文化の違った愛を贈る

「〜。」

鼻歌まじりに機嫌よくボウルに放り込まれた材料を混ぜ合わせ、リズミカルにステップを踏みながら器用にチョコ板を割っていく。

「やっと、明日。」

そう、明日は年に一度訪れるバレンタインデー。この時をななしは一ヶ月前から待ち焦がれていた。予め家にはない器具をバッチリ取り揃え、自分でも簡単且つ綺麗に見えるチョコレシピを模索し、彼の事を想いながら今日この日まで過ごしてきた。

ああ、彼はどんな顔するだろうか。そんな事を考えているだけで心が躍る。

「っ、いけない。」

束の間の惚気でチョコ板の破片がボウルからはみ出して床に散らばっていた。慌てて拾い集めてはせっせとゴミ箱に捨て、余っていたチョコ板を割り始める。

「これで最後………と。」

パラリと破片が落ちた瞬間、電話のメロディーが大きく鳴り響き、うっかり抱えていたボウルをひっくり返しそうになる。

「誰………危ないじゃない………あ、嘘!」

と、光るディスプレイに映るのは願ってもない着信者。手についたチョコの汚れも目にくれず咄嗟にタップすると、その声はななしの頬を緩ませる。

「もし……。」

『ななし殿!』

「わ!どうされたのですか、陳宮さん。いきなり大きな声を出して……。」

『え、あ、いえ………貴女がすぐに出てくれたので、つい驚いて………申し訳ない。』

「そ、そういう事でしたか。いきなり声を上げるので私もビックリしました……あ、そうだ、丁度貴方にお聞きしたい事が。」

聞きたい事ですか、復唱するように問を返すとななしは少々声をくぐもらせ言いにくそうにトーンを下げる。

「その、明日………。」

『明日、明日ですか。勿論空いていますとも、一日中暇過ぎて何もする事なくてこの陳公台一人寂しく泣いてしまいそうだったんですぞ。』

「え?は………そ、そうでしたか……!実は明日そちらの会社に赴く用がありまして、その後に是非ともお会いしたく、都合を伺おうかと……。」

ああ神よ、感極まる陳宮は薄っすらと目尻に涙を浮かべていた。勿論そんな事があるとは知らないななしは話を続ける。

「その………大丈夫ですか。」

『貴女と会える時間まで、私はいつまでも待機してますぞ。』

ドが付く程に直球な返答にななしも頬を赤らめてしまう。見えぬ電話の先であろうと彼は微笑んでいるのであろう、それを思うだけで不意に胸がポカポカと熱くなった。

「では、夕方頃そちらにお伺いしますね。」

それでは、と電話を切る間際、何やら呟く声が聞こえた気がしたが、既に遅く通信は切れた。首を傾げて暫くディスプレイを見続けるななしであったが、湯煎していたボウルに気付いて慌てて掻き回し始めた。





「ふう、一日中暇過ぎてというのは大袈裟……いや、派手に嘯き過ぎましたかな。」

こちらも同じく切れた電話を見続けながら、陳宮は盛大な溜息をこぼす。

男の自分でも十二分に分かるバレンタインデー。そんな中での好きな人からのお誘い程勝る者もなし、例え他の用事があったとしても、してもだ、彼女との思い出の為に断らなければならない。


ーー例え、それが呂布からの命令があったとしても、だ。


「括り殺し………否、捻り殺しか………これは、これは一大事ですぞ。………しかし、これだけは男陳宮、何としても貫き通させて頂きますぞ、呂布殿!」

そこにいない猛者に食いかかる様に陳宮は高らかに叫ぶ。

此処が家で良かった、でなければ今頃小さき身体は地中に埋まっていたであろう。












会社を後にするななしは、手に提げた袋を見つめて表情を綻ばせる。

「陳宮さん、喜んでくれるかな。」

もう片方の手は宙ぶらりん。何か夕飯でも買っていこうかと思ったが、生憎まだ電話で確認していない。向こうが既に用意してあったら申し訳ないからと、電話を取り出して連絡を取ろうとするが、どうやら誰かと通話中でツーツー、と暫くは無機質に鳴り響くだけだった。

「何か軽く買っていけばいいかな。」

近くにスーパーが見えたので、とりあえずおかずを片っ端からぼんやり眺めてはカゴに放り込む。あまり沢山買い過ぎるとチョコの存在が薄くなるからと、美味しそうなお菓子を泣く泣く我慢して、精算を済ませて薄暗くなる道を一人歩く。

「……………。」

ふと自分の足元を見ると真黒いスーツという何とも色気のない格好だが、今日ばかりは仕方ない。こちらの会社に用がなければ寄る言い訳が出来なかったのだ。

それよりもチョコを渡した後に何を伝えようか、そんな事ばかり考えていて結局昨日は日が昇るまで起きていた。目の下に薄っすら浮かぶ隈をメイクで誤魔化して、同僚の心配する声にも懸命に笑顔で返し、それでも夕方の一大イベントが頭から離れなくて。

