「………………。」
黙り込む李典の鞄の中には、箱。可愛らしいリボンが施された、女性に贈る為のプレゼント。
「……………どうしよう。」
長ったらしい授業が終わり、漸く渡せる時間が来たのだが、李典の目は何処となく遠い。
「ななしちゃん。良かったらコレ。」
「え、あ、その……。」
ななしと呼ばれる少し困り果てた彼女……李典が想いを寄せている人物である。が、しかし、今見ての通り他の男から半ば強引にチョコを受け取っている最中。
と言うのも、バレンタインの際にななしが女友達と義理として平等に配り歩いていたらしく、虚しくもそれを本命として受けてしまった男共が我先にと彼女に本命のお返しをしているのだ。無論、彼女はそんなつもりはないので、熱烈なアプローチは尽く玉砕、彼奴等は泣きながら撤退、という無惨な状況下にある。
「俺も……あと数分後にああなるんだよな……。」
勘が告げずとも分かるさ、アイツらと同じ道を歩もうとしている事を。
「そんな事になるくらいならいっそ自分で食っちまうか……!」
青いマフラーをギリギリと握り締め、机の上で膨らんだ鞄と終わらないにらめっこを繰り返す。向こうで撃沈して亡骸が積み上がっていくのを見る度に李典は自信をなくしていく。そんな屍と一緒に終わりを迎えるくらいなら、恥をかくくらいなら、と淀んだ思いを巡らせていると
「ねぇ、ななし、肝心な本命から貰ったの?」
「え………?ううん、まだ……。」
「そっかぁ。でもさ、分かりやすいように他の人とラッピング分けたんでしょ。誰が見ても本命!って分かるようにさ。」
「そうだけれども……まさかこんな事になるなんて思ってもいなかったから。きっと、彼は、来ないと思う……。」
「ああー、悄気げちゃダメだって!気付いてもらうまで待ってみよ?まだ教室の中にいるかもしれないしさ。」
なんて会話が聞こえてきたりして。
ふと周りを見渡せば大勢の学生が屯している。もしかするとこの中に彼女が本命としてあげたであろう男が潜んでいるという事か。
「………駄目じゃん。」
やめだやめだ、帰ろう。そう思って彼女の近くを通り過ぎようとした際に
「……………………。」
「…………っ………。」
なんだ、どうして一瞬俺を見て目を逸らしたんだ。
横をすり抜けるように教室を出ようとした瞬間、ななしはぱっちりとした瞳を更に大きく見開いて、李典の横顔を見つめ、その後すぐに視線を外に向けた。何か言いたそうに袖を握り締めていたが、それに気付かない李典はそのままごった返す教室を後にした。
「はぁぁ、ツイてないな、俺。」
今年は義理が一つ。しかも入学してからずっと想いを寄せていた女性からのチョコ。例えそれが他の男と同じような義理でも、李典にとっては飛び上がる程に嬉しい筈だ。
「でも、ま、いい思い出になったわな。」
そういえば貰ったあの時、すぐに家に帰って箱を開けたっけ。随分と手の込んだラッピングに可愛らしい包み紙、中身は確か手作りだった。所々焦げていたが味は最高に美味しかったのも今でもはっきりと覚えている。
「………んー……手作り………?」
果たして他の人はどうだったのだろう。俺と同じように手作りだったのだろうか。いくら作るのが簡単とはいえ、ここまで時間をかける事は……。
「………って、考えすぎ、俺。」
まさか自分だけが特別、本命だなんてあり得ないだろうよ。偶然隣同士になった際に時々ノートを貸し借りしたり、教科書を見せてもらったりしてもらうだけの簡素な間柄。友達にも満たないだろう自分が好かれるなんて驕るにも……。
「…………っいて!」
考え過ぎてどうやら何かにぶつかってしまったらしい。こちらはよろめくだけで済んだが、
「え………あ……悪い!」
そこには先程まで同じ教室にいたななしが座り込んでいた。呆けていた李典とぶつかった所為でどうやら尻餅をついてしまったようだが、幸い固い床で無かった為に怪我はなかった。
