ!」

彼女の言葉を遮るように、啓介が叫んだ。

いつものような冷静さを欠いたその表情を見て、七子は彼の気持ちを理解した。
彼が今抱えているのは焦りであり、自分への怒りでもあるだろう、と。

しかしそうやって彼が感情的になって叫べば叫ぶほど、自分で自分を追い詰めているように見えた。
だが、それはきっと彼自身が一番分かっているはずだ。

啓介にはいつも余裕があって、いつだって涼しい顔をしていた。
こんな風に我を忘れるほど取り乱した姿なんて見たことがなかった。

それだけ追い詰められているということだ。

「マジで女なんか入れるんじゃなかったわぁ、なあ!」

啓介はそう言って、プロジェクトDのメンバーたちに向かって同意を求めるように叫んだ。

しかし七子はそれに反応せず、ただ黙って彼のことを見つめている。
そして啓介が彼女の視線に気づいて振り返ると、そこには怒りとも悲しみともつかない表情をした彼女がいた。

「啓介……」

彼女は静かに名前を呼んだ。
彼は彼女の方へ振り返ると、ギロリと鋭い目を向けた。

「んだよ……!」

その瞳には明らかな敵意が宿っていて、今にも飛びかかって来そうな勢いだ。
それでも七子は臆することなく、真っ直ぐに啓介の目を見据える。


すると七子が、啓介の胸ぐらを掴んで引き寄せた。


あまりに突然の出来事に、啓介はもちろんのこと他のみんなも驚いたようで目を丸くしている。

けれど彼女はそんな周りの様子に構うことなく、啓介の顔を引き寄せると頭突きを食らわせた。
ゴツンという鈍い音が頭の中に響くと、同時に額に痛みを感じたのか啓介は頭を手で押さえた。

「――ッ!」

しかし七子は容赦することはなく、そのままの体勢で啓介に怒鳴りつけるような声で言った。

「……いい加減、冷静になりなよっ! このプロジェクトに男も女も関係ないって言ったのは、啓介でしょ?」

それは今まで聞いたことのないくらい厳しい口調だった。

啓介は何も言わずに俯いている。
それを見た七子は、再び強い口調で続ける。

「そりゃ、上手くいかなくて焦るのも分かるけど……! 啓介とFDのことを思って、できる範囲で言ってるの分からない!?」

普段温厚で優しい彼女からは想像できないほどの剣幕だった。
彼女がここまで怒ったところを見るのは初めてで、その迫力に圧倒されているのだろう。

「……」

何も言えずにいる啓介を見て、彼女はさらに続ける。

「私の指示で分からないところがあったら、その都度教えてって言ってるよね! それで、言ったらこれ?」

そこまで言うと、七子は啓介の襟元から手を離した。

啓介はまだ呆気に取られていて、彼女の行動が理解できていない様子だった。

その表情は真剣そのもので、先程までのどこか不安げだった彼女とはまるで別人のようだ。

すると畳み掛けるように、毅然として言い放つ。


「啓介……あんまり私をナメないでよ!」


「……」


彼女の気迫に押されたのか、啓介は何も言わずに黙り込んだままだった。

そして数秒後、小さく息を吐いて彼女はゆっくりと口を開いた。
さっきまでとは違う、落ち着いた口調だった。

「私さ……二ヶ月も一緒に啓介と走ってきて、啓介のテクニックを信頼してるんだよ? そろそろ信じてよ……私のことも」

七子はそう言って、少し寂しそうな笑みを浮かべた。
啓介はハッとした様子で彼女を見ると、バツが悪そうにして目を逸らす。

「…………ごめん。強く、当たりすぎた……」

彼はボソッと言うと、俯いてしまった。

それを見た七子は、いつものように優しく微笑む。
その表情は穏やかで、心から彼を心配しているのだと分かった。

「啓介……あそこの手前のコーナーは開けたままでキープイン、抜けたらきっかけ作って右」

そう言って彼女は啓介の隣に並ぶと、手でジェスチャーをしながら説明を始めた。

啓介はその言葉を聞くと、驚いたように顔を上げる。

「アクセルはパーシャル状態からクリッピングポイント手前で緩めて、頭を左に若干流しつつ……振り返してミリで加速しながら、いつもみたいにスピンしないようにトラクションを戻して」

