「…………。」
静かな部屋で黙々と執務をこなしていると、遠くからどたどたと慌ただしい足音が響いてくる。誰かが忙しく走っているのだろうか、にしても煩く迷惑だ、と法正は小さく溜息を吐く。
すると突然この部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
「法正様!」
「………は?」
そこにいたのは法正がよく知った髪の長い少女。しかし色々振り乱して何やら必死な表情を向けている。そんないつもと違う雰囲気に固唾を呑んだ。
「なんだ、何かあったのか。」
「………どうして。」
きゅっと唇を噛んで目を伏せた。余程の脅威が襲ったのかと焦りを感じたが、冷静に彼女の言葉の続きを待つ。しかし待てど一向に何も言わない、一瞬怪訝そうな顔をするが、今度は目を鋭く輝かせて
「………今日は、法正様の生誕記念ではないですか!」
「………は?」
間を置いて本日二回目の気の抜けた台詞を放った。
「ですから、今日は法正様の……。」
「いや復唱しなくて結構です、というかそんな事の為に態々ここまで走って来られたんですか。」
「そんな事ではありません!何故もっと前に言ってくれなかったのです……私、何も用意出来なかったんですよ……。」
膝を付いて本当に悲しそうにする彼女、そんなに重要な事だろうか、と法正は再び溜息を吐いた。先程の緊張は何処かに行って、一気に脱力しどっと疲れが押し寄せる。
「誕生日か……今まで祝ってくれた人間は一人もいませんでしたからね。こんな俺ですから、寧ろ呪う人が多いかもしれません。」
「……なら、私が全力で祝います!」
「…………。」
筆を置いて鼻で一息、ゆっくり立ち上がって彼女の目の前に立つ。
「…あの……法正様…欲しい物、ありますか?用意出来るものであれば何でも良いですよ。」
先と違って控えめな声で問いかける。
「そうですね。」
「はい。」
「すぐにでも欲しい物なら。」
顎に手を添えて、考える素振り。そして口元を緩ませ
「貴女が欲しい。」
「…………へ?」
きょとんと、何が何だか分からず目を丸くさせる。そんな彼女の額に口付けを軽く落とせば瞬きを繰り返して一気に顔を真っ赤にした。
「ほ、法正……様…!?冗談の意味が分かりません!」
「別に冗談でなくそのままの意味ですよ。懸命に誕生日を祝ってくれるのでお言葉に甘えてるだけの事……それに何でも良いと言ったのは貴女でしょう?」
「た、確かにそうですが…私なんかじゃ何も役に立ちませんよ。物の方がもっと利便性あります!
例えばこの筆とか紙とか……えっと……。」
「…………はぁ。」
そんな姿を見ててもどかしくなり、手を引っ張って抱き寄せればふわりと舞う髪から花や果実の様な甘い香りを漂わせた。腕の中で言葉を失って最早なすがままとなる。
「………その。」
「ああ、何も言うな。」
「………はい。」
じっと静かになる彼女、それを見て
「いや、一言あったか。」
と不敵な笑みを浮かべた。
「良いんですか?」
「勿論、その為にここまで懸命に走って来てくれたのでしょう?」
首を捻ってそう言えば黙って見上げて唇を僅かに開く。
「……ござい……ます。」
恥ずかしそうに頬を染めてもごもごと口を動かすが、先の勢いはすっかり萎縮していた。
「聞こえませんよ、ほら……もっと大きく。」
低い声を震わせて囁けば、ぎこちないが逸らしていた瞳を真っ直ぐ向けられる。
「誕生日、おめでとう……ございます……法正様…。」
すっと目を細めて本当に幸せそうに呟くその姿を痛い程抱き締めた。
(でも、誕生日の贈り物は用意しますからね)
(ですから、貴女が欲しいんですよ)