3月14日


任務を終えて寮に戻ったのは日付が変わろうとしている頃だった。この時間になると空腹のピークは何時間も前に過ぎ去って、3月とはいえ長時間外にいた冷え切った身体を温めようと先にシャワーを浴びる為大浴場へ直行した。

時計の針はすでに天辺を指しており、大浴場はもちろん食堂にも人はいない、はずだった。

「....誰?」

暗い食堂の隅にぼんやりと冷蔵庫の灯りが浮かぶ。ばたん、と冷蔵庫を閉めた長い髪の女。左手で壁にある照明のスイッチを押せば少し間が空いて食堂が明るくなった。

「...名前?」

...だよな?

思わず語尾が上がるのは、それが見慣れた姿ではなく初めて見る部屋着姿だったから。

「五条先輩、お疲れ様でーす...」

明らかにガッカリした様子の名前が、細い金縁の丸眼鏡を大きなグレーのパーカーから少しだけ出た指先で押し上げた。
見られたくないものを見られた、みたいな。この場合、間違いなくこのすっぴん部屋着姿の事だろう。

ポーカーフェイスを取り繕って冷蔵庫の前の彼女の元へ歩み寄り、改めて目の前にいる彼女を上から下まで見る。

入浴後なのか普段巻かれている髪は胸の下まで真っ直ぐに伸びて、耳千切れるんじゃないか?と思うくらいジャラジャラと付けているピアスもそこにはない。
一瞬、このまま硝子に反転術式を使ってもらえば無数に空いているピアスホールも埋まるのでは、と思ったが今はそんな事はどうでもいい。

ただダボダボのグレーのパーカーから惜しみなく曝け出された白い素足が目の毒だ。...なんなんそれ、誘ってんのかよ

「...あの五条先輩?恥ずいんで、なんか言ってもらえると助かるんですけど〜...」

黙ってしまったせいで不安気な名前がこちらを見上げている。なんだそれ、その顔反則だろ。色白いし、唇薄いし、なんつーかアレだ、雑誌とかグラビアで見る女よりよっぽど可愛い。......可愛い...
やべ、顔まともに見れねー...

「あっ!そーだ五条先輩、座って!」

にやりと笑うと振り返って冷蔵庫を開く。大人しく従って近くの席に座ると、彼女は正方形の白い箱とフォークを2本持って目の前に座った。

「ケーキ?」

「こっそり食べよ〜と思ってたら五条先輩に見つかっちゃって。あ!見て〜!めっちゃ可愛い!」

箱から取り出したそれは小ぶりの白いドーム型のケーキ。
あれ、そういえば

「お前さ、前に俺が甘いの食ってたらこんな時間に〜とか言ってなかったっけ?」

「だって華のJKがこんな夜中にケーキとか、超罪深いじゃないですか!だから、五条先輩も同罪ってことで。ねっ」

言いながら差し出されたフォークを受け取る。
あ、取り皿いります?と言われたが既にケーキにフォークを刺していた為いらね、と答える。うまいなこれ

「これ、実は七海と灰原からもらったんです。ナマモノだから早く食べなきゃ〜って思ってたんですけど、流石に全部は食べれないから、五条先輩来てくれてラッキーです」

名前が指に付いたクリームをペロリと舐める。無意識に覗いた赤い舌をじっと見つめる。

「...口開けて」

「え?」

あ、と自身が口を開けてみせれば、ん?と目をパチクリさせながら真似をして名前が口を開く。

やっぱそうだ。


「へっ、はひっ?」

突然舌を指で引っ張られ困惑する名前。そういえば最初に会った時から気になっていた舌ピアス。耳にこれだけ穴が開いているんだから今更舌に開いていたって驚かないがそこじゃなくて