「本当に大丈夫、か……!?何かあったら、俺………!」
「い、いえ!大丈夫です!一応何度か声を掛けたんですが……。」
声を掛けてくれたにも関わらず、心ここにあらずの自分は真っ直ぐ突き進んでしまったという訳か。あちゃあ、やってしまった、李典は頭をくしゃくしゃと掻き乱した。
「あー、その……考え事をしてたんだ。気付かなくて、ごめん。」
「そうだったんですか。…………。」
どことなく憂う顔が、李典の心を揺らがせた。誰も見ていない今なら、告白して見事に玉砕してもいいんじゃないのか。いや、あの時のお礼だと笑って誤魔化して、想いは傷つかないように閉まっておいた方がいいんじゃないのか。二つの迷いが彼の鼓動を一層速まらせていく。
「あのさ。」
鞄から取り出した箱を突き出すと、ななしはどんぐりのような真ん丸な瞳を李典に向けた。
「その…………これ、先月のお礼。あれ、手作りだっただろ?凄く………美味かった。」
どぎまぎした台詞を何とか紡ぐのが精一杯。今にも泣きそうな李典は顔を真っ赤にしながら目を逸らした。
「………李典君。」
「いや、その、義理だって分かってる。俺も周りの奴等と同じだって……。」
ああ何言ってんだ俺。彼女、困っちまうだろ。
「待って、私……。」
「ああいや!それ以上は言わなくていい、黙って受け取ってくれるだけでいいんだ。……それで、いいから。」
我ながら回りくどくて面倒くさい。好きなら好きって言ってしまえば……。
すると彼女が箱を手にした瞬間、顔を上げて
「あれ、義理じゃないです!」
「………………………へ?」
「だ、だから………義理じゃ……ないんです………。」
開いた口が塞がらぬ間の抜けた顔。身体が氷のように固まって指先一つ微動だに動かせない衝撃が李典を襲った。目の前で耳まで真っ赤にしたななしが、真っ直ぐとこちらを見上げている。
「あ、え、っと………ななし…ちゃん?」
「ラッピングから何まで、チョコも手作りなのも李典君だけで……!友チョコとして、皆に平等に渡していたけれども……貴方だけは……。」
ああ、これ以上は恥ずかしい!と顔を覆って遂には踵を返して逃げてしまった。呆然としていた李典は我に返ると慌ててその後を追いかける。
「待って、くれって!」
「ごめんなさい!」
人混みの中を掻い潜り、ななしはどんどん遠ざかっていく。そんな二人のおいかけっこを見ていた男達は怪訝そうな顔をして
「おい……李典が暴発してるぞ。フラレたからって普通嫌がってる彼女を追いかけ回すかよ……。」
と、とんだとばっちりを食らう羽目になるが、李典はお構いなしに、無我夢中に、逃げ行くななしの背中を追い掛け続ける。延々と長い廊下を駆けていき、ひっきりなしに続く階段を上り詰め、人にぶつかりながらも答えを求めるべく彼は奮闘する。
「ま………っ………!」
しかしようやく間近に迫った背に手を伸ばすと同時に、己の足が縺れて不覚にも大胆に転んでしまう。背後の大きな音に驚いたななしは振り返ると形相な顔で倒れ込む李典の傍まで駆け寄った。
「わ、私……とんでもない事を……!」
「いてて………。」
しかし、伸ばされた彼女の手を、彼は掴んだ。
「やっと、捕まえたぜ。」
「………っ………。」
「転ばせたお詫びに、さっきの続き、聞かせてくれよ。」
「もしかして………わざと………。」
「さぁな、俺、痛いのは好きじゃないけれど。」
鞄についた汚れを手で振り払いつつ、李典は握り続けている右手にますます力を込めた。困惑の色を浮かべるななしだったが、遂に観念して小さく頭を垂れる。
「えっと……あのチョコは……正真正銘の……本命です。」
待ち望んでいた本命という単語を聞いて肩の力がすとんと抜ける李典。
「………良かった。俺も、ななしちゃんの事がずっと好きだった。入学した時から、一目惚れって奴。」