しかしすぐに納得したようで、素直に話を聞き始めた。

「そこは、道幅を潰すくらいの感覚で行ってみて」

「…………。おう……」

啓介は戸惑いながらも返事をした。
すると七子は満足そうな笑顔を見せて、啓介の肩をポンと叩く。

「そしたら、その先の3レフトに繋がるでしょ?」

啓介はこくりと首を縦に振ると、七子は続けて言った。

「私もごめんね。胸ぐら掴んじゃったりして……あと、暴力は良くないよね」

そんな彼女に、今度は啓介が小さく首を振る番だった。
その表情にはもう怒りの色はなく、穏やかなものに戻っている。

そして啓介は額をさすりながら、ふっと小さく笑うとこう続けた。

「お前、俺が族の時みたいなことしてくれちゃってさ」

七子は思わず苦笑いを浮かべて、申し訳なさそうに目を伏せた。

「ご、ごめんってば」

「ははっ、なーんてな!」

啓介の明るい声に彼女が顔を上げると、彼は悪戯っぽく笑いながら七子の頭をくしゃくしゃと撫で回した。

それは彼なりの冗談なのか本音なのか判断はできなかったが、それから二人はお互いの顔を見合わせて、どちらからともなく笑い合った。

そしてそれを遠巻きで見ていた、メンバーたちはホッと安堵すると同時に、驚きを隠せないでいるようだった。

「七子、カッコよすぎじゃないスか……惚れる」

「このチームで啓介にあんなタメ張れるの、七子と涼介さんくらいだろうな」

などと小声で会話をしては、賢太たちは互いにニヤリと笑っている。

今のやり取りは、なかなか見応えがあっようで彼女の意外な一面を垣間見ることができた気がしているらしかった。

そしてその日は七子に言われた通り、啓介は最後まで指示通りに走りきったようで、彼の表情からは、どこか吹っ切れたような清々しさを感じることができた。



そして迎えたレース当日の夜。
この日は天気も良く、日中はかなり暖かかった。
だが夜になると、やはり冷え込んでくる。

路面温度は昼間との気温差を考えると、あまり期待はできないかもしれない。

スタート時刻は、二十二時と遅い時間だ。
そのためコースコンディションによっては、タイヤの温まり具合やグリップ力にも影響が出てくるだろう。

今回のルールは前回のような先行後追い方式ではなく、各車が同時スタートしてダウンヒルをしながら峠の入口で折り返し、再びヒルクライムで山頂近くのゴールを目指す一本勝負だ。

コースは全長およそ七キロほどあり、その途中にはヘアピンやS字カーブなどテクニカルセクションが多く設けられている。
そのことからも、いかに勝負どころの難しい峠だというのが伺える。

そして群馬から遠征してきたプロジェクトDと、神奈川から来た地元の走り屋たちとの対決だ。
大きな噂となっておりギャラリーもたくさん集まって、さながらお祭り騒ぎになっていた。

そんな中、バトル開始時刻である午後十時ちょうど。
ついに、運命の瞬間が訪れた。

「啓介が勝つのを……私、信じてるから」

緊張した面持ちで、七子は啓介に向かって言った。

彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにいつもの調子で口を開く。
その表情には自信が満ち溢れていて、余裕さえ感じられた。

「おう、任せろ!」

啓介はそう言うと、ニッと笑って見せた。
それにつられて、七子も笑みを浮かべる。

二人の間に、穏やかな雰囲気が流れた。
しかしそれも束の間だった。

「それじゃあ、テンカウントで行きますッ!」

スターターの声と共にカウントダウンが始まり、いよいよその時が来た。

啓介は深呼吸をすると、真剣な眼差しを前に向けた。

一方の七子は彼の横顔を見ると、ぎゅっと両手を握って祈るように目を閉じる。

そしてゼロに近づくにつれて両者ともアクセルを煽り、回転数を合わせていく。

やがてエンジンの音が最高潮に達したところで、スターターの手が振り下ろされた。
同時に啓介は勢いよくパーキングを下ろすと、タイヤから甲高いスキール音を響かせてスタートした。

