ぼろ、ぼろぼろ、ぼろ。
涙が止まらない。
なぜこの様に涙を流しているのか、それは今彼女がやっている「三國無双」と呼ばれる歴史ゲームが関わっており、これは中国の三国志を舞台に様々な英傑達が有名な戦いを繰り広げていく物語である。
その中で陳宮と呼ばれる男がいるのだが、智謀の士として名声が高く軍師として曹操や呂布に仕えたものの、その末路があまりにも報われない話で有名だ。陳宮は呂布の為に策略を立てたが、呂布がいつも陳宮の策略に従わなかったとされる為、下ヒ篭城戦にて二人は遂に捕らえられ、処断される事となった。
今まさにムービーで、その処断寸前の場面が繰り広げられている。
曹操は問い掛ける。
『では、貴様らに問おう、わしに仕え、わが覇道を支える気があるか?』
捕らえられた陳宮は、皮肉げに笑った。
『……董卓一人も殺せなんだ男の道、なぜ、なぜ支えられましょうや。』
『逆に、逆に曹操殿が私の道を支えるのであれば、手を貸しても良いですがな。』
曹操は黙って見下ろす。
『暴に散る男の軍師として名を残すとは、この陳公台生涯の、生涯の不覚。』
悲しそうに笑い、しかし凛と澄ませた顔で彼は謳った。
『だが!その暴威とも今日ここまで!』
『来世こそは必ず我が名、我が知を天下に轟かせん!』
そう声高らかに叫んだが最期、彼の視界は真っ暗になった。
………筈、だった。
「……………のわぁ!!」
「……………きゃあ!!」
顔を赤くしながら未だ止まらぬ涙をティッシュで拭いていると、突然何かが地面に叩きつけられるような、轟音によって部屋が大きく揺れた。
「な、なに!何が起きたの!」
背後の爆音にゲームどころではなくなったななしはコントローラーを投げ出して急いで振り返るが、目の当たりにした惨事に思わず心臓が張り裂けそうになった。
「こ、ここは……ここは、何処か!」
「………………どういう事……………。」
「…………む、貴女は、貴女は一体………!?」
「待って、待って、冗談とかありもしない出来事とか本当に信じない主義なんです………。」
「もし、聞いておられますかな……!」
「知らない、私は何も見ていない……!ゲームのやり過ぎで目が可笑しくなってるんですよね………!それとも、不審者!不法侵入者なら警察を………!」
「そこの!小娘!」
「は、はい!!」
「……………私は、私は処断されたのではないのか………?」
そう問い掛ける男の身体は満身創痍で、衣服も所々破かれて見るも無惨な姿である。先程まで生き死に賭けた激しい戦をしてきたかのような、己の血なのか返り血なのか判別出来ぬ程に全てが酷い。
更に手は縄で縛られており、正に彼の最期の直後の様な有り様だ。
「………貴方が、あの陳宮……陳公台、殿……ですか。」
名前を呼ばれてハッと目を見開く。どうやら日本語が通じるようだ。
「……いかにも、私は、陳宮……陳公台ですぞ。しかし……ここは、ここは一体どこなのですかな……。」
確かに彼にとってはここは見慣れぬ空間だろう。ガラステーブルにソファ、薄型テレビと言った近代的な道具は凡そ1800年前の時代とは全く違う為、彼が大層驚くのも無理はない。
そんな説明はともかくだ、彼はまるでゲームからそっくりそのまま飛び出して来たかのような、まるで本人、否、本人以外の何があろうか!
顔、声、衣装、何から何まで全てが一致しているのだ、これが現実であれば逆トリップという類になる。トリップ系は元より信じていないが、これがリアルな夢でなければ……そういう結論に至る他なし。
「ここは………その、本当に貴方が陳宮殿本人であるのであれば、1800年後の未来、日本という国です。」
「…………………。」
「あの、私の言葉、信じられませんか………?」
「…………いえ、そうではなく………。いや、まだ頭が混乱していて………私は確かに処断された筈………。」
背後から振り翳された刃の感触をしかと見届けたと思っていたのだが、痛みらしき物は一切ない。戦で受けた切り傷などの鈍痛と手に縛られた縄の摩擦だけが未だ蝕んでいるだけ。
一体この身に何が起こったというのか。辺りを見渡せど曹操や劉備、呂布といった重苦しい面々は見当たらず、華奢な少女が涙を流しながら呆然と座っているだけ。その姿は着飾る事もなければ見窄らしくもなく、とはいえ三国時代の民とも思えぬ面妖な格好。
それが先の物語、未来と言われてしまえば、話はある程度呑み込める。
「……………そこの、箱の中にいるのは、呂布殿ではありませんか。」
「あ…………。」
ムービーは容赦なく流れていて、呂布が大暴れしている場面が流れている。
「そうです……貴方は、この箱……もとい映像の中から現れた方でして………。」
「………この中の呂布殿は、こちらに来ないのですかな……?」
「え、ええ……第二の奇跡でも起きない限り、おそらく………。」
ムービーは虚しくエンドロールを迎えて、彼らのストーリーは終幕を迎えた。
つまり
「陳宮さん………いないじゃないですか………!」
そっくりそのまま彼の枠は抜けており、ボタンが押しても始まらない仕様になってしまっている。どうやらプレイアブルキャラとしての役割は完全に失われてしまったようだ。
「…………何という事…………。」
「その、名前を、名前を教えて頂けませんかな。あと、この縄も解いて頂けると重ねて有り難い。」
