いじめから目を背けて


中学の3年間、ずっと木津と同じクラスだった。

入学した当初の俺は、部活に全力投球で他の事には全く興味のない普通の中学生だった。入学して半年が経ったある日、怪我をして走る事も出来なくなるまでは。
選手生命が絶たれた。よくある話だ。

その後はまるでやる気のない無気力人間で、次第に学校に行く足も遠のいた。そんな時に木津に「気晴らしに行こう」と声を掛けられた。
木津は所謂悪友ってやつで、いい奴なのに口が悪くておまけに要領も悪い、要するに不器用な奴だった。そのおかげで他校の不良と喧嘩なんて日常茶飯事で、分かりやすく荒れた不良中学生のレッテルを貼られるようになった。

そんな俺が更生したのには幾つか理由があって、喧嘩に飽きてきた事とかそろそろ進路決めないとヤバいとか、親は勿論、今お世話になってるバイト先の店長と出会ったり、まぁ色々。
そして決定的だったのはクラスメイトのW死Wだ。

ちゃんと学校に行くようになった3年の時。クラスメイトにW暗いW、W根暗Wだなんだと揶揄われていた男子生徒がいた。
別に酷いいじめではなかった、その頃は。ただ変なあだ名で呼ばれたり、グループ分けの時にいつも最後まで一人で残っていた事はぼんやりと覚えている。

バカな事してんなー、くらいの認識だった。

そいつとは特別仲が良かったわけでもなく、その時は内申上げる為に学級委員なんてやってたせいか、彼と話す機会は何度かあった。たしかに暗い奴だな〜とは思ったけど、それ以上でも以下でもなかった。

いつしかその行動はエスカレートしていって、一部の派手なグループが彼の机に落書きをした事が発端だったか、それとも、彼の教科書をゴミ箱に捨てたのが最初だったか。
覚えていないという事は、もしかしたらもっと前からそれは過激化していたのかもしれない。

だがそれを止める事もしなかった。
まさかそれが、彼をあんなに追い詰めているとは思いもしなかったから。

担任も、クラスメイトも。誰一人としてその事に気付かないフリをしていた。何か行動を起こして、火の粉が自分に降り掛かるのが嫌だったから。俺もその一人、面倒に巻き込まれたくない、そんな身勝手な理由だった。

木津はその首謀グループから「お前もやれよ」と声を掛けられていたと、後で木津本人から聞いた。「バカな事やめろよ」と彼は断ったと言っていたが、自分に出来なかったその一言を易々と言ってのける彼を、心底羨ましく思った。

それは突然の出来事だった。

彼が学校の屋上から飛び降りた。
青天の霹靂。皆、なかった事になんて出来なくなった。

彼の遺書にはクラスの全員が敵だった、と書かれていて、そこでようやく俺は、とんでもない馬鹿なんだと気付かされた。

いじめで一番残酷なのは、加害者当人ではない、どうか自分の身には何も起きません様にと見ないフリをする傍観者だ。
俺がやった事は、結局彼を一番苦しめた。

たった一声WやめろWと言っていれば、結果は違っていたのかもしれない。でもそんなのはたらればで、今更後悔しても遅かった。

何よりも一言、彼に謝りたかった。


 ▲▼


「...あれ?」

斉藤さんは思わず声を上げた。最近定番になりつつある近くのスーパーで夕食の買い出しをしていたら、少し先に制服姿のスラリとした高校生が立っていて目を引いた。
こんな所に用事があるなんて珍しいな、と思い惣菜売り場を眺める彼に近寄り、肩をポンと叩く。

「名前くん」

「斉藤さん、こんにちは」

相変わらずペコリと頭を下げた彼はやる気のなさそうな目元でこちらを見下ろした。

「珍しいわね。何買うの?」

「夕飯ですよ。両親が旅行で」

「あらそうなの?いいわねぇ仲良くって」

「銀婚式らしいですよ」

そう言って目を細めて微笑んだ彼は嬉しそうで、きっと彼のこの優しさはご両親の育児の賜物なんだろうなぁと、会ったこともない彼の両親に想いを馳せた。

「へぇ〜...もしかして夕飯って、これ?」

そう言いつつ彼の視線の先の惣菜を指せば「俺料理できないんで」と苦く笑った。そうか、器用だと思っていた彼も料理は苦手なのか、と知ったところで一つ提案を持ちかけた。

「ならさ、家に来なよ」

「え?」

「明日も学校なんでしょ?潤一も喜ぶし、泊まっていけばいいよ」

「いやいや、悪いですよ」と遠慮する彼に「いいからいいから!いつものお礼」と言えば、彼は少し悩んで素直に頷いた。



一度荷物を取りに帰ると言った名前と分かれて、帰宅するなり早速おやつにおはぎを作る。今回は名前もいるのだから、と意気込んでアンコを茹でた。

「ただいま...」

そこへ帰ってきた潤一が、どこか浮かない顔で鞄を置いた。「おかえり、潤一、どうかした?」と手を拭いて顔を覗き込む。すると潤一は「なんでもない」と首を振って手を洗ってくると顔を背けてしまった。何かあったかと逡巡して、そうだ、と潤一の背中に声をかける。


