「ーーハァ」
五条悟は空を仰いだ。雲の流れが早い、それがまるで目紛しく変化する己の環境の様で嫌気が差す。
七海が高専を逃げる様に去ってから三年。
こうして高専にある入り口の長い石階に腰掛けて補助監督の車を待ちながら、下らない話をして笑い合った学生時代。そんないつかの昔を思い出す、未練ばかりの自分が恨めしくなって乱暴に頭を掻いた。
「五条さん、お待たせしました」
目の前に停まる黒塗りのセダン。完全に停車すると同時に後部座席へ乗り込めば、運転席の伊地知が振り返る。歳下とは思えないそのやつれた顔におはようと返す。
「警察の依頼だっけ?都内で女性の変死体のやつ。二体目の遺体が出たとか」
伊地知は「それが...」と助手席からA4サイズの茶封筒を取り出すと五条に渡す。
「実は今朝、新たに三人目の被害者が見つかりました」
ほう、伊地知を一瞥して封筒から紙を取り出す。最近はほとんどがデジタルで、データで情報が届くのにわざわざ封筒で届くのは珍しいな、何か意味があるのでは逡巡し、一枚ずつ目を通す。
ーW都内20代女性連続殺人事件W
被害者は全て都内に住む20代の若い女性で、自宅で全裸の状態で発見されている。部屋の中は荒らされておらず、窓が割れていた為、窓からの侵入して犯行に至ったと見られる。解剖の結果、強姦の末絞殺されており、特に口、膣、子宮、腸への損傷が酷く、陰部には体液が残されていた。前科のある人物を中心に現在調査中。
五条は被害者の写真を見ながらある事に違和感を覚えた。
「...これ、誰から?」
「......夜蛾学長です。」
曰く、元々この案件は夜蛾自ら捜査に協力するつもりで警察に出向いて資料を持って来たらしい。二人目の被害者は資産家の娘の様だし、それなら五条に、と夜蛾が推すのも無理はない。しかし引っ掛かる。夜蛾がわざわざ指名する目的は一体何か。
「伊地知、まだこの遺体見れる?」
「三人目のご遺体は現在解剖されている筈ですから、可能だとは思いますが」
「急いで。出来れば他の遺体も見たい」
僕の予感は当たるんだ、特に悪い勘というものは。
▲▼
大学病院へ今朝上がったばかりの三人目の遺体を確認した五条は、すぐに犯行現場へ足を向けた。
五条に連れられて部屋に入った伊地知は慌てて嘔吐ずきそうになる口元を手で塞ぐ。事件の凄惨さが残る部屋の中心に人型にシミが残っており、被害者がそこに倒れていたのがよく分かった。
五条は部屋をぐるりと見回すと、割れた窓際へ立ち辺りを見回した後じっと窓から外を見る。何か考える素振りを見せると、その遺体のあったであろう側にしゃがみ込んだ。
「.......残穢が消えてる....」
「...それにしても悪趣味だよなぁ全く。仏さんも美人ばっかり選んで顔グチャグチャにされてよォ」
声に五条か顔を上げると、部屋の入り口、伊地知の隣に白髪混じりの刑事が若い刑事を隣に携えている。
我々術師の存在を胡散臭いと毛嫌いし、しかし認めざるを得ない事も重々承知したベテラン刑事。
都内で起こる事件の時は大体この人がいて、捜査の度に顔を合わせていたので人柄も把握済み、まぁいい刑事だ。
五条は相変わらず人好きのする顔で「どうも〜」と手を上げれば相変わらず眉間に皺を寄せた仏頂面で彼は五条の隣に並ぶ。
「この短いスパンで三人だ。次また起こるとしたら、明日から明後日だな」
「一体、犯人はどうやって彼女達を選んだんでしょう」
む、と更に眉間の皺が濃くなった。
「被害者に接点はない。職業も出身もてんでバラバラだ。男関連かと思ったが、被害者達に共通の男の知り合いもいない」
「......ふぅん」
五条は手を合わせて顎に当て、暫し逡巡すると「ピアス」と呟いた。
「舌に穴開けられてたでしょ、全員。あれ犯人の性癖?」