陳宮はさぞ気にする様子もなく、彼女に後ろで結われている縄を見せる。
「……………私の名前は、ななしです。日本という国、東京と呼ばれる都で二人の親と暮らしています。それと、信用出来るまで、縄は解きません。」
「なんと………!そんな事言わずに頼みますぞ!折角あの男から離れる事が出来て、来世に近い存在で新たな人生を謳歌する機会が巡ってきたというのに……!」
今にも泣きそうな表情で頭を床に擦り、平伏するような態勢を見せる。
「う、うーん………でもですね……。」
「では、先程は何故、何故泣いておられたのですか。」
「ええ………?それは、その………非常に言い難い事でして………。」
「思えば、涙を流されていたのは私が処断されていた直後の出来事でしたねぇ……それに、この棚に置かれている書物に私の名前が幾つか載っているのも気になりますなぁ。」
「あわわ………!」
「よもや、貴女は、私にかなり関心があるのでは……?」
頭は伏したまま、口角を上げて見透かしたように笑みを浮かべる陳宮。
「わ、分かりました!分かりましたから!その代わり、絶対に抵抗しないで下さいよ。何かしたら警察……ええと……廷尉でしたっけ……?それに近い何かを呼びますよ!」
「良い、良いですぞ!私はこの通り満身創痍なる身!今はななし殿の命令を全て聞きましょう。」
彼の真っ直ぐな瞳に射抜かれて、ななしの心は漸く折れた。これが本当にあの陳宮そのものであるのならば、これ以上に喜ばしい事はなかろう、なんだかんだ言ってしまえばそれが本音だ。在りもしないと考えていた理想を大いに喜んでしまった。
縄を解けば鬱血の後や擦れた傷が容赦なく目に飛び込む。そういった生々しい類に慣れていないななしにとっては衝撃的なもの、思わず目を逸らさずにはいられなかった。
「酷い………何も、ここまで……。」
「……それこそ、私が生きてきた過酷な世の習わしですぞ………。それに比べて貴女は、そういう時代にいるような風貌ではなさそうですな。」
「ええ、まぁ……私の時代は、比較的平和ですので………。」
救急箱を取り出すと、消毒液と包帯を取り出して彼の目立つ傷口に塗り込んでいく。当然痛みは襲い掛かり陳宮の口からは唸声が漏れ、苦悶に満ちた顔が終始続いた。それでも助けたい一心で励ましの声を掛けながら、何とか見える傷全ての処置を施した。
いつか学校で習った事がこんな所で役に立つとは。無駄ではなかったようだ。
「はい、これでもう大丈夫です。」
「むう……何から何まで世話になりましたな……。この恩、どのようにして返せば良いものか………。」
如何せんこの時代の仕組みは皆目検討つかず。首を傾げて懊悩する陳宮。
「あの、先程……いえ、向こうの世界で貴方は、来世では必ず我が名を轟かせると仰っていましたよね。」
「ええ、まぁ……私がいた時代では、報われない形で人生を終えてしまいましたからなぁ……実に無念、無念ですぞ。」
「それなら………。」
口を閉ざし言いかけた言葉を寸前で呑み込んだ。いや、待て、こんな事があっては決してならない。これが本当に陳宮だとして、全てを表沙汰にすれば、どうなる事か。
「…………いえ、何でも無いです。」
「気になりますぞ、ななし殿。出来ればこのまま最後まで述べて下され。」
「…………この世界は先程言った通り、1800年というとてつもなく大きな年月が経っています。それでも、三国志という形で貴方達の歴史は今もこうして広く語り継がれているんです。」
本を取り出して見せれば、ふむ、と陳宮は頷く。
「陳宮殿……その、陳宮さんは、外の世界に出て、三国時代で得た数々の知恵、未だ誰も知らない本当の歴史についてを語れば、あっという間に貴方の名前は世に知れ渡る事でしょう。」
相当な歴史マニアと間違われなければ、の話だが。
「でも、私自身、来たばかりでこの世界を何も知らない貴方を極力外に出したくはありません。とはいえ……こちらに戻そうとしても、貴方の歴史自体が終わってしまってるので、今更取り返しもつかないのですが……。」
「進むも地獄、戻るも地獄、成程……これは厄介ですな。」
「おそらくですが、戻った瞬間、貴方の命は失われてしまうと推測します。なので、なるべくそれは避けたいですね……。」
「私もその意見には賛同致しますぞ。それに、ある意味これは奇跡とも言える出会い……。」
「出会い?」
陳宮は己の傷も気にせず、彼女の手をガッシリ握るなり
「この世界で仕えるべき主は、ななし殿と見ましたぞ!我が名を天下へと知らしめる為、どうか、どうかこの無知な私を導いて下され!」
「……………………。」
嗚呼、どうしてこうなったのだろうか。
「あの、ですから、外にはなるべく……。」
「ええ、分かっております、分かっておりますとも!まずは、この建物で暮らす為の知識を教えて頂けませんかな!」
「は、はぁ………。」
グイグイと目を輝かせながら迫り寄る彼に押し負けたななしは困った笑顔を見せて、この後帰宅した親に何て言えばいいのか考える事にした。
先程まで涙を流していた自分は何だったのだろうか。彼がここに飛ばされてきた意味とは何だろうか。
こうして、ななしと陳宮の奇妙な関係はここから始まった。
その時がくれば、いずれまたこの話の先は綴られるだろう。
(血のついた服に、この傷……明らかに不味い……!)
(ふむ、この書物は実に興味深いですな)