序盤の立ち上がりは、ほぼ互角。

啓介も今日ばかりは集中しているのか、序盤から果敢に攻めつつも危なげなく峠を下っている。
彼のマシンは相変わらず高回転域での伸びを見せており、コーナーでも難無くクリアしていた。

それは、彼のドライビングテクニックが向上したということを表しているのかもしれない。

だが、相手も負けてはいない。

後ろにぴったりと張り付くようにして、彼の走りの様子を伺っていた。
啓介はチラリとバックミラーを見て、その様子を確認すると舌打ちをする。

(探りやがって、気持ち悪ぃ……)

彼は少し焦りを感じていた。

このままでは、いつ後ろの車に抜かれてもおかしくない状況だった。
しかもこの先、ヘアピンやシケインなどテクニカルセクションが待ち受けている。
彼はなんとか引き離そうと必死にギアを上げて、クラッチを繋ぎながらシフトアップしていく。

そして折り返し地点近くの最終コーナーでの出来事だった。

ここは片側二車線へと増える区間で、その手前にはタイトな右カーブがある。

啓介はブレーキングで速度を落としつつ、その先のコーナーに備えてハンドルを切った。

「まずいッ! ミスった!」

彼は慌てて声を上げたが、すでに遅かった。

FDの特徴としてホイールベースが短く、カウンターを当てるまでの時間が非常に短いため、少しのステアリング操作の遅れが命取りなのだ。
車体は思っていたよりも外側へ流れていったので、急いでインへ寄せようとするも間に合わない。

隙を見た相手が、ここで仕掛けてきた。

左のサイドミラーに映ったのは、すぐそこに迫る後続車のヘッドライトだった。
その車はイン側のラインを走ってきて、そのまま抜き去っていった。

「クソっ!」

啓介は思わず悔しさを露わにする。

だが、すぐに切り替えるとコースの後半戦に備えることにしたようだ。
彼は再びアクセルを踏み込み、一気に加速して前の車を追いかけ始めた。

それからは、お互いに一歩も譲らない展開となった。

(車線の広いここで抜けねえとなると、コース終盤のタイトコーナーの立ち上がりが勝負って訳か?)

啓介は冷静に考えながら、相手の走りを分析していた。

南関東で有名なチームだけあり、ドライバーの運転技術はかなり高い部類に入るだろうと涼介から伝えられていた。
後ろに付いてみると、その通りだった。

しかし、この程度の差なら啓介にとっては大した問題ではなかった。

確かにこのコースは中低速コーナーが多く、立ち上がりにもたつきのあるFDでは多少なりとも不利に働くであろう。
しかしながらこのコースにおいて一週間前に行われた、七子のレッキ後のアドバイスによるメカニックたちの的確なチューニングにより、ファイナルギアをローギア化させることにより、弱点であるトルクを高めて中低速域の加速力を強化していたのだ。

そしてそれはこのバトルフィールドでドリフトをする上で、クロスミッション化するよりも有効であると彼女たちの間で答えが出された結果でもあった。

そのおかげで、啓介はこのコースでも充分戦える自信があった。

そして最後の難関となる連続ヘアピンやS字カーブが待ち構えるコース後半まで無理せず立ち回りながら、タイヤマネジメントをすることができれば、抜き終わったあとも相手より速いタイムが刻めるはずだと。

