たったひとつの望み
「ちょっと、彼女はまだ……っ」
「そこをどけ、クロムウェル」
騒がしい声が聞こえてふと目を覚ます。未だだるい体を起こしたところで、ベッド周りのカーテンがざっと開いた。
「セブルスにアントニー?」
「スネイプ先生、ラミアさんはまだ動けません」
「そんなこと知ったことか」
この二人が会話しているなんて珍しいと思いつつ、セブルスの声色に何かあったんだと悟る。
「どうしたの?」
「ポッターがほかの生徒とともに神秘部へ向かった」
「は……?」
「闇の帝王によっておびき出されたようだ。……お前をダシにしてな」
「私を……?」
どういうことだ。全く状況が読めない。どうして私をダシに彼らが神秘部に行くというのだ。
「あそこの研究は得体が知れないからな。お前を救えると勘違いしたのだろう。それにまんまと引っかかったようだ」
そんな馬鹿な。確かに神秘部では「死」についての研究をしているらしいことは聞いたことがある。しかしそれと私は何の関係もないだろう。私のせいで、ハリーが…。
私はベッドを降りローブを羽織ると杖を確認した。
「ラミアさん! 今動いたら……っ」
「ごめんね、アントニー。ここまで付き合ってくれたのに。でも、行かなきゃ」
アントニーは言葉を詰まらせた。申し訳ないが、こんな状況でここで寝ていられるような質ではないのだ。
「我輩は行けない」
「わかってるよ」
セブルスがそこへ行けないのは百も承知だ。するとアントニーが深呼吸してから私に向き直る。
「僕は行きますよ」
彼が来てくれると非常に心強い。彼らが危機にさらされる前に、神秘部に行かなければ。
「じゃあ、行こうか」
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神秘部にいる子供たちはハリーを含む六人。死喰い人が複数。騎士団員が複数。その情報を手に神秘部に向かう。おそらくレギュラスも来ているだろうと思いながら、痛む体を押し込めた。
「ダンブルドアは後から来るでしょう。少なくともそれまで死喰い人に逃げられないようにするのが最善かと」
「そうね。防御壁だけならそう魔力も使わないから、私は防御に回るわ」
「お願いします」
アントニーの姿現しで神秘部に直接到着する。目の前の状況を一瞬で理解し、ジニー・ウィーズリーに杖を向ける魔法使いに私は杖を向けた。
「セシル!!」
私の杖から赤い光線が飛ぶ。しかしそれはセシル・セルウィンに簡単に弾かれてしまった。
「ナンシー! 元気そうだなぁ」
アズカバンに長い間入っていたからか、昔の面影はほとんどない。がりがりに痩せ伸び放題になった髪は乱雑に後ろで束ねられている。私と同じ黒髪だが、瞳は明るい茶色だ。あの日と変わらず私を「アナスタシア」の愛称で呼ぶ彼に虫唾が走る。セシルは私の神経をわざと逆なでしているのだ。
「私はその名前で呼ぶな」
「相変わらず短気だな。だがもう魔法はうまく使えないようだな!」
飛んでくる緑の光線を寸でのところで避ける。もう死の呪文に耐えられるほどの魔力はない。ジニー・ウィーズリーは無事にほかの騎士団のところへ保護されたようだ。セシルは完全に標的を私に変更し、緑の光線を飛ばしながら私に迫ってくる。わざと私を追い詰めるように当てないでいるらしい。腐ってもセルウィン家の人間、魔力は膨大だ。
「弱くなったな、ナンシー。……ああ、もう死ぬのか」
セシルはわざとらしく悲しそうな顔をして肩をすくめて見せる。とうとう壁に追い詰められた私に、セシルは真っすぐ杖を向けた。
「カイルにも会える、あのみじめな両親のもとにも! そして愚かなレギュラス・ブラックのもとにも!」
「残念ですね、セシル。私はここにいる」
セシルの背後から聞きなれた声が響く。そしてセシルに向かって赤い光線が放たれた。
「っ、だれだ……!!」
ギリギリのところでそれを弾いたセルウィンは焦ったように振り返る。そして背後にいたその魔法使いを見て、目を見開いた。
「レギュラス・ブラック……?!」
「あなたにラミアは殺させません」
驚きから帰れないセシルにレギュラスが絶えず魔法を放つ。それらをどうにか弾くセシルの背後から私は杖を構えた。
「セシル、もう誰もお前には殺させない」
「ラミア……っ」
私の失神魔法がセシルの首に直撃する。彼は白目をむきながら倒れ、ほかの団員によって拘束された。
「助かったよ、レグ。私ひとりじゃやられてた」
「ラミア、あなたからそんな言葉が出るなんてね」
苦笑いをするレギュラスと軽いハグをする。すぐに離れて、私たちはまたほかの死喰い人のいる方へ向き直った。
「無理はしないでください」
「わかってるよ、レグ」
レギュラスとともに戦う日が来るだなんて思わなかった。不思議な感覚に笑みを浮かべながら、自分の心拍数が上がっていくのを感じる。最後の瞬間までその鼓動が止まらないことを祈り、私は黒い杖を握りしめた。
+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+
「脳の間」に合流したのだが、騎士団と死喰い人との戦いはそう長くは続かなかった。
幸運なことに子供たちは怪我はしているものの皆無事で、騎士団が少しずつ死喰い人を捕縛しながら優勢を期していた。そしてとうとうあの魔法使いが到着する。
「ダブルドー!」
