たったひとつの後悔
ヴェールの向こうから二人分の人影がふらりと現れた。信じられない光景にハリーは息をのんでそれをじっと見ていると、その人影はヴェールをくぐって帰ってくる。
「ハリー……っ」
ラミアとシリウスが続けて帰ってくる、先に出てきたシリウスがハリーに駆け寄り抱きしめ、ハリーもシリウスを抱きしめ返した。そしてその背後に視線をやれば、いつもの優し気な笑みをハリーに向けるラミアがいる。ハリーはラミアに笑い返し、震える口を開いた。
「ラミア、ありが……」
それを言い終える間もなく、視界からラミアが消える。レギュラスの悲痛な叫びが壁に響いた。
「ラミア…っ!」
倒れたラミアをレギュラス受け止め仰向けに転がす。ハリーも急いでラミアに寄りしゃがみ込んだ。真っ青になった顔にぞくりとしてその口元に手を添える。
「どうしよう! ラミアの呼吸が浅い……!」
咄嗟にとったその手は氷のように冷たく、ぴくりと動きもしない。胸に耳を当てて聞こえる音は、今にも消えてしまいそうだ。
「ラミア! ラミア!! 起きて!!」
覗き込み名前を呼んでいるのはハリーのみで、シリウスもレギュラスもルーピンも学生達も動けずマッドアイだけは目を背けた。「脳の間」は寒気がするほど静かで、ただ遠くで少しの魔法の音がするだけだ。ラミアとレギュラス、ハリーを中心にして、彼女の最期を看取ろうとする。
みな気付いている。その命はもう消えてしまう寸前なのだ。
「ラミア……! お願いだから……!!」
「っ…………」
突然ラミアが息をつまらせ、ゆっくりと瞳を開いた。その目はしばらく空を見つめたあと、ハリーの姿を見とめ柔く微笑んだ。
「は、りー」
「ラミア……っ。いま、病院に……!」
「はりー」
「しゃべらないで! みんな、手伝ってよ!」
「ハリー」
「っ! ラミア……!」
掠れたその声を無理やり震わせ、ラミアは続ける。
「わたしは、もう、持ちません」
「そん、な……っ、ぼくがお願いしたから……!」
「ハリーの、せいでも、シリウスの、せいでも、ないよ」
ラミアは一息ずつ呼吸を整えようとしながら話していた。それでも掠れたそれはひどく聞き取りづらく、ハリーは顔を近づける。吐き出される息すら冷たくて、ハリーは体を震わせた。彼女を抱くレギュラスの腕に力が入ったのがわかる。
「どうせ、あと少し、だったんです。もう少し、もたせるつもり、でしたが。無理しすぎた、ようですね」
震える手が伸ばされその氷のような手がハリーの頬に触れると、ラミアはあたたかいと呟いた。
「……ハリー、大丈夫、ですよ。あなたはひとりじゃ、ないから」
「わかってる……! わかってるよ、ラミア! でもあなただって……!」
「私はもう、充分です。あなたに会えた。あなたが立派になる姿を、少しでも見られた。あなたの成長にすこしでもかかわれた」
ラミアの言葉は段々と遅くなっていく。そのまま消えてしまいそうなそれを無理やり燃やすような、そんな声。
「ハリー、しあわせになって」
「どうして、ラミアは……! ラミアだって幸せにならなきゃ……っ」
「私は、幸せですよ、ハリー……。ジェームズやリリーに、自慢するんです……わたしが、ハリーの成長にすこしでも関わったのよって」
「そんな……っ」
悲痛なほどの表情に胸が苦しくなる。冷たい手がハリーの手を弱弱しく握った。そしてハリーから視線を外すと、反対側のレギュラスに視線を向けて微笑んだ。同時にハリーの肩を叩いたのはシリウスだ。もう、最後なのだ。ハリーがラミアから離れると、マッドアイが杖を振る。ラミアと彼女を抱くレギュラスが白いドームに包まれて見えなくなった。彼らの最期の時間だ。
二人きりになり、レギュラスはラミアの冷たい頬をそっと撫でてから、借りていたピアスをその耳に戻す。ラミアは少しだけ顔を歪ませて、震える唇を開いた。
「レグ、ごめんね」
「貴女が素直に謝るなんて、明日は槍でも降るのかな」
「ふふ、そうかもしれない。そしたらそれに打たれて死んでくれる?」
「まさか。全部弾いて、長生きするよ」
「よかった」
レギュラスはラミアの手を取り、指を絡めて握る。その冷たさを少しでも溶かすように、彼女の手を自分の胸に押し付けた。
「サッティを、よろしくね」
「わかったよ」
「ガランサス邸もあなたのすきにして」
「ちょっと手に余りそうだなぁ」
ラミアは柔らかく笑う。そしてレギュラスの手をゆっくり握り返した。
「レ、グ」
「うん」
「レギュラス」
「なに? ラミア」
「わたしのこと、忘れていいから。……今だけ…っ」
最後まで口にするより先にレギュラスがラミアにキスをする。ラミアの見開かれた瞳がゆっくりと閉じる。永遠に似た短い愛だった。
離れて、見つめあう。
「後悔はない? ラミア」
「うん……でも」
ラミアは一度ゆっくりと瞬きしてから苦しそうに笑う。
「もう一度、かぞくが、ほしかったかな……」
それだけ言って、また瞳を閉じた。すぅと一粒の涙が頬を伝い消えていく。それと同時に白いドームが消え、二人きりの時間は終わった。彼女はもう、動かない。
その日、ラミア・セルウィンが、死んだ。