「穴?確かに三人目は舌にピアスをしていたが、他の二人の舌は裂けていただけだが...」
成程ピアスを付けようとして裂けたのか、と刑事が頷く。
始めに資料の三人目の被害者の写真を見た時、舌のピアスが目に付いた。地味な色の石が付いていた。
それが、この数年の間に嫌になる程脳裏を過った彼女と重なって仕方がなかった。
自分の前から突然何も言わずに去った彼女。その後すぐに親友を失い、あの頃の自分の喪失感は計り知れない。
誰かがW五条悟は最強Wだと言った。最強である為に立ち止まる訳にはいかなかった。
最強の術師が親友の裏切り、ましてや一人の女の存在なんかで落ち込んでいたら、それこそ天下の笑い者だろう。
五条は何十、何百、何千回と脳を占拠する女の姿をかぶりを振って打ち消した。
事件の被害届は一人目も二人目も、顎が外れて舌先が裂けていた。舌にピアスを付けるのが犯人の趣向だとすぐに検討が着いた。
「刑事さん、被害者の関係者リスト見せて」
刑事はすぐに入り口にいる若い刑事に目配せをすると、慌てて手元の資料から紙を数枚取り出して五条に手渡した。
立ち上がりそれを受け取ると名前を順に目で追う。
しかし自分の頭に浮かんだ彼女の名前がない、考え過ぎならそれでいい。
「...苗字名前....」
「!」
目の前から届いたまさに今探していた彼女の名前にバッと勢いよく顔を上げた。それを呟いた若い刑事が突然顔を上げた五条に驚き、焦った様に数歩後ずさると両手を胸の前で振った。
「いやッ、最近ネットで話題になってた子に似てるな〜と思ったんです.....ホラ、この子!」
スーツのポケットからスマートフォンを取り出して画面を五条に向ける。見えてるのか...?と言いたげな表情だ。
やっぱり僕の勘は当たるんだ。
「.....伊地知...」
「ハイッ五条さん」
「....夜蛾学長がわざと僕を選んだ理由はこれか....」
伊地知は口を噤んだ、図星か。知ってたのかこの件に彼女が絡んでいた事を。分かっていて言わなかったのか、と伊地知を睨む。
「あのッ、私も苗字さんが関わっているなんて知らなくて...、本当です、隠していた訳じゃありません...!」
その慌てよう、まぁ知らなかったのは事実かもしれないけど、夜蛾学長も人が悪い。知っていたなら言えばいい物を...
「あの...お知り合いなんですか?この苗字さんと...?」
若い刑事がこちらを見上げる。知り合い、ね。知り合いなんてもんじゃない。
ただ大人になった彼女は、自分の記憶にある彼女からはかけ離れていてまるで別人の様だった。
学生の時、ふいに見た彼女の姿。思わず見惚れたあの明眸。見間違うはずがない。何故なら今でもその姿を探してしまうのだから。
「...大至急苗字名前の身辺調査、お願いしますよ。彼女の身柄はこちらで確保しますので」
口角を上げて振り返る。刑事は一つ舌打ちをして若い刑事に行くぞと声を掛けて出て行った。
部屋を出ながらスマホを取り出す。操作しながら半歩後ろを歩く伊地知に「じゃあ行こっか」と言えば「え?」と焦った様子で返ってくる。
「名前の職場。逃げられない内に行かないと」
学校を辞めてすぐに彼女が携帯番号を変えた事も、彼女の実家が引っ越した事も知っている。術師を続けたくないと拒んだ彼女の強い意思。
そんな彼女が尻尾を出したんだ、捕まえない理由がない。
まさか名前が渋谷のど真ん中で働いていたなんてね。人との関わりを避けると思っていたが、灯台下暗しとは正にこの事。
「もしもし七海ィ。名前どこにいる?」
しらばっくれるアイツと話すのも久方ぶり、さて、どうやって口を割らせようか。
目元の包帯を緩めて外すと、懐から出したサングラスを掛けた。