今日はバレンタイン、という事で、れっきとした女子であるななしもまた他の女子と同じように手作りチョコを作るかと思いきや
「何だか今日はやけに騒がしいけど何か特別な日なの?」
人が吃驚する程の天然ボケをサラリとかます、少し人とズレている彼女である。友人はまたか、と言わんばかりに彼女の鞄の中を覗き込めば、当然中身は弁当と化粧品というなんの風変わりもしない一式。
「ああ、本気で理解してないわ、ななし。」
「え、私、何かおかしい事でも。」
「いやぁ、ね。絶賛恋に恋するお嬢様なら、誰もが心をドキドキさせて挑む重大な日なんですよ。この言葉毎年言ってるけど理解していない訳なのこの子。」
「え、ああ!今日だったんだバレンタイン!全然頭になかった。」
友人は嘆かわしいと肩を叩くが、ななしはえへへと首を傾げるだけで別段気にするような気配は見せない。
「ねぇ、いつも一緒にいるカッコイイあの人。名前なんだっけ、確か……高……。」
「え、えっと……もしかして高虎さんの事?」
「そうそう高虎!あんなイケメンが目の前にいながら何も思わないわけ?私だったらこの日を上手く使って落とすけどなぁ。それに狙ってる人も多いだろうし。」
「落とすって……そういう人じゃないよ、彼は。」
「またまたそんな戯言を………兎に角、今日は何も言わず高虎君に料理を作ってあげなさい。絶対に喜ぶから。私が言うんだから間違いないわ。」
「料理………確かに今日は親がいないから、二人分作って一緒に食べようかな。食べるの一人じゃ寂しいし!」
極度の鈍感なのか単に興味がないのか、ななしは手を合わせて無垢な笑みを浮かべる。それを見て彼女はがっくりと肩を落とした。
「そうじゃなくて、告白!手料理をあげて気持ちを伝えるの!知ってるんだから、ななしが彼の事を特別視してる事くらい。」
「と、特別視だなんてそんな。彼は大切な友人だって。」
「大切な友人、それが男に向けるものなら恋が既に始まってる証拠。いい加減素直になったらどうなのよ、そんなんじゃいつまで経っても独り身だよ。」
「い、いきなりそう言われても……今まで高虎さんをそういう風に見てなかったから、何だか急にこそばゆい……。」
「ほうら、隠れていた本心が出てきた。このまま叩けば埃が沢山出てきそうね。」
「と、とりあえず、今日は作ってあげるだけだから!義理だし本命なんて何もしないから!」
「ふふ、その後はどうだか。」
そんな彼女に対し友人は面白おかしく口元を緩ませた。
「食材はこれでよし………後はレシピ通りに作るだけだけど……そうだ、先に高虎さんに電話しないと。」
携帯を取り出して電話帳から彼の名前を引っ張りだすと、コールボタンをタップ。
「………………。」
呼び出し音を何回か鳴らすものの、一向に出る気配はなし。仕方なく通話終了ボタンを押してメール作成に取り掛かるが。
「気付くかな。」
送信ボタンを押そうと指を滑らせた瞬間、パッと電話画面が開かれて慌ててスライドさせた。
『悪い!今仕事中でな、すぐに出れなかった。』
「あ……ごめんなさい!じゃあまた後で掛け直します……!」
『いや、少しの間なら平気だ。何かあったのか?』
「えっと……その、大した用ではないのですが、今日もしよければ私の家で夕飯食べませんか?」
『……………!それって。』
「あの、忙しければ全然大丈夫です!高虎さんの仕事の邪魔は出来ませんので……。」
『………いや、行く。何があっても行く。』
「ほ、本当ですか……!良かった……では来れる時間にまた連絡して下さい。」
『ああ、分かった。じゃあまた後でな。』
プツ、と音信が途切れると、高虎の中の何かも切れた。
「今日は確か……………これは、もう……あれと受け取っていいんだよな………。」
はらりと下りた前髪を掻き上げて大きく一息。すると後ろから吉継がやって来て
「高虎、随分と嬉しそうな顔をしているが、いい事でもあったのか。」
「………いや、ちょっとな。」
仕事どころではなくなった、期待に胸を躍らせた高虎は鞄を持って潔く立ち上がった。
「ふう……なんだろう、凄く緊張した………。」
電話を切ったと同時にへなへなと椅子に座り込んでしまい、気力が一気に抜ける。友人に言われた一言が頭の中で復唱される度にその気持ちは更に揺らいだ。
「とりあえず、料理。それ以外は何もしない。」
パチン、と頬を叩いて正気を取り戻すと、食材を手に立ち上がる。
料理は元より得意な方、包丁とまな板のリズミカルに打ち合う音と器用にフライパンを返す音、そうして煩わせる物もなくあっという間に一品一品テーブルに置かれていく。
「もう少し………っと!?」
唐突に電話が鳴り響き、集中していた彼女はあうやく盛りつけた皿を落としかける。これまた慌てて電話に応答するとやけに息切れした高虎の声が。
『はぁ………ななしか?………良かった。』
「息がすごい荒れてますけど……大丈夫ですか?」
『あ、いや………少しばかり走ってな、もうすぐ家だから、連絡した。』
「あっ、もうすぐ家ですか!ちょっと待ってくださいね、鍵開けておきますので勝手に入ってきて下さい。」
『馬鹿…野郎…いくら俺でも勝手にずかずか人様の家に上がれ込めるか。インターホン鳴らすぞ。』
「そ、そうですよね、すみません。」
電話が切れると同時にオーブンの出来上がり音が鳴り響く。中身を取り出して最終仕上げを済ませれば、後は彼が来るのを待つだけ。なのだが、そわそわと落ち着きがなく椅子に座ったり立ったりの繰り返し。