「(今の顔、変だと思われないかな。)」

出る前に鏡の前で頬を引っ張ったりして表情筋を動かしたが、今はすっかり引き攣ってしまって虚しくも徒労に終わった。

何とか持ちこたえろ私、心に言い聞かせて玄関の前に辿り着く。灯りが漏れているという事は少なくとも家にはいるようだ。

「ぴ、ぴんぽーん。」

インターホンの音に合わせて意味も無く口ずさむと、何やら騒がしく足音を鳴らしてこちらに向かってくる。

何かあったのか、と思わず身構えるが

『で、す、か、ら!今日は何としても行けないと言ってるでしょう!いくら、いくら呂布殿の頼み事でも、私はこの時ばかりは断固拒否しますぞ!』

「…………陳宮、さん?」

ドアを開けないという事は電話の相手との口喧嘩に気を取られてこちらに気付いていないのだろうか。あまりの事に呆然とその場に立ち尽くしてしまうななしだが、玄関先の廊下で言い合いになっている為かここからでも会話が筒抜けだ。

暫く聞く事にしよう、耳を澄ませてドア越しに陳宮の言葉を一字一句逃さず汲み取る。

『陳宮!この俺の誘いを断るなど十万年早いと思え!』

『そもそも人が十万年も生きると思いますか、いい加減にして頂きたい!』

『今日が俺にとってどれだけ貴重な日だと思っている!貂蝉の為に、俺がどれだけ………!』

『………本当に、本当にその人を想っているのであれば、私などの考えに頼るのではなく、一人で潔く挑みなされ。私が関わっている企画に幾ら喜んでもらえても、何一つ考えていない呂布殿はそれで満足しないでしょう。』

『………………。』

『私も、私も今日は………今日だけは………大切な人に、想いを伝えなければならないのです。呂布殿が貂蝉殿を想うように、私もまた………。』

『陳宮、貴様も……。』

『私だって怖い。自分の気持ちを伝えてしまって、今までの関係が壊れてしまわないかと。ですが、ですが……それでも、私は一人で真っ向から向き合うつもりですぞ。』

『………………。』

『………さてさて、助言はしましたぞ呂布殿。私の言う通りに貴方が勇気を持って動いたのであれば、きっと上手く行く筈。その後の彼女の心を開くのは、貴方次第ですぞ。』



「…………………。」

そこからは静かになった。怒涛な会話はあっという間に沈静化し、改めてインターホンを鳴らそうと指先に力を込めるが、

「(震えて、押せない。)」

さっきの大切な女性とは、誰の事か。自分以外の女性が、ここに来る予定なのだろうか。

先日見えずとも感じた笑顔は、友達以上恋人未満の価値なのだとしたら。それを思うだけでその先に行く事が出来なかった。


しかし、ドアは徐に開かれて



「ななし………殿?」


「陳宮、さ………。」

どこか外の違和感に気付いた陳宮が恐る恐る扉を開けては、立ち尽くす彼女に瞠目している。

「………はっ、もしや、インターホンを鳴らして………!この陳宮、聞き逃すとは何たる失態……!寒かったでしょうに、ささ、中に………」

「……………あの、これ!」

バッと差し出すは大切に持って来たチョコレート。

「ななし殿……?」

「えっと、これを渡したくて、寄りました。その、それだけですから……どうかお構いなく………。」

居心地悪いと目を逸らしながら袋を真ん前に突き出すななし。それと交互に見合わせた陳宮は慌てて

「いやいや!貴女の事をずっと待っていましたのに、もう帰るとは寂しい……。………上がって少し、少しだけでもお話しませぬか。」

暖かいコーヒーも用意してあります故、その温かい手に包まれて言われるがまま部屋に上がり込む。リビングに向かうとテーブルには彼が先程まで飲んでいたであろうコーヒーカップが置かれていた。