「ねー名前くん何時に来るー?」

「もう少しで来ると思うんだけどなー」

名前が来る事を聞いた潤一は、帰宅した時の暗い顔が嘘だったのでは、と思うほど喜んで、彼の来訪を今か今かと待ち構えている。
丁度、潤一がおはぎを形成している横に来たとき、チャイムが鳴った。
その音に「はーい!」と嬉しそうに目を輝かせた潤一が玄関を駆けて行くと、「名前くん!」と呼ぶ声が聞こえて、斉藤も嬉しくなった。


「お世話になります」

「いらっしゃい。もうちょっとでおはぎ出来るから待っててね」

「ありがとうございます」

「名前くん、いっしょにトランプしようよ!」

潤一に手を引かれて行く姿を見れば、普段見ている制服と違い、シンプルな白いシャツとデニムを着た名前は随分大人びて見えた。



「はーい、できたよー」とローテーブルにおはぎの皿を乗せれば、「ありがとうございます」とサッとテーブルの上を片付けた名前。結局トランプの前に潤一の宿題を見てくれていたようだ。どこまでも痒いところに手が届く男だなぁと感心していると、「お母さんのおはぎはね、見た目は悪いけど、味はおいしいんだよ!」と潤一が爆弾発言。

「ちょっと、見た目は悪いって何よ」

「ははっ」




夕食の片付けを手伝うと言った名前の申し出を断って、かわりに「潤一とお風呂入ってきなよ」と声を掛ける。折り紙をしていた潤一が「えっ、ひとりで入れるし!」と恥ずかしがって首を振る。それを見た名前はニヤリと笑い、潤一の横にしゃがみ込む。

「潤一は俺と一緒に入りたくないんだー?」

そっかぁ寂しいなー、と項垂れる名前に、皿を洗う手を止めて思わず視線が釘付けになる。

「えっ!?...そんなこと、ないけど...」

「よしっ、じゃぁ行くぞ!」

と、ずいずいと潤一の背中を押して行く名前の後ろ姿を見送りながら、意外な一面を発見した斉藤は思わず吹き出した。

すっごいいいお兄ちゃんじゃん、名前。





「ありがとね」

え?と目を瞠る名前は首を傾げてローテーブルの脇に胡座を掻いて座った。

「潤一のこと、面倒見てくれて」

「一緒に寝よう」と潤一が手を引いて二階に上がると、少し経って、潤一が寝たと言って居間に戻ってきた名前は、課題があるからとこうしてテーブルに教材を広げている。

「こちらこそ、本当にありがとうございます。急にお邪魔しちゃって」

ノートに走らせていたペンを止めて顔を上げた名前がペコリと頭を下げる。先程まで潤一に見せていた顔とは違い、いつもの脱力感のある目。

「いいのよ。それよりさぁあんた、子供好きでしょ」

すると再び手元のノートに視線を落としていた名前の肩がピクリと揺れて、顔を上げて視線を泳がせている。あ、照れてる。

「潤一と話してるとき、別人かと思っちゃった〜」

「...俺一人っ子なんで、兄弟とか、羨ましいんですよね」

「そっかぁ、潤一も一人だから、なんだか名前がお兄ちゃんみたいで、あたしも嬉しいな」

そう言えば目をパチクリとさせて、照れた顔を隠すように首に手を当てて顔を伏せてしまった。

「いつでも来てよ。潤一、すっごい喜んでたし」

「はい、だといいんですけど...」






「お世話になりました」

制服を着た名前を潤一が出るよりもずっと早くに見送る。電車通学の高校生ってこんなに早いんだっけ?と自分の遥か昔の記憶を探すが、そんな過去の事などうやむやになってしまっていた。

「はいコレ、お弁当」

「...なんか、本当にありがとうございます」

「いいのよ。名前にはいつも助けられてばっかりだからさ」

「そう言うなら、あんまり無茶しないでくださいよ」

といたずらに笑う名前に「余計なお世話よ。ほら電車、気を付けていってらっしゃい」と返せば、名前は軽く頭を下げて背を向けた。

さて、うちの子も送り出さないと、と意気込むと斉藤さんは腕を捲って玄関を潜った。



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