「これ呪具だろ」

手を離して解放すれば彼女は乾いた唇をぺろりと舐めた。

「すごっなんでわかったんですか?」

「お前入学した時もそれ付けてたな」

質問の答えにはなっていないが向こうも気にしていないようでケーキを口に運んでいる。

「これ、あたしのお父さんから貰ったんです」

へぇ、と相槌を打って自分もケーキをつつく。
そういえばこいつから家族の話は聞いたことがないな。デートだの彼氏に振られただの話は人伝にもよく聞いていたが

「うち兄弟いっぱいいるんですけど、みんなお父さんが違くて」

初耳だ、と思わず顔を上げると、にこりと笑った名前と目が合った。

「で、あたしのお父さんがたぶん呪言師の家系だったぽくて。ちっちゃい頃にお守りだよって渡されたんです。綺麗な石だな〜って思ってたけど、呪具だったんですね」

あたしも入学してから知りました、と笑っている。

「...その父親はお前が呪力あるってガキの頃から分かってたって事だろ?なんで入学拒否ってたんだよ」

「フツーに高校行ってたし彼氏いたんで」

「....でも呪霊は見えてたんだろ、よく生活できたな」

「あーなんか、気付いた時には術式使えてたんで。あっ死ぬかも!やばい!って時に、言った言葉がホントにその通りになるな〜みたいな」

「.....」

「ここの先生がうちに来たのは〜あたしが中学生の時だったかな?お母さんがどう見ても怪しいって断ったんですけどね」

お母さん視えないんで、と言いながら席を立つ名前を目で追うと「コーヒーいります?てかこの話面白いですか?」と言うので「甘いやつ、いいから続けろ」と促す。

「まだ全然力制御出来てなかったせいで、その時付き合ってた彼氏病院送りにしちゃって。流石にこれヤバくね〜?って。それで、ちゃんと高専の人の話聞こうと思って...甘いって、どのくらいですか?」

「ミルクと砂糖テキトーに掴んで寄越して」

はい、と目の前に置かれたマグカップに名前が持ってきてくれたそれらを全部入れる。え、マジ?と彼女はわかりやすく引いていた。

「....お母さんはやっぱり怪しいからヤダって言ったんですけど、あたしに真ん中の弟が言ったんですよ。最近変なのが見える、怖いって。この子も視えるんだ〜って思ったら、あたしお姉ちゃんだし、守らなきゃじゃんって。で、お母さん説得して、ここ来たんです」

「へぇ.....つーか名前何人兄弟なの」

「6人ですよ!写メ見ますー?」

言いながらすっかり見慣れたゴテゴテの携帯を開いて画面を見せてきた、待ち受けにしているその写真には幼い子供と名前の姿が笑顔で写っている。てか6人いて全員父親違うのかよ...ツッコミどころありまくりだな

「お前、1番上?」

「あっ!意外とか言うんでしょ」

「いや?」

「...」

「で...その呪具の意味、わかってんのか?」

「呪いが常に発動しない的な?え、てか五条先輩わかるの?!」

ヤバすぎ〜、と笑いながら携帯を見つめる彼女は、初めて見る優しい顔をしていた。サングラスを外してテーブルの上に置いて名前を見る。

「まぁそんなとこだな。それがなきゃ下手に会話出来ねんじゃね」

「やっぱそうなんですね。お父さんに肌身離さず付けておけって言われて.....てかマジ五条先輩エスパー?マジすごすぎ」

「俺にはそーゆーの見えんの。お前、呪力だけならバケモンだから、独学でそれコントロールすんのはすげーと思うよ」

「....やば、え、五条先輩に褒められた?めっちゃ嬉しいんですけど」

「名前、やっぱ俺と付き合わね?」

「あ、やっぱいつもの五条先輩だわ。お断りしまーす」


ごちそーさま、と言って空になったマグカップと容器を片付けて立ち上がった。あ、そうだ、と名前が振り返り、唇に細い指を一本添えた。

「ケーキ一緒に食べこと、みんなには内緒ね」


ふと、俺ホワイトデー何も用意してなかったな、と去っていく彼女の後ろ姿を見ながら思い出す。明日にでも会った時聞こう、と自分も部屋に戻るべく席を立った。




HOMEtop prevnext