陳宮はせっせと棚から同じ柄のコーヒーカップを取り出して、小さな音を立てながら熱いコーヒーを注いでいく。彼女の目の前に置くと、向かい合うように彼も椅子に座って

「さてさて………ななし殿、これを開けても宜しいですかな?」

静かな問い掛けに対しこくんと少し控えめに頷くと、陳宮は嬉しそうに箱を取り出して中身をじっと眺める。

「ああ………。」

その顔は不思議と安心しきった、穏やかな笑み。確認するなり大切そうにしまい込んで

「実を言いますと、私も貴女にお渡ししたい物がありまして。」

そう言うなり、陳宮は別室に入っては何やらラッピングの硬い音が聞こえてくる。コーヒーを啜りながら帰ってくるのを待っていると、

「…………え。」

こちらに歩み寄る陳宮の手には花束。真っ赤な薔薇の花が何本も重なって色鮮やかさが彼によく映えている。

「今日この日の為に、用意いたしましたぞ。どうか、どうか……この陳公台の想いを、受け取って頂けませんか。」

片膝をついて差し出された花束、数は11本。

「でも………。」

言いかけた言葉を飲み込み、その花束を黙って受け取る。

「……………ななし、殿。」

「私………さっきの電話、駄目と分かっていながらも盗み聞きしてしまいました。ごめんなさい、でも……どうしても聞きたくて。」

あの時言っていた、陳宮さんの、想っている人って誰ですか。

その言葉に驚いたのか、彼は瞬きを繰り返し、一呼吸置いて軽く頭を小突いた。

「………!そうでしたか……いや、大変お見苦しい所を………。」

「……………っ…………。」

「しかし、しかしですぞ!私が心から想う人は、この通り、花に想いを込めて渡しましたが。」

はっと顔を上げると、幸福そうに笑みを浮かべる陳宮の姿。

「言葉にしてしまうのはあまり宜しくないとは言いますが、この際言っておきましょう。

11本のバラは………最愛、あなた一人だけ。」

いつになく真剣に語る陳宮は、自分で言っておきながら顔は真っ赤に染まっており、耳までその熱は集まっていた。

「……………陳宮、さん………!」

「え、あ、っと!いやはや、自分ばかり暴走してしまい……お恥ずかしいばかり。」

何と言えばいいやら、そう戸惑う陳宮の手を取り、

「私も………。」

「ん……。」

「私も、貴方の事が…………」

好き、そう言いかけた唇だったが、運が悪い事に電話のメロディーが鳴り響いてそれをいとも容易く阻んでしまう。ビクリと肩を上げて引っ込んでしまった小さな手に名残惜しさを感じて陳宮は今日最大のアンラッキーと酷く嘆いた。

なんて間の悪い……陳宮は心の中で舌打ちしながらサブディスプレイを睨むと、そこにはしつこい位に見飽きた呂布の二文字。

「なんと………。」

聞き分けの悪い男なのか、と彼女に頭を下げつつ渋々取ると、開口一番男の怒鳴る様な声。

『陳宮ーー!!!俺はやったぞ!!!』

「耳!耳!鼓膜が破れますぞ呂布殿!」

『貴様の鼓膜など知った事か、俺は遂に貂蝉に想いが届いたのだ。これ程に幸せな事があるものか。』

「そう、そうですか………お陰で私はたった今聞きそびれましたぞ。」

『ふん、所詮貴様はそういう運命だ、諦めろ。』

「用はそれだけですかな、そろそろ切りますぞ……。」

『………おい待て、話はーー』

はいはい、と電話を切って、本日何度目かの溜息を吐いては浮かれていた気分は一直線に沈まる。

「…………………。」

「ななし殿、申し訳ない……先程の続きはもう……。」

「…………………。」

ななしは何も言わず、スッと目を伏せる。

「如何……致しましたかな、もしや、何処か具合でも……。」

「陳宮さん、目を閉じてください。」

目?言われるがまま瞼を閉じると、

「…………!?」

乾いた唇に触れる柔らかい温もりに、堪らず陳宮は全身を硬直させる。刹那の出来事に瞼を開いてわなわなと唇を震わせているとななしは

「………そういう、事、です。」

と、林檎のように熟れた赤い頬を見せる。

「ーーーーー、」

何たる不意打ちか。陳宮の心は掻き乱され、思わず口元を押さえて悶えた。















「おい陳宮、貴様よくもこの前は」

「申し訳ないからと、もう何度も謝っているではありませぬか。」

「俺が怒らないのはその件があるお陰だ、ふん、命拾いしたな。」

「はいはい、有り難く思いますぞ。」

「…………覚えておけよ、あと一週間したら気が変わって貴様の身長か寿命を縮めてやる。」

なんだかんだ会社で惚気ける二人。呂布の声色はいつもながらに低いが、怒りとは真逆で非常にご機嫌である。あれから貂蝉とも一緒に会社に出勤するようになり、近い内互いの家に挨拶に行くらしい。一方陳宮はと言うと、彼女と違う会社の為かなかなか会う機会はないが、あの件があって以来毎日電話はするようになった。

疲れた時に聞くお互いの励まし程心地よい物はない。願わくば呂布と貂蝉の様に、我らもいずれ互いの家に挨拶にでも……

「おい、聞いているのか。」

「ええ、聞いてます、聞いてますとも。呂布殿がどれだけリアルに充実しているか。」

「人の事言える立場か貴様。鼻の下が伸びきっているぞ。」

「そういう呂布殿も朝から貂蝉殿ばかりではありませぬか。お陰で仕事に集中出来ませぬぞ。」

ああ言えばこう言うの繰り返しで、あと二時間。今日も彼女の電話を心より嬉しく待ちわびる陳宮であった。





(ホワイトデーは、どんな贈り物をしましょうか)