「………………。」
ピンポン、言葉通りにインターホンが鳴らされると咄嗟に動く両足。駆け足で扉を開けるとよく知る背の高い男の姿が視界いっぱいに映った。
「………おう。」
「こ、こんにちは、高虎さん!さ、中ヘどうぞ。」
彼は少しばかり照れくさそうに目を伏せて上着と靴を脱ぎ、そのままリビングへ向かう。その後ろをななしがちょこちょこ着いて行くと、椅子を引いて軽く手招き。
「凄いな、これ全部手作りなのか。」
「は、はい!料理は好きなので、腕によりをかけて作りました。高虎さんの口に合うか分かりませんが…よければ食べて下さい。」
控えめに言えば、高虎は目を細めて優しく笑みを浮かべる。そんな綺麗な表情にななしの心は激しく波を打った。
友人に言われた一言の所為か、普段気にしていなかった些細な事に敏感になってしまっている。妙に畏まったり言葉が詰まったり、自分でも分かる位に高虎に対して意識している。
「………………。(違う、これは義理であって、友達としての感情なんだよね)」
ななしはあくまで高虎を友として意思を貫く。自分の思う感情に間違いはないのだから、こんなに緊張する事はない筈だ。もっと素直になれば、いつもと同じ、なのに。
「………ななし。」
「…え…あ……は、はい何でしょうか!」
高虎の声も届かない程に考え込んでしまっていたようだ。我に返ったななしは狼狽えつつも裏返った声で返事を寄越した。
「…………美味い。」
「本当ですか!………よ、良かった……!」
「これが……あんたの気持ちか?」
「……………え。」
真顔で問いただす高虎に、ななしは訳が分からず箸の動きを止める。
「いや………今日はその……あれだろ。だから、わざわざ作ってくれたのか……って。」
「も、もしかして、バレンタインの事……ですか。」
「…………ああ。」
「あの、えっと……実を言うとですね……これは……。」
「……………ななし。」
カタン、と箸をテーブルに置いて高虎は徐ろに立ち上がるとななしの目の前まで歩み寄る。見下される景色に彼女はただ目を奪われて呼吸すらまともに出来なかった。
互いに聞こえるは時計の針の音、そして意を決したように開かれた薄い唇。
「あんたが、好きだ。」
「…………………!」
熱を孕んだ鋭い瞳はななしを真っ直ぐと射抜き、冗談ではないと言わんばかりに真っ向から言い放たれた告白。その瞬間、ななしの中で決め付けていた友という言葉の壁が粉々に打ち砕かれた。
「……………高虎、さん…………。」
「今の今まではただの友達としてあんたと付き合ってきた。だが、いつしか違う感情が自分の中で芽生えて、次第にあんたを友として見る事が出来なくなっていた。もしこれがななしの気持ちだと言うのであれば、俺もそれに応えたい。……どうなんだ?」
「…………………。」
まさか、彼からそんな言葉を聞くなんて。しかしこの手料理が自分の思いとイコールに結びついてしまったのであれば、
「私も…………高虎さんの事………。」
ごくりと生唾を飲み込んで、好きです、と、声にならない唇の動きで黙り込んでいた高虎は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ああ、この料理が俺の勘違いでフラレたらどうしようかと焦った。」
「えっと………。」
実は食事が一人だったから且つ義理でした。なんて言ったら後が怖い。しかし、彼の思いを知った今、自分の本当の気持ちも見つける事が出来たかもしれない。こうして冷静に彼の顔を見つめれば、自然に頬が紅潮していくのが分かる。
「ん、どうした。」
「な、何でも無いです!」
「ななし。」
名前を呼ばれたと同時に感じる温もり。いつしか片膝を床について同じ目線の高さで抱かれてると感じた瞬間、ななしの目は吃驚のあまり大きく見開かれた。
「た、か、虎……さ……!」
「……悪い。我慢出来なかった。」
ついでにキスもな、と不意打ちと言わんばかりに唇を重ねられ、これまたななしの心臓は飛び上がる程に跳ねる。言う程激しくなく、チョコを食べていないのに蕩けてしまいそうな甘ったるい味が口いっぱいに広がった。どちらからともなく離れると、吐息が混ざり合って狭間に生み出される熱。
「さぁ、冷める前に美味しく頂こうか。」
それが果たしてどういう意味か、高虎の目色が変わった瞬間に、ななしの顔色も色とりどりに変化した。
「やったぞ吉継、遂にだな……。」
「そうか、長年の想いが遂に実を結んだか。」
会社のデスクで嬉しそうにはにかむ高虎は、隣に座る親友の吉継に事の全てを話した。
「ああ、長かったな……まさかななしから来るとは思わなかったが。」
「ふ………そうだな。お陰で俺がお前の分のチョコも受け取る羽目になったが。」
「………悪い、後でそれまとめて渡してくれ。」
「まさか、それを彼女が知ったら悲しむぞ。」
「そう、か………どうすりゃいいんだ。」
「任せておけ、俺が他の友人に配り歩いておこう。」
吉継はゆっくりと立ち上がると、紙袋に詰め込んだ大量のチョコを正則や清正に迷いなく淡々と配り始めた。なんて大胆な事をする奴だ、と半ば閉じた目でその光景を眺めていたが、昨日の出来事を思い出してしまいうっかり笑い声が漏れてしまった。
「すまんな、吉継。」
今までにない清々しい顔で窓の外を見やった。
(まさかこんな事になるなんて思ってなかった……!)
(ああっ、遂に……遂にななしにも恋の神が舞い降りたのね!)
(えっと……彼の勘違いから始まった……恋なの、かな?)