だからそれまでは、とにかく耐え抜くこと。
それが今、自分にできる唯一のことだと考えていた。


ゴール地点では、折り返しで啓介が抜かれてしまったとの情報が飛び込んできた。

「うわあ……抜かれちゃったんスね。啓介さん、焦ってなきゃいいけど」

賢太は心配そうな表情を浮かべながら言った。

そんな彼に、涼介は淡々と答える。
その表情には不安の色は見られず、むしろ落ち着き払っているように見える。

「勝っても負けても、あいつにはいい経験になるだろうな」

「え、負けてもイイんスか?」

意外な答えを聞いたような気がしたのか、賢太は驚いた様子を見せた。
それにつられるようにして、七子たちも顔を見合わせる。

「……そこは啓介の腕と頭次第になるが、こうなることはある程度予想はしていた」

涼介はそう言うと、腕組みをして目を閉じた。
彼の言葉からは、どこか確信めいたものを感じられた。

「……」

七子たちは不思議そうに彼を見ると、続きの言葉を待つ。

すると、ゆっくりと瞼を開いた彼が口を開く。
その瞳は真っ直ぐ前に向けられていて、何かしらの自信を感じさせるものだった。


「サーキット走行に基づいたオーソドックスな走りを追求させたからこそ、見える一瞬の隙もあるんだよ」


彼はそう言い切ると、ふっと笑みをこぼした。
七子は、その言葉をじっくりと考える。

啓介はこれまで、FDの特性を活かしつつもサーキット仕様のドライビングテクニックを磨いてきた。
それは、彼の才能による部分が大きいのかもしれない。

だが、それだけでは勝てないということを涼介は知っているのだ。

(考えろ啓介……お前はどんなチューニングの車に乗っていて、相手が何をしたいのか、お前に何をさせたくないのかを!)

涼介は心の中で呟くと、バトルの行方を見守るのであった。



啓介は目の前を走る車のテールランプを睨みながら、必死に追いかけていた。
すでにコースの中盤を過ぎており、ここから先はテクニカルセクションが続いている。
この先のS字カーブで差を詰めなければ、もうチャンスはないかもしれないと考えていた。

彼はアクセルペダルを床に叩きつけるように踏み込むと回転数を上げ気味に吹かし、ギアを三速から四速へと上げる。

啓介は、ふと兄のある言葉を思い出していた。

『啓介、ミスをしたときのことをちゃんと考えておくんだ』

それはレース前に交わした会話でのことだった。
その時の啓介は、兄の言っている意味がよく分からなかった。

だが今なら分かる。

「回りくどいのか、そうじゃないのか分かりづらいんだよなぁ! 兄貴は……!」

ミスをした時というのは自分がミスをする可能性は勿論のこと、相手のミスを誘発させた時のことも含まれるということだ。

(あとコイツ、アレだ……右コーナー苦手だろッ)

そして今回の場合、自分が相手と同じような立場であるならば、この先の右コーナーから始まるS字カーブでどうなるかなど簡単に予想がついた。

啓介はその読みに賭けることにした。

相手は右コーナーを抜ける時に啓介よりも減速するため、それによって描かれるラインも少しだけインを突く癖があったのだ。

(確かにインを突けるのは、いいことだけどな……次に響くんじゃねえのッ!)

それは逆に言えばその分、次のコーナーでアウトに膨らむことになる。
つまりオーバースピード気味になりやすくなり、結果的に速度が落ちやすくなるということだった。

そして、その瞬間を自分の目で見たのだった。

相手の車がS字手前のコーナーで、彼の思い描くラインよりもアウト側へと膨らんで行ったのを。

「ほらなッ!」

つまりS字手前で苦手意識のある右コーナーを効率よく回るために速度を落としてインを突こうとする余り、入口手前でアウト側に寄り過ぎてしまうミスを犯している可能性が極めて高いということだ。

そしてそれは、自分の乗るマシンの特性と相手が取るであろう行動を理解していれば、確実に相手を抜くことができるという事実に彼自身の考えで至ったということである。

だから啓介は、そのタイミングを狙っていた。


FDコイツはピーキーで乗り手を選ぶけどなぁ……! 軽量なコーナリングマシンなんだよッ!」


啓介は声を上げてアクセルを踏み込むと、プラクティスで通ったラインを描きマシンの鼻先をねじ込みながら加速していった。

車体が軽く小刻みに揺れるも、スピンはしない。

相手の車はインを塞ごうとするが間に合わず、それに合わせてアウトの側溝ギリギリを走らざるを得なかった。
相手は慌ててハンドルを切り、オーバースピード気味にラインを変えてしまったため、その分だけ減速してしまう。

そこへ啓介がインへと入り込み、相手を追い抜いていった。

「俺とお前の車幅なら、ギリギリで通れるぜッ! 勿体ねえことしたなッ!」

相手はそのまま後ろへ付くと、その隙に啓介はS字コーナーに差し掛かっていた。

七子に言われた通り、繊細なアクセルワークでドリフトしながら、振り返してマシンのバランスを保つ。
グリップ力を取り戻したタイヤが路面を捉えると、そのままクリアしていく。