ネビル・ロングボトムの叫びに振り返れば、入り口を背に立っているダンブルドアの姿があった。ダンブルドアが石段を駆け下り、彼の姿を見て逃げ出そうとする死喰い人を続々と捕えていく。
「これで、終わる」
こちら側に死者が出なかったのは幸いだと思いながら、自分の限界を悟り始める。その時「脳の間」に男の声が響いた。
「さあ来い。今度はもう少しうまくやってくれ!」
シリウスの声だ。青いヴェールの近くでシリウスの相手をしているのは彼のいとこのベラトリックス・レストレンジ。そして次の瞬間、彼女の緑の光線がシリウスを貫く。
ヴェールの向こうへ倒れていくシリウスの姿を私は呆然と見つめた。だめだ、その先は。その先は私たちとは違う世界だ。
「シリウス……っ」
隣から聞こえた呆然とした声。その元を見て私は言葉を失った。ハリーの絶望した表情。
「っ……」
私は唇を噛んで杖をベラトリックス・レストレンジに向ける。彼女は私と一瞬目を合わせると、踵を返して部屋を出ていく。それを追いかけようとするハリーを制して、私はひとつ深呼吸をした。
「ラミア、どうして……っ」
「ハリー、大丈夫。ここで待っていて」
「え……」
ダンブルドアが全てを察したようひとりベラトリックス・レストレンジを追いかけていく。これで、大丈夫。鼓動が少しずつ緩やかになっていくのを感じた。
「レギュラス」
私は振り返らず後ろにいるはずのレギュラスに声をかける。私はその耳元のピアスを外した。
「レギュラス、持ってて」
後ろに向かって手伸ばすと、レギュラスが私の手を握る。
「行くの?」
「うん」
「わかった」
レギュラスは私のピアスを受け取ると一瞬私の肩を抱いて名前を呼んだ。
「ラミア、ちゃんと戻ってくるんだよ」
「うん。二人で、戻ってくる」
胸の奥が酷く痛む。そろそろ時間が来そうだ。だったら、なおさら。私は私の希望に、希望を返さなければ。
「ハリー、大丈夫」
二度目の言葉にハリーが目を見開く。私に伸ばしかけた手を握り、泣きそうに言った。
「ラミア、シリウスを……」
「うん。わかった」
私はハリーの頭をぽんと叩いてからヴェールに向かい合う。あの先に行くのは二回目だ。もう一つ深呼吸をしてから、私は目を閉じて足を進めた。
酷く冷える空気に囲まれて、懐かしいような死の匂いに安堵する。大丈夫、やれるはずだ。
「久しいね。アナスタシアの子よ」
男とも女ともつかない声が直接頭に響く。ヴェールの向こうは真っ白な世界だった。
「『死』か」
黒いフードを被った『死』は白い世界に滲んで見える。顔は見えないが声が少し弾んだように聞こえた。『死』の背後にはセストラルがおり、その背には青白い顔をしたシリウスが目を閉じたまま乗っていた。
「彼を取り戻しに来たんだろう。いいよ、連れていくがいい。代わりに君の魄をもらおう。契約通りだ」
彼がそう言うとシリウスのほほに少しの赤みが差し浮き上がる。私の隣に来て、そのまま倒れた。
「少しすれば目を覚ます。ところで、アナスタシア」
「ラミア。ラミア・セルウィンよ」
「ああ、そうだった。ラミアと言ったね」
『死』は自身の隣に歩み寄るセストラルの頬を撫で、世間話を話すかのような声色で話し始めた。
「ラミア。君は我との会話を覚えてはいないようだ」
「あなたは覚えているの?」
「もちろん。君の兄との約束だもの」
「私の兄と?」
『死』は懐かしむように顔を上げて何もない方へ視線を向ける。不思議なことにそれでも彼の顔は見えなかった。
「君は望めばいいだけだ。そういう契約だからね」
「望む?」
「そう。人として当たり前の望みを、望めばいい。それなのに君ときたら」
私に暗闇のような手を伸ばしてくる。それを拒まずにいると、氷のように冷たい闇が私の頬に触れた。
「君の兄も、まさか君が一度も望まないなんて思わなかっただろうに」
「なにを。私は何を望めばいいの?」
「我が口にしてはいけない。そういう契約だ。『死』は契約と秩序にのみ従う」
どういうことなのか全くわからない。私が望めばいい? 何を? 私が望むのはただ一つだ。
「ハリーが、私の希望が幸せになれればそれでいい」
「それが君の唯一の望みか?」
「ええ。そうよ」
「そうか。それなら、しかたない」
冷たい闇が私の頬から離れる。すると私の隣からうめき声が聞こえた。シリウスが目を覚ましたのだ。
「うぅ……」
「シリウス……っ」
シリウスは戸惑うように瞬きを繰り返し、私と『死』を交互にみた。『死』は無言で私たちの背後を指差す。振り返るとそこには入り口であったヴェールに似たそれがあった。
「シリウス、帰ろう」
「ラミア、どうなってるんだ」
「私を誰だと思ってるの?」
そう笑って見せれば、シリウスは驚愕に顔を染める。シリウスに手を差し出せば、彼は迷わずその手を取って立ち上がりヴェールへ向かった。
「ラミア・アナスタシア・セルウィン」
やはり男とも女ともわからない声が私を呼ぶ。振り返れば『死』がまっすぐ私を見ていた。
「すぐに会うことになる」
「すぐ、ね」
「最期のチャンスだ。有効に使えばいいよ」
もう、最期らしい。一旦帰れるのならよかった。レギュラスに二人で戻ると約束したのだ。少しずつ頭の奥がぼんやりとしてくる。私はいつも通りにシリウスに向き直り、もう一度「帰ろう」と言った。
「ハリーが待ってる」
「ああ」
シリウスは何とも言えないような表情をしながら私を見る。私は迷わずヴェールの向こうへ行った。早く帰ろう。
私の望みはハリーの幸せだけだ。