春が終わりを告げるー前ー


灰原が死んだ。

その事実が受け入れ難くて、何度も強く拳を叩きつけた。
手から溢れ落ちる血が床を汚す。
それすら現実なのか、もう分からなかった。





その日は珍しく三人揃って朝から教室に集まっていて、みんなで授業なんて久しぶりだね、と言えば、学生の本業って何だったっけ、なんて灰原と笑っていたのを覚えている。そうだ、七海はそんな私達に呆れてため息吐いてたっけ。

そこへやって来た担任が、七海と灰原に明日少し遠くの任務だと告げたんだ。私も行く、と言えば「夏油が調子悪そうで、お前には夏油の任務を代わってもらいたい」って言うもんだから、それならぜひ代わってあげたいと二つ返事で承諾した。

あ、あれがみんなで受けた最後の授業だったのか





偶然二人の任務先が自分の所と隣県だったので、終わったら合流する事になった。
というのも、二人の方は二級呪霊の討伐なので、こちらの一級呪物の回収は安全を考慮して三人で行おう、という算段だ。

三人で乗り合わせた現地に向かう車中で、近くに五条先輩もいる事を聞いたので、それなら安心だと灰原と胸を撫で下ろした。


その予定だった。



先に降りた七海と灰原を見送って、目的の場所に着くとそこは悲惨だった。
呪物を求めた呪霊が建物に群がっており、住民の避難が遅れている。補助監督と目が合ったのを合図に空から帷が下りる。敷地に足を踏み入れるとすぐに舌のピアスを外した。


何度目かの呪言で、喉が痛い。
格上なのは百も承知のはずだった。

目の前に倒れた呪霊に近付き、とどめを刺す。
「”爆ぜろ"」

胃の奥から逆流してくる熱を跪いて吐き出す。吐血。

しかし目の前には目的の呪物が転がっている。任務は達成だ。
視界が明るくなり、帷の消えた外にいた補助監督が駆け寄ってくる。


「苗字さん!」

口元を制服の袖で拭い、呪物を回収して立ち上がる。フラつくな、丹田に力を入れろ。大きく息を吸って、近くに来た補助監督の顔色を見て胸騒ぎがした。


「七海さんと灰原さんの方が...!」


報告を受けて慌てて車に飛び乗った。
車中で携帯電話を見れば、何件か七海から着信があった。
クソ!なんで気付かなかった!
緊急事以外絶対連絡しない七海からの着信はSOSなのに。こんな事なら、一緒に行けばよかった...


あれ?

あたしが行ったところで、役に立つのかな


未だ血の味のする唇を噛み締める。一級呪物の回収ですらこの有様の自分が、一級以上の土地神に太刀打ちできるのか...?

冷や汗が背中を伝う。

「五条先輩に...」

声が掠れる。携帯電話を取り出して『五条先輩に連絡を』と入力して見せる。補助監督がハンドルを握り締めながら、こちらを一瞬見ると頷いてすぐに携帯電話で話している。

「...五条さんはまだ時間が掛かるそうで、終わり次第向かうそうです。それより苗字さん、一度治療に戻った方が良いのでは...?」

その言葉に即座に首を横に振った。

大丈夫、まだやれる

そう言いたいのに声が出なくて、鞄の中から喉スプレーを取り出す。
お願い、あと一言でいい。相手を止められれば、きっと七海と灰原なら祓えるから...




長い時間、車に揺られていた気がする。やっと着いた先には黒い帷が下りていて、補助監督の言葉を待たずに帷を潜った。


「苗字!!」

中は異様な重い空気と激しい土砂の崩れる音に包まれていた。土埃の影から七海が駆け寄って来て、すぐしゃがむ様に肩を掴まれる。

「...灰原は」

「苗字お前...!...灰原が今攻撃してる、苗字、いけるか?」

「...」

答えるかわりに頷いた。七海も限界だ、きっと灰原も。私達に出来ることは、五条先輩が来るまでの時間稼ぎ。

「ご...」

ハッとして慌ててポケットから携帯電話を取り出し、『五条先輩がもうすぐ来る』と急いで入力して七海に見せる。それを見た七海が訝しげにこちらを見たのでベッと舌を出して見せる。いつもそこにあるピアスがないのを見て「ああ」と納得した七海が「灰原が戻り次第行くぞ、援護を頼む」と言ったので再び頷いた。

「七海!苗字!」

灰原の顔に笑顔が浮かんだ。七海が灰原の隣に並ぶ

「大丈夫!僕らならやれる!行こう!!」

灰原が伸ばした手に、自分の手をぶつけてハイタッチをした。
三人ならやれる


あれが土地神、禍々しい
二人の後ろから全身の呪力を一点に集める。

「”止まれ”!」

動きを止めた土地神の腕を七海が術式を発動させて切り落とす。そこへ灰原が懐に入り攻撃をする、が土地神の視線が灰原を捕らえたのが見えた。

「"動くな"ッ...!」

「灰原!!!」

しまった、反動...!その場に立ち尽くしたまま吐血した私の目には、七海の切り落とした腕とは反対の腕で掴まれた灰原がいた。

「...灰原ッ...!」

灰原が七海に向かって笑った。
その瞬間、音を立てて灰原の下半身は握り潰された。

「クソッ!苗字!引くぞ!!」

「七海!!」

灰原を抱えた七海は、背後の土地神に気付いていない。叫んだ声は音にならずに掻き消された。

「、!クッ...」

先程切り落とされた腕が再生し、それは七海の目に爪先を立てた。
七海は片手で目を覆うが、その足が縺れる。
まだ反動の残る身体を力づくで動かして七海の元へ駆け寄る。七海の左肩を担ぎ、帷の壁に向かう。まずい、少しだけ、一瞬でいいから

「”止まれ”ッ!!!」

声にならなくてもいい、空気が揺れてきっとあの呪霊ならきっと届く。振り返って最大限の呪力を込めた呪言は、音にはならなかったが確かに土地神の動きを止められた。

「うッ...」

再び込み上げる血を吐き出す。七海の肩を精一杯押して、先に行けと思いを込める。

大丈夫、早く灰原を外へ...



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