啓介は相手よりも確実に速いペースで曲がり、彼は見事なコーナリングを見せていく。

ゴール付近では、徐々に近づいてくるエキゾーストノートにギャラリーやメンバーたちも気付き始めたのか、歓声が大きくなっていった。

そして最後のストレートを駆け抜け、一車長の差をつけてゴールラインを通過したのだった。

「これは……」

涼介は隣に立つ、相手チームのリーダーを横目で見やった。
すると彼はゆっくりと目を瞑ってから、口を開く。

「一旦は追い抜きましたが……啓介くんの冷静な分析とチャンスをモノにする実力の、勝ちでしょう」

そう言って彼は苦笑し、「いやあ、悔しいですけどね」と続けた。

「ありがとうごさいました」

涼介は礼を言って手を差し出すと、リーダーもそれに応えて握手を交わす。

「こちらこそ」

彼は爽やかな笑顔を浮かべて応えたあと、少しだけ真面目な表情になって言葉を続けた。

「あの子は、冷静で考えが柔軟ですよ。本当に将来が楽しみなドライバーですね」

「弟もそう言ってもらえるなんて、本望でしょう……では」

涼介はそう答えながら微笑むと、再び前を向いて啓介の方へ歩いていった。

「やったあッ!」

そしてその会話を聞いた七子たちは歓声を上げると、それぞれの表情を浮かべた。
その喜びようといったら、まるで子供のように無邪気なものだったが、それも無理もない。

彼らはずっと、厳しい戦いの中でも啓介の勝利を信じて疑わなかったのだから。

涼介も珍しく笑みを見せると、大きく頷いていた。

啓介は汗を滲ませて息を整えながらも、満足げな笑みを返す。
そして七子たちの元へ戻ってくると、手をヒラヒラと挙げて勝利をアピールした。

「いや、今回はマジで焦ったぜ」

彼女は嬉しそうな顔をしながら彼にタオルを渡すと、労うようにポンと肩に手を置いた。

「お疲れ様!」

「サンキュ」

啓介は照れ臭そうに笑うと、それを受け取って首筋に滲む汗を拭っていく。
するとその様子を見ていた涼介は、ふっと笑みをこぼした。

「その様子を見るに、俺の言ったことを分かってくれたみたいだな」

啓介はそれを聞いて一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐに合点がいくとニヤリと笑ってみせた。
そして涼介に向かって親指を立てると、自信に満ちた声で言い放つ。

