たまには甘い告白を

「……………………………。」

これで8回目の失敗。黒くなった異形の塊が独特の苦々しい匂いを部屋中に漂わせ、思わず食欲をなくさせる。

「どうして上手く行かないのかしら……レシピは間違えていないのに。」

ふんわりとエプロンのフリルを揺らしてななしは頭を抱える。

今日は世の乙女が待ちに待ったバレンタイン。故に、ななしはある人に対し日頃の感謝を込めて渡そうと密かに企画していたのだが、己の力量を事前に試さずぶっつけ本番に挑んでしまったが為に、何度も間違えては泣く泣く捨てるという惨事に至る。

「これじゃあ間に合わない……どうしましょ。」

だからといってメイドに頼み込む訳にもいかない。これは一人で成し遂げると決めた計画、誰の手助けも借りず夕方までには全てを完璧に仕上げなければいけないのだ。

とはいえ、材料も限界がある。これだけ失敗を重ねてしまえば必然的に自分で用意した分はあっという間になくなり、更に作るにはもっと買い足さなければならない。しかしここから出れば皆にバレてしまう為、出る事すら叶わない始末。

「……ああ、腕には自信あると思いましたのに……。」

端からみればどの口が言うお嬢様なんだか。

彼女は他とは違う血筋の人間な為、住まう所はこの大きな屋敷である。生まれた時からやる事全てを雇ったメイドに任せきり、常識なんていうものとはほぼ無縁に生きていきた。

故に、今やっている事など何も知らぬ赤ん坊に料理を一から作らせているのと同じ原理だ。並程度も出来る筈なく、レシピを見た所で分量、火加減、時間、どれも己の勘に頼るしかない訳で。

「……………。」

溜息だけが広く静かな部屋に響く。この時ばかりは無性に人肌が恋しく、誰か隣にいて欲しいものだ。





「………お嬢様。」

と、タイミングを図ったかのような控えめに扉を叩く音と声。ハッと顔を上げたななしは嬉々と扉を開けようと駆け寄るが、自分の置かれている立場に気付くと途端にブレーキがかかり取っ手寸止めの指先が震える。

「………何の用です、小十郎。」

「お言葉ですがお嬢様、何やら外まで異様な匂いが漂っておられるのですが……何かお作りになっていまして。」

「……………!き、気のせい、ですが。」

「……………では、失礼します。」

ガチャ、と勢い良く扉が開かれ、その場で呆然と立ち尽くすななしの姿と背景の惨状を目を細めて一望する。

すん、と高い鼻を小さく鳴らし、

「ああ、化学兵器か何かをお作りになっておられましたか。」

これは随分と気合いの入った、と、態とらしく笑む小十郎。

「ち、ちが………っ!違います!これは、その………。」

「…………では、私の見解が間違っていなければ、これはチョコレートを用いたスイーツでしょうか。」

「………分かってるじゃないですか。」

「ええ、僅かに香る甘ったるい匂いで。しかし、私の知っているスイーツとは程遠い物体ですが……。」

眼鏡の奥で光らせる鋭い目をななしは見逃さなかった。その場に転がる黒い塊を見ては実にきまりが悪いとななしは肩をすぼめて項垂れる。

「………ええ、ある人に作ってあげようとした結果がこれ。自分一人ではこうしてまともに菓子を作る事も出来ないんです。………もういいわ、小十郎、ここ片付けておいてくれますか。」

くるりと背を向けて扉の方へ一歩踏み出す。が、それを小十郎は見逃さず、咄嗟に片腕で遮った。カツン、と怯んだ彼女のヒールが音を立てて止まる。

「…………どういうつもりですか。」

「………ご冗談を。絶好の機会を見す見す逃すおつもりですか。」

「機会………?」

中指で眼鏡を上げる仕草を見せ、小十郎は続ける。

「生まれてこの方何もした事のないその綺麗な手が、誰かの為に汚していらっしゃる事はこの小十郎、正直感心しております。……故に、ここで止めてしまえば、貴女はこの先も進歩致しません。」

「………進、歩………。」

「そうです。貴女の中で、自分を変えたいという願望がある筈。ならばその人の為に、今一度お考え直して頂ければ。」

数々のご無礼お許しを、と軽く頭を下げる。

「…………………。」

言われて自分の手を見つめなおすと、確かに今までなかったような汚れがちらほらと付いている。真っ白な手はチョコレートによってコーティングされ、整えられた爪の中まで茶色い。

