甘い口溶けに酔う二人

「…………………。」

街の至る所で堂々と貼られているポスターや売り出されているチョコ、どうやら明日はバレンタインデーというイベントらしい。特に女性の人数が多く、どの製菓店も人だかりが出来ていた。

それをぼんやりと見つめているのは長いマフラーで口元を隠し目を細める吉継という青年。

「……………どうなっている。」

バレンタインというイベントを知らない訳ではない。ただ、女性達の勢いが尋常でないのだ。誰もが目に熱き闘志を燃やし、明日の決戦に向けて下準備を進めている。道を通ろうとすればする程女性の波に飲まれ、抗う事もならぬまま流されていく。

「…………………。」

しかし、これも俺には無縁か。波に揉まれる中で冷めた目をする吉継は何も期待してはいなかった。これといって付き合っている彼女がいる訳でもない。好かれる事は何度かあったが、それも流れだと思ってなすがままでいたらいつの間にか音信不通になっていたり、無かったことにされたり、それの繰り返しだった。

結局俺が相手に興味がなかったのだろう。だから相手の流れに任せていたのだが、こちらから求めようとしない事に痺れを切らして最終的に突き放された、と考える。それもそうだ、向こうからしたらリアクションなしで何も面白くないのだから。





「……吉……継……さ…。」


ふと、聞き覚えのある声が何処からかした。耳を澄まして辺りを見渡すが、人混みの所為でそれらしき人物を探し当てる事が出来ない。そのまま右往左往と追いやられてしまい、気が付けば辿り着きたい目的地に足が着いていた。結局声の主を見つける事が出来なかったが、あれは確かに知っている女性の声だった。

「すまない。」

未だこの行列の何処かにいるのだろうが、今は会う事が叶わないようだ。吉継はその場に背を向けて家に向かった。










「そこのイケてるお兄さん、ちょっと占ってみないかい。」

この道で訊ねられているのはただ一人吉継。辺りを見回す仕草をすればその女は笑って手招きを施す。近寄ればその顔には幾つもの皺を刻み込み、およそ中年位の女性だ。

「俺は占いなど信じないが。」

「まぁまぁそう言わず。もうすぐ店じまいだし、特別にタダで見てあげるから。……それにアンタ、バレンタインデーの前日だというのに、既に女にはとことんツイてない、っていう顔をしているね。」

「……………………。」

「ほら、手、貸しな。」

仕方無くスッと手を差し出すと、女はまじまじと視線を這わせる。

「へぇ、随分と綺麗な手をしている……でも、中身は……なるほどね、そういう事かい。」

「………分かるのか。」

「ああ、綺麗な手をしているが、それでいて苦労している印がハッキリと出ている。まるで、戦乱を生き抜いた武将だねぇ………まだ若いだろうに。」

「……………。」

「名は。」

「……大谷、吉継。」

「どっかで聞いたような名だね。でも悪くない、むしろ良い名前だよ。」

すると刹那、女の目は鋭く変わった。

「だけど、そうしていつまでも孤独に生きるつもりかい。運命を世に委ねて、己では何も変わらないつもりなのかい。」

唐突に己の生き方をはっきりと否定され、吉継の微動だにしなかった瞳が少しだけ揺らいだ。

「………ただその場の流れに乗るまで。それ以外は何も……。」

「いいや、アンタは変わらないといけない。じゃないと、本当に大切な者さえ見失ってしまうよ。」

「大切な……者?」

「本当はいるんじゃないのかい。今まで無関心ながら相手に身を任せながらも、心の何処かで強く想っている人が。」

その時、人混みの中で名を呼ばれた時と同じ感覚を覚えた。不思議と胸が熱くなり、満たされていた水の波紋が無限に広がるような、そんな妙な気持ち。

心の奥底でじりじりと焦がれるように、彼女の面影が脳裏から離れなくなった。

「心当たりがあるようだね。」

「それと一致するかは定かではないが、思い当たるかもしれない。……もしかすると俺が生まれて初めて、自ら望んで求める者。」

「そうと分かっただけでも十分な収穫さ。どれ、その隠している口元を見せな。」

マフラーできっちりと覆い隠した口元、あまり人には見せたくないが、この女は全てを見越した上で言っているのだろう。吉継はゆっくりとマフラーを下にずらした。

「この通りだが。」

包み隠さず全てを見せれば、彼女は射抜くような瞳で真っ直ぐに見つめ、伏し目がちに憂いを帯びる。

「………そうかい。」

理解した女は天をも呪うような、そんな目で静かに息を吐いて空を見上げた。

「でも、その想い人は決してアンタを手放したりはしないさ。他の女よりもアンタをよく理解していると思う。」

「そもそも彼女を占ってないのにどうしてそんな事が分かる。」

「さてね、勘ってヤツだよ。占い師とっておきの、勘。」

やれやれと言わんばかりに吉継は肩を竦めると、再び口元を隠して踵を返す。

「明日の昼、もう一度ここに来てみな。アタシじゃない誰かが待ってるかもしれないからさ。」

「………………。」

その言葉を聞くと同時に歩みを進め、遠くその場を立ち去る。空を見ればすっかり夕暗く影は伸び、人の気配は更に少なくなっていた。











半信半疑、そんな複雑な思いで目が覚めると昼近くですっかり太陽は真上に到達していた。起き上がるのも億劫だが、昨日の占い師の言葉が頭を過り、仕方無く袖に腕を通して外に出る。