「なんとかな……それぐらい常に考えて走れよってことだろ?」

啓介の言葉に、彼は大きく目を見開く。
だがすぐに納得したような表情になると、口元を緩めた。

「ああ、そうだな。お前のテクニックは、目を見張るものがある……それが走りのロジックに裏付けされた時にこそ、真価を発揮するんだよ」

涼介がそう言うと、啓介は照れたのか視線を逸らす。
だが彼は素直に礼を言うと、小さく頭を下げた。

「ありがとよ、兄貴」

そんな二人の様子を見守っていた七子は、少し羨ましそうな目をしていた。
しかしそれは一瞬のことで、彼女は気持ちを切り替えると、啓介に話しかけた。

「啓介の本気、魅せてくれちゃって! 俺のセカンダリータービン動いてんのか!? って聞かせてくれるのかと思ったのに」

「おい……! 何でそれ、知って……!」

啓介は思わずギョッとして彼女を見つめる。
すると七子は得意げな表情で続けた。

「さあ? ふふっ」

彼女が意味深な笑い声を漏らすと、彼は涼介の方を向くと叫ぶように言った。

「おいッ! 兄貴! ハチロク戦のこと、こいつに言ったろッ!」

「何のことかな、啓介?」

涼介がしらばっくれると、啓介は眉間にシワを寄せてジト目を向けていた。

「テメェら、覚えてろよ!」

啓介は苦虫を噛み潰したような表情で二人を睨みつけるが、二人はどこ吹く風といった様子で、お互いに視線を合わせている。

「え……啓介さん、そんなこと言ってたんですか?」

するとそこに拓海が割って入ってきて、不思議そうな顔を見せた。
それを聞いた涼介と七子は、面白がるように笑う。

「拓海くん、あんまり啓介を追い込んじゃだめだよ〜」

啓介はますますバツが悪そうな顔になり、拓海に詰め寄った。

「うるっせぇ! 拓海、お前には言われたくねえよ!」

そう言うと、拓海の頭を自分の脇に抱えて締め上げるような仕草をした。

「いててて……」

「お前の天然思考の被害者なんだよ、俺は」

「ぼ、僕が天然……ですか?」

全く心当たりがないのか、拓海は啓介をきょとんとした目で見上げる。

「あれ……拓海くん、もしかして自覚なし?」

七子がそう呟きながらくすっと笑みを漏らすと、それにつられるようにして啓介は思わず吹き出してしまった。

「ぷっ……あははっ! お前は、そのままでいいわ」

「……」

納得がいかないという顔をしている彼を見てまた笑い出すと、拓海の髪をくしゃくしゃと撫でる。

「もう……何なんですか一体……」

訳も分からずにただ困惑するしかない拓海と無邪気な笑顔を浮かべる啓介を見ていた七子は、微笑ましそうに笑っていたのだった。


そうしてバトルも終わり、ひと段落着いたところで賢太が声を掛けてきた。

「皆さーん! 我々の勝利を記念して、写真撮りましょう!」

その言葉にメンバー全員が振り向いて、一斉に彼を見つめる。
彼はニコニコしながらカメラを取り出すと、全員の集合写真を撮ろうと準備を始めていた。

そして彼の元に集まると啓介が口を開いた。

「お前、写真趣味なの?」

意外そうな顔をしている啓介に聞かれた賢太は、嬉しそうに答えた。

「って言うよりかは、Dの活動記録ッスよ。こういうのは、残してかないとですよ!」

「ふーん……」

啓介は興味なさげな返事をしながらも、少しだけ口角を上げていた。
七子たちもその話を聞いて、嬉しそうに笑っている。

「じゃあ啓介さんと拓海は、ここに車をこう並べて!」

「え、並べんのかよ」

啓介は不服そうな顔をしながら、渋々車の元へと歩いて行った。

「……。分かりました」

拓海はそんな啓介を横目でちらりと見ると、彼に続いて車の元へと向かう。

そしてその他のメンバーは、並べ終わった二人の車を囲むように集まった。

そして賢太は、資材を積んだワンボックスカーのリアゲートを開けて棚の上にカメラをセットし、シャッターボタンを押す。
するとタイマーが起動したのか、フラッシュが点滅を始めた。

そして彼は急いでメンバーの元へ駆け寄ると、ポーズを取った。

「皆さん、笑ってくださいよ〜?」

「分かってるよ!」

啓介はぶっきらぼうに答えると、カメラの方を見つめる。

拓海はその隣で困ったような顔をしていたが他のメンバーに促されると、おずおずと笑みを浮かべた。

するとそれを見ていた涼介は、くすりと笑う。

啓介は隣りに立つ七子の肩を、不意に抱き寄せた。
それに驚いた彼女は目を見開くと、彼の顔を見上げる。

啓介はニッと口元に弧を描くと、悪戯っぽい目つきで彼女を見た。

「七子。前向け、前っ! ピースしとけよ!」

「え、あ……そ、そうだねっ」

彼女はハッとすると、慌ててぎこちないながらもピースサインをしながら笑顔を作った。

「はい、チーズ!」

賢太の声と共にシャッター音が響く。

フラッシュが焚かれると、撮影が終わった。
啓介はそれを確認してから、七子の肩から手を離す。
しかし彼女は離れていく彼の手を追うように、無意識に視線を向けた。

すると啓介は彼女の視線に気づいたようで、一瞬だけ微笑んで見せた。

「……!」

七子は我に返ると頬を赤らめて俯くが、その表情はどこか幸せそうで照れくさそうに笑みを見せていた。

そして彼に触れられたその温もりは、いつまでも消えずに、じんわりとした熱を残して身体の奥へと染み込んでいくようだった。


To be continued...




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