法正12

「ない。」

戦支度の最中、いつもの場所に置いてある筈の連結布が見当たらない。場所を間違えたかと辺りを散らかしてみたが、一向に赤い布は姿を見せず行方をくらましていた。記憶では先刻まであった筈なのだが。

「俺とした事が失くし物だと。」

仮に落としていたとして誰かに拾われていたら厄介だ、返す恩が一つ増えてしまう。

「………………。」

それよりも何よりも、あれはある人からの貰い物であり決して失くすわけにはいかない物。広い敷地で一人探すのは日が暮れてしまう故、面倒ではあるが知人に聞いて回るしかない。
そんな中まず出会ったのは徐庶、相変わらず情けない顔をしているな、と低く一声すれば返答に困った顔で笑う。

「俺の連結布知りませんか。赤い布なんですが。」

「連結布ですか?……ええと、俺の記憶では確か馬岱殿が持っていたような。」

「何故馬岱殿が持っている。」

「そう言われましても……。」

眉を下げて困惑の表情を浮かべるという事はこれ以上聞いても有力な情報は得られないだろう。どうも、と頭を軽く下げてその場から立ち去った。馬岱が何の理由で連結布を持ち去った、嫌味か、俺への嫌味なのか。
そう思い耽けながら歩いていると張本人の声が庭から上がった。

「はいよー!」

どん、と重い衝撃を音にして地面をゆらゆら響かせた。一体何をしているのだか、法正は渋々音がした庭へと赴けばそこには馬岱が武器を、いや、筆を構えて何かを描いていた。よく見れば龍や虎といった難易度の高い絵が立体的に描かれ今にも動きそうだ。相変わらず短時間でよくここまで描けるものだ、と、そんな感心している場合ではない。

「これはお見事ですね、馬岱殿。」

「あ、法正殿!いやぁ、もうすぐ大きな戦があるからね、力をつけておこうと思って。」

「そうですか。……それはそうと貴方ですか、俺の連結布を勝手に持ち去ったのは。」

「え?……いや、それ俺じゃなくて、確か諸葛亮殿が持っていたような……。」

意味が分からない、何故こんなにも曖昧な答えばかり返ってくる。答える速度も異常に早い気がしてそろそろ頭が痛くなってきたというのに、しかも今度は最も会いたくない諸葛亮と来るか。せいぜい次へのご指名が無い事を祈るしかない。




諸葛亮の所へ赴けば、まるで来る事を予期していたかの様な顔付きで法正に軽く頭を下げて一礼。法正は見つからない苛立ちを抑えながら涼しい表情でそれに対応する。

「いい加減俺の連結布を知りませんか。」

「連結布ですか、そうですね……一つ言える事は、少なくとも私ではありません。」

「では誰が持っているか、ご存知ですよね。」

「………………。」

「知っているのであれば、早速教えて頂きたいのですが。これ以上焦らされた芝居に付き合う程俺も暇ではないので。」

羽扇を仰いでゆっくり瞬きする鋭い視線を法正は見逃さなかった。そしてこちらからは一切見えぬ口を開く。

「私よりも、貴方が一番よく知っている方ですよ。」

「……………。」

「それだけで誰か……貴方の中で既に答えは出た筈です。」

口元までの表情は分からないがおそらく笑っているのだろう、そう言い残して諸葛亮は部屋に戻っていく。ああ、遠回しな言い方が気に入らなかったが漸く持ち去った犯人に辿り着いた。




「失礼しますよ。」

問答無用で部屋に入ると大層驚いたそこの主が法正の方へと視線を移す。彼女こそ連結布を持ち出した張本人であり、その手には散々探し回った赤い布がしっかりと握られていた。

「貴女が用意したであろう茶番に随分と付き合わされましたよ。さて、一体どういう理由で持ち出したのか……その口でしっかりと聞きましょうか。」

「ほ、法正……さん。」

一歩重い歩みを進めれば彼女はびくりと身体を震わせて尻込みする。恐らく今の表情はいつもより険しいのかもしれないが、それは決して彼女に向けての怒りではない。持ち去ったのが彼女であれば、怒る理由がないのだ。

「何故持ち出したんです。」

「それは…………。」

何か言えない理由でもあるのだろうか、しかしこのまま引き下がる訳にはいかない。少しずつ追い込めば彼女もまた後退りし、壁と背中がくっついたのと同時に両手をついて逃げ場を完全に無くした。

「言わなければ、このまま襲いますよ。」

妖しく舌舐りを見せつければ観念したのか、何度も首を横に降っては頭を垂れた。

「分かりました言いますから………っ!………その、もうすぐ大きな戦が始まると聞いたので……この連結布に、お守りを縫い付けようと……。本当に、申し訳ありません!」

そっと差し出してきたのは緑色のお守り、細かい縫目がばらついていてその不器用さから概ね彼女が作ったのだろう。

「………ああ、そういう事だったのか。だが何故俺に言ってくれなかったんですか、隠す必要なんて無い筈でしょう。」

「………実は、このお守りは事前に言っては効果が薄れてしまうんです。ですがそれ以外に持ち出す理由が思い付かず、勝手に持ち出してしまいました。また、出来上がるよりも先に気付いてしまった時の為に、何とか誤魔化してほしいと皆さんにも協力して頂き……。」

ごめんなさいと深々と下げる頭、とにかくあったならそれでいい。なにせ、これは彼女が初めて俺にくれた贈り物だったのだから。

「全く、貴女という人は……こんな俺の為にそこまでしますか。案外悪党はしぶといですよ?」

「それでも……愛する人の無事な帰りを、願っていたいですから。」

「…………。」

口元を緩ませて微笑む彼女が無性に愛おしく感じ、思わず唇を重ねてしまう。勿論不意打ちであるが故に顔を赤くして全身を強張らせた。後頭部をしっかりと押さえて離れぬよう深く口付けし、呼吸の限界が来たのと同時に音を立てて少しばかり距離を遠ざけ見つめ合う。

「そんな可愛い事言わないで頂きたいですね。襲う事……本気にしてしまいますよ?」

ほろ甘い口付けの狭間で漏らす本音、それでも彼女は否定することなくただ頬を染めて袖をぎゅっと握り締めていた。









「こんな俺に心から恩を返す人は、貴女だけですよ。」

帰ってきた連結布の端側に縫い付けられたお守りを指先でそっと撫でる。

「俺の無事を祈るのであれば、生涯かけて報いるとしよう。」

隣で眠る彼女に囁いて静かに目を閉じた。