新学期が始まる前日。七海は自室に戻るべく男子寮の階段を上がると、先の廊下で並んだやけに背の高い二人組を見つけた。
「お疲れ様です」
「おー」
「七海、お疲れ様」
面倒事に巻き込まれるのは御免、と部屋に入ろうとすると「七海」と目つきの悪い方に呼び止められた。面倒だ...
「お前、苗字の昇級の件どう思う」
「...言っている意味がわからないのですが」
「七海の率直な感想を聞きたいんだ、他意はないよ」
少し前に五条から聞いた彼女の昇級の話、元より頻繁に任務への呼び出しがあった。
呪言師としての腕前も一流、だと思う。少なくとも語彙を制限する呪言師がほとんどなのに対し、あれだけ喋る呪言師は珍しい。その時点で彼女の評価は相当高い筈だ。
しかしそれは二級術師だったからであって、ツーマンセルが基本の一級以外の任務においては彼女の能力はかなり活かせる。
そういえば、以前彼女が任務に失敗し、夏油さんが援助に行った話を彼女本人から聞いた。その時の彼女は声が枯れていて、そういえばマスクをしていた。
...そうだ、普段しっかり化粧をしている彼女がマスクをするのは珍しいな、と思ったのだ。
彼女のそのマスク姿を見たのは、以前彼氏に振られたと化粧もせずに登校してきた日と、その任務失敗の報告を受けた日だけだ。
苗字が任務に失敗するなんて初めての事で、灰原と目を合わせて何と声を掛けようか悩んだものだ。どんな敵だったのか、何級相当の呪霊だったのか、問いただそうにも声が掠れた、見た事もない辛そうな彼女に何も聞けなかった。
あの時、連続した任務で疲労が溜まっていたのだと思っていたが...相性が悪かった?否違う、自分と同等級の任務を割り当てられている筈が、”たまたま“敵が格上だった、という事だ。
「...過大評価、と言いたいのですか」
「...言うねぇ七海」
「...そこまでは言わないけど、ね。...まあ、時期尚早かな、とは思う」
ニヤリとする五条に、苦笑を浮かべる夏油
「以前、彼女は任務に失敗して夏油さんに助けていただいた事がありました。あの時当たった敵は準一級相当ではなかったのですか?」
「いや準一級だったよ。苗字さんが連日の任務で疲労が溜まっていなかったとしても、きっと彼女では倒せなかったと思うよ」
厳しい事を言ったね、と夏油が眉を下げて笑う。
「準一級の任務に失敗したのに、準一級に昇級した、という事ですよね」
「まあ、そうなるね」
「...」
「俺も傑も、別に過大評価だとは言ってない。呪力量だけなら一級以上だ。昇級は推薦制だし、あいつを昇級させたいって一級術師が多くいたのも事実だ」
「...と、言いますと?」
「...格上相手の任務に呼ばれる事を心配してるんだよね、悟も私も」
夏油が腕を組んで天井を見上げた。その隣の五条も同じ様に腕を組んで何か考え込む様に眉間に皺を寄せている。
「喋れる呪言師が珍しいからって、上のゴリ押し感ハンパねーんだよな」
ガシガシと乱暴に頭を掻く五条がその場にしゃがみ込んだ。
「呪言は基本的にどんな術式にも相性がいいから、色んな術師がペアを組みたがる。その上意思疎通が可能なら尚の事、だね」
「...つまり、彼女は、使い勝手がいいから昇級したという事ですね」
「ハハハ、冷たい言い方をすれば、そうなるね」
「だからって、別に苗字が弱ぇワケじゃねぇよ。ただ前回みたいに誰かがフォローに行けるとも限らねーから、任務に行く前に相性が悪いと思ったら断れって言っとけ」
「...任務を断るなんて言うの、五条さんくらいじゃないですか」
「うるせーあいつによく言っとけ」
「悟...。まぁ、無理な任務は無理だと言えばいいんだよ。それでなくても働きすぎなんだから」
いやいや、術師の中でトップクラスに忙しいお二人に言われても...
「...わかりました、伝えておきます」
夏油が七海の肩にポンと手を置くと「すまないね、引き留めて」と言って階段を降りて行った。
「...なぁ」
残った五条がしゃがみ込んだまま呟いた。...まだ何かあるのか。立ち去ろうと思っていた脚を止めて五条の言葉を待つ。
「お前、あいつのすっぴん知ってたか...?」
「.....は?」
「あんなの反則だろ...」
とりあえず、何と声を掛ければいいだろう、そもそも解答を欲しているのか...?
「...好きなんですか、苗字のこと」
「はぁー!?別に好きじゃねーし!」
「...そうですか」
やはり面倒だ。早く部屋に戻りたい。
あぁ、そうだ
「...今、恋人はいないそうですよ」
失礼します、と先輩を置いて自室に戻る。後の事は知らない、私には関係のない事だ。
「......マジか」
数分後、頭を抱える五条を見つけた灰原が駆け寄ってきて「誰かー!」と大声を出した事に七海はまたため息を吐く事になる。