「李典、君。」
「ああ……冴える勘が外れる時もあるんだな。てっきり眼中なしって思ってたけれども……うん……そっか………。」
「……はい、私も李典君の事が……。」
目の前で淡く彩る唇の動き、透き通るような長い髪を指に絡ませる仕草。
こんないい雰囲気なんだ、キスしても、きっと許されるよな。
長い指を彼女の顎下に滑らせ、目と目を合わせてそっと瞼を閉じ、引き寄せると同時に感じる互いの吐息とーー
「ちょっと、ここ、まだ学校なんだけど。」
ぎょっと身体を強ばらせ、低い声の主に視線を合わせれば、そこにはななしの友人が青筋立てて仁王立ちしているではないか。
「ほー、嫌がる彼女を散々追い回した挙句にこうして引っ捕らえて、キスをせがもうとしているという奴がいると言っていた男共の噂は本当だったんだ。」
「え、そんな噂、どうして……!」
「ななしはね、貴方みたいな野蛮人を好みにしないのよ。れっきとした本命がいるんだから、これ以上執拗に付き纏うのは止めて頂けますか。」
「ちょっと、待てって!そ、そうなのかななしーー」
「ましてや下の名前で呼ぶなんて……下劣にも程があるわ!行くわよ、ななし、まだ沢山人がいるんだから、一緒に待ちましょ。」
「え、その、違うんだって!李典君は私のーー」
「もう大丈夫よ、無理矢理言わなくたって私がいるから。」
友人は弁解するななしを強引に連れて吐き捨てるようにその場を去る。その場に残された李典はただ二人が角を曲がるその時まで黙って見つめる事しか出来なかった。
「そ、そうでしたか。」
「なぁ、楽進、俺、どうなるんだろ。」
「大丈夫、ですよ。……恐らく。」
「ああ………大丈夫、大丈夫……そっか………。」
「李典殿……。」
昨日が昨日という事もあって学校に来るまでの足取りが重く、案の定周りの人もそういう目で見ていた為に全身という全身に穴が開きそうだった。見渡せども肝心のななしの姿も見当たらない、という事は……
「俺、そんなに下劣で野蛮なのか?」
「い、いえ……私にはそんな風に……。」
「李典君!」
ドアが開くと同時に開口一番彼女の声が響き渡る。幻聴か、と溜息を零す李典と幻聴ではないと言い聞かす楽進の元にななしは歩み寄った。
「……って、幻聴じゃない……。」
「昨日はごめんなさい……私の所為で可笑しな噂が広まって……友人は私の事を思って庇ってくれていたんだけれども、あの時の言葉は……本当に……。」
「………っ。」
「……李典君が、好きなんです。」
これだけの人がいる最中での告白は、相当覚悟がいる事だろう。周りの傍観者も唖然として目を丸くしたり口を開けたりと好き放題やってる。それでも、誤解を招かないようにと、彼女は恥を捨てて言い放ったのだ。
「………夢、じゃないよな、俺。」
「……はい。」
「………そう、か。」
「それと昨日のチョコ……美味しかったですよ。心のこもった手作り、ありがとうございました。」
屈託無く笑うななしに、恥ずかしいながら李典もつられてはにかむ。
「ああ、俺こそ…ありがとな。」
「なんだ、男共が変な噂を言いふらすから、私勘違いしちゃったじゃない。」
「ごめんね、先に言わなかった私が悪いの。李典君だって言っていればこんな……。」
「もう、これからどんな顔して会えばいいのよ。下劣とか野蛮人とか散々口にしちゃった。それに……よく見ればなかなかのイケメンだったし。」
「もう………ふふ。あ、そろそろ行くね。」
「あら、これから初デート?」
「………うん、今度は………ね?」
「あー、邪魔しないわよ。もうちゃんとした恋人なんだから。」
別れの挨拶に小さく手を振ると友人も振り返す。そしてその手を遠くで手を振り上げる男に向かって大きく振りかざしたのだった。
(お待たせしました!)
(か………)
(か?)
(いや、ただ、可愛いな…って)