改めて小十郎の顔を見れば、満更でもない様子。

「お気付きになられましたか。」

「………ええ、ハッキリと。

………だから、その……教えてくださいますか……私に、この菓子の作り方を。」

嬉し恥ずかしくそう問いかければ

「…ではこの小十郎、微力ながらご助力させて頂きます。まず、このレシピの見方でございますが…。」

ピリッとした雰囲気から解放され、小十郎の表情は穏やかになる。が、安心したのも束の間、お互いの指先が触れると同時に、ななしの顔に熱が一気に集まった。

「ご、ごめんなさ……!」

「………お嬢様?」

「え、あの………手、が。」

「…………ああ、そうでした。まずはそのお手を洗いましょう。」

どうやら指の汚れを気にしていると勘違いしたらしい。そういう所に鈍感なのは小十郎らしいと言えばらしいのだが、もう少し意識してくれてもいいのでは、とななしは頬を膨らませた。

「………一人で洗えます。」

「おや、早速その気になられましたか。」

「て、手ぐらい一人でいつも洗っています!」

「本当に、そうでしょうか……?」

クスリと笑みをこぼす小十郎の膝辺りを思い切り蹴れば、ナイスでございます、と涼しい顔して材料を混ぜ合わせる。痛覚がないのか、と目を見張りつつ、その手捌きに釘付けになった。

「凄い………あっという間にここまで。」

「お褒めに与かり、恐縮でございます。では、今度はお嬢様の出番です。」

そう言ってボウルを彼女に渡せば、全ての材料が均等に混ざり合ったクリーム状の液体がタプンと揺れ、慌てて両手で持ち直す。

「こちらの器に移して頂ければ準備完了ですので。」

「こ、こうですか………。」

お見事、と口元を緩ませる小十郎に時々目を向けつつ、次々とお玉で掬い器に音なく注いでいく。

「後はオーブンで焼けば、完成でございます。」

予め余熱しておいたオーブンに入れると同時に肩の力が抜けてストンと椅子に座り込んだ。

「はぁ………やっと、まともに出来るんですね。」

「余程の事がなければ、ですが。」

「………そうですね。相変わらず嫌味が多いですこと。」

「恐れ入ります。」

別に褒めてませんけど。ななしは顰める。

「………………。」

「………………。」

そこからは沈黙が続き、特に話す事なく時間だけがすぎて行く。

しかし、先に口を開けたのは小十郎。

「………失礼ながら、一つお訊ねしても宜しいでしょうか。」

「………なんです、か。」

すう、と息を吸う音が近く、恐る恐る小十郎の方を見れば、精悍な顔付きに思わず身体が強張ってしまう。

聞かれる質問が何だか分かる気がして、何処か居心地が悪い。だけど、それを言ってくれたのであればーー


「本日は恋人たちの愛の誓いの日とされるバレンタインデー……お嬢様にも、そういう方がいるのでしょうか。」

「…………………。」

やっぱり、とななしは唇を結ぶ。

「…………いえ、特に深い意味はございません。ただ、今日という日にこの様な行動を起こしたのが偶然だったのか、はたまた必然だったのか……。」

「ね、小十郎。」

ふと我に帰ると、ななしは瞬時に彼の眼鏡を取り上げる。

「っ、何を。」

「これ、何本に見えますか。」

指を立ててフリフリ揺らせば、小十郎はぼんやりとした視界の中目を凝らしてじっと見つめる。

「…………。」

「見えないんですね。」

「返して、頂けませんか。」

「嫌です。」

「何故。」

「だって。」

そう悪戯に笑うと、ななしは小十郎の唇に軽くキスをする。

「………っ、お嬢、様!?」

「ふふ、案外鈍感ではなかったのですね。てっきりそういう事に興味がないかと思ってました。」

「………どういう意味、でしょうか。」

「私が誰に作ったのか、少しでも気にしてくれたから、ちょっと嬉しくて。

……本当はね、小十郎に作ってあげようと思ってたんです。だけど、貴方の言う通り一人じゃ何も出来ない私だから。」

一緒に作れてよかった。そう笑うとななしは眼鏡を元の所に返す。

「……………お嬢様、私は、」

その続きを言おうとした瞬間、オーブンの音がタイミングよく鳴り響く。あっとななしは嬉しそうに立ち上がると、彼の言い分を遮る様に慌ただしくオーブンの扉を開いた。

「わぁ!とっても美味しそう!」

甘ったるい香りに包まれて、彼女は幸せそうに頬を緩ませて綻ぶ。そんな様子を終始見ていた小十郎は眼鏡をかけ直し

「ではそのスイーツ、淹れたての紅茶と共に戴きましょうか。……ななし様。」

微笑みながら手の甲に口づけを落とせば一気にそこに集まる熱。

「………っ、小十郎の紅茶も、とても好きですよ。」

照れくさそうに目を逸らしつつも、彼がにっこり笑むのを見逃さなかった。




(ホワイトデー、どうしよう)

(その日もお嬢様と私の二人で作れば問題ないかと)