するとどうだろう、昨日とは違った雰囲気に包まれた。甘ったるい香りが何処からともなく漂い、男女が仲睦まじく歩いている光景ばかり。

「…………………。」

そんな中を一人淡々と歩き続ける吉継。長い黒髪を靡かせて、ひたすら昨日と同じ現地に向かう。行き交う人々の流れに逆らい、彼女に会う為に。

するとそこに、一人の少女が手に袋を下げて誰かを待つように立ち尽くしていた。

言葉通り占い師の姿はなく、代わりによく知った……。

「ななし…………?」

「………吉継さん!」

たたっと駆け付けると、大きな瞳を爛々と向ける。
 
「良かった……本当に来てくれたんですね………。」

「……どうして俺が来ると分かった。」

「え………っと……その……そういえば昨日!広場で吉継さんをお見掛けして声を掛けたんですが、どうやら人混みに掻き消されて結局会えなかったんですよ………気付きましたか?」

吉継は瞬きをして彼女を見下ろす。ああ、やっぱりこの子だったんだ、と。

「ななし。」

「は、はい……何でしょうか。」

「俺なんかでいいのか。」

「それは、どういう………。」

ななしは袋の取っ手を握り締めて、ひどく狼狽え始める。それでも吉継は口を閉ざさない。

「俺は、流れのままに生きてきた。誰の為という意志もなく、そうして気付けば大切な者まで見失いそうになっていた。」

「吉継さん………。」

「しかしこの有り様だ。俺を好くなど、余程の覚悟がなければ出来ないだろう。」

「そんなの、分かっています。分かっている前提で、私は……!」

持っていた袋を思い切り突きつけ、ななしは迷いなき眼差しで吉継を見つめた。

「好きです、吉継さんが大好きなんです。例え貴方から求めて来なくても……私が貴方を強く求めてしまっているから……。」

「…………!」

「それでもいい……っ……それでも、私は吉継さんを………わっ……!」

気が付けばこの身体は彼女に触れていた。その袋を貰う事も忘れて、ただ望むがままに、頭で考えるよりも先に。

「…………すまない。」

「どうして……謝るんです……吉継さんは何も悪くないですよ………。」

「やっと、分かった。俺は、お前の事をずっと前から想っていた……。しかし、何処かで恐れていたのかもしれない……。」

「…………………。」

「だからこそ、決められた運命に、そんな流れに逆らうのも……悪くはないな。」

身体を離して見つめ合う。細められた吉継の目に映るのは、先までの狼狽えた姿ではなく、穏やかで優しい表情。

マフラーをずらして口元を見せれば、それに合わさる視線。ふとななしが頬に手を滑らせて

「えっと、綺麗です……とっても。」

「ふ……お世辞か。」

「違います!本当の事です……。」

「それを言うならななしの方が綺麗だ。」

逆に手を添えればあっという間に染められる頬。

「それとこれ、確かに貰ったぞ。」

逆の手には彼女が持っていた袋が既に。

「え、あ………いつの間に……っ…!」

慌てて目線を落とした隙に、吉継はすかさず身体を寄せて唇を重ねた。熱く柔らかい感触が唇から伝わり、酔い知れるような気分を味わう。

これが、自らが求めて愛するという事。

「…………ふ、嫌だったか。」

どちらからともなく離れれば尋常ではない程にななしの顔は真っ赤になっていた。心なしか目尻には涙を浮かべている。

「…………いえ、その………嫌じゃないです…。」

「そうか。」

頭を撫でて笑みを浮かべると彼女も同じようにはにかんだ。















「………甘い。」

「やっぱり甘かったですか……?だいぶ調節したんですが、ごめんなさい。」

「いや、嫌いではない。……ありがとう。」

そう礼を述べる吉継の頬が若干赤く、落ち着きなく視線を外せば、ななしは目をぱちくりさせてころころ笑う。

「やだ、吉継さん顔が真っ赤ですよ。」

「…………このチョコ、強い酒が入っていたのか?」

「ふふ、かもしれませんね。」

お酒は一滴も入れてないけど、吉継さんの気持ちを思ったらそれでもいいかな。つい嬉しくなったななしは陽気に曖昧な答えを返した。





(ところで何故あの場所に俺が来る事が分かったのだ)

(えっと……実を言いますと、あの場所にいた占い師さんと恋愛について語ってしまい……貴方の事を沢山話してしまったんです)

(……何と言ったのだ?)

(背が高くて、長い髪が綺麗で、マフラーしているカッコイイ男性………)

(…………………そうか)

(あぁ!ごめんなさい……!)

(いや、むしろ感謝しているのだが)