「法正様の意地悪。」
ぶつくさ文句を言いながら歩く少女。彼女はつい先程、法正にからかいを受けた。彼からしたら些細な悪戯なのだが、それが毎日続くとさすがに嫌がらせ以外の何でもない。止めてほしいと何度か言ったのだが聞く耳持たず、更に回数が増していくばかりであった。
「ああもう、日々顔合わせるのが苦痛です……。」
しかし全てが嫌いではない。人柄が悪いと噂されがちな男ではあるが、特別酷い仕打ちをしてくる訳でもない。むしろ、悪戯以外はとことん優しい。出来無い事を進んで手伝ってくれ、あらゆる所での助言もしばしば。それだけであれば理想の男性、と拍手を送っても良かった。それだけであれば。
「気まぐれに付き合わされているだけなのか、何か怨みでも買うような事をしたのか………。」
しかし怨みであれば優しくする……など性格からしてまず無いに等しい。嫌う者は徹底して嫌う筈だ。では気まぐれなのか、日頃の鬱憤晴らしに付き合わされているだけの、なんの変哲も変化もない関係なのか。
それはそれで寂しいかもしれない。
「やだ、私………。」
彼に惚れている、なんて言ったら最後である。待て、嫌がらせ受けて好きになるとはどんな被虐的体質だ。いや、それ以外の優しさに惹かれたのであれば理屈に合うかもしれない。それだ、それしかない。
「…………………あ。」
そんな事を考えていれば法正の姿、どうやら女官と話をしているようで、お互い楽しそうに会話を交わしている。それどころか女の方は恥じらいに頬を染めて彼を見つめている。きっと彼女は彼に恋心を抱いているのであろう。
「……………………。」
じっと、見入っては落胆する。自分以外にも穏やかな表情を見せていると思ったら、無性に虚しさが込み上げてきた。
「……………………。」
つまりそれは嫉妬。
「どうして嫉妬なんか………。」
別に誰と話していても全く関係ないと言い切ればいい。何故嫉妬などしなければならないのか、彼女は首を横に振って雑念を振り切ろうとした。
すると法正は女官の頬に手を添えて滑らせた。それを見た彼女は愕然とし、思わずぽっかりと口を開けてしまう。
「まさかの、付き合っていたんですか……。」
違う、そうではない、どうして落ち込む。一体彼に何を期待しているんだ。彼のような色気の含んだ男に女の一人や二人、いてもおかしくはないだろう。そう必死に言い訳を巡らせてなんとか納得しようと頷いたその時。
「あ…………。」
何を思ったのか、運の悪い事に法正は後ろを振り向いてしまった。角度的に見えやすい位置に立っていた為、向こうからはこちらの姿が丸見えだ。
「知らない、私は何も見ていません……!」
髪を梳くふりして足早にその場から立ち去る。嫌に高鳴る心臓の鼓動を聞きながら急いで自分の部屋へと向かうが、心なしか遠く感じて不意に足の動きが止まってしまう。
「……………………。」
結局は好きなんだ。悪戯は嫌だけども、それで毎日顔合わせが出きる事が素直に嬉しかったのかもしれない。自分だけが味わえる幸福として、何処か特別な気分になっていた。
「だけど、ただそれだけ、なんでしょうね。」
それ以上の感情は向こうにはない。きっとただの遊び相手位にしか認識していないだろう。
「…………そうだ、いっそ悪戯される事も貴重で幸せだと思わなきゃ。」
吹っ切れた様子で振り返り、来た道をひたすら戻る。未だ会話を続ける法正と女官の所へ向かい、
「こんにちは。」
にっこりと笑顔で少し離れた所から挨拶をした。当然二人はこちらに目線を移し、女官は軽く頭を下げて、法正は……
「………どうして先程は走って行ってしまったんですか。」
目を細めて口角を吊り上げる仕草、これはからかう時の態度だ。
「すみません………急用を思い出して走ったのですが、日にちがまだ先の事だったので……。色々忙しくて参ります……。」
「そうでしたか、いつも大変ですね。」
俺という悪党に散々付き纏われて。そんな言葉が聞こえてきそうな気がした。ぞくりと背筋が粟立ち、悪寒が走る。
ああ、と思い出したように法正は加える。
「丁度いい。これから予定がなければ、俺と話をしませんか。」
ひらりと手の平を見せて色っぽく笑う法正。
「お話、ですか。いいですけど……そちらの方がまだ……。」
決定だな、と低く嬉しそうに笑うと、突然彼女の手を握り足早に歩み始める。
「えっ、待ってくださ……!」
「話は後でたっぷりと聞いてやる。」
いきなりの事に瞠目させるが、何の抵抗も出来ないまま二人は女官の元を立ち去った。
「……………………。」
その場に一人残された女官も、何も言えず暫く立ち尽くしていた。少し悔しそうに。
「分かりやすいな。」
人気のない場所、つまり彼の部屋に連れて来られてからの第一声。げんなりと、しかし決して毛嫌う様子はない。やけに近い身体と身体に戸惑いを見せれば、それを良いことに更に接近する法正。しまいには顔の息が掛かる程度まで距離は縮んだ。
「ち、近いです……!」
「こうでもしなければ、貴女の困る表情が見れないのでね。」
「意地悪です……どうして私ばかり……なんの取り柄もない女ですよ……?からかったって、何も良いことは……。」
「ありましたよ。勿論あったとも。」
法正は頬に手を滑らせて鋭い眼差しを向ける。
「貴女は俺に惚れている…でしょう?」
「…………!」
まさか彼からそんな台詞が出るとは。どれだけ自分に自信があるのだ。しかし彼女は否定出来なかった。それが事実である事には間違いない、彼女は本気で彼に恋している。
「………………………。」
「否定しないという事は、そういう事だな?」
「……………それでも、叶わない恋ですから………。」
全てを諦めるように見つめ返せば、法正は怪訝そうに眉を顰める。
「……どういう意味ですか、それ。」
「そのままの意味です。私をからかうのは日々の戯れ、特に意味はないんですよね……?先ほどの光景を見ると、法正様には既に恋仲と思われる女性もいるみたいですし……。」
「………………は。」
素っ頓狂な声が一つ漏れて、鳩が豆鉄砲を食らったように目をぱちくりさせた。
「…………戯れ、貴女に?」
「………はい。」
「恋仲、俺が?」
「………はい。」
真顔で返答する反面、呆れた様に顰めっ面を見せる。
「誰ですか、そんな阿呆な発想を吹き込んだ奴は。」
「あ………阿呆だなんて!私は本当の事を…………んっ!?」
言葉を塞ぐように法正は彼女の唇を塞いだ。いきなりの接吻に目を白黒させて抵抗をするが、男の力に圧倒されてあっという間に口内は激しく混ざり合った。
「………っは、法正、様………!」
呼吸が出来なくなり、必死に酸素を求めて唇を離すと
「………好きでなければこうして毎日会いに行きませんよ………。俺だって、照れ隠しの一つや二つ。」
恥ずかしい事を言わせやがって、法正は渋い顔をしながら舌で唇を舐める。
「て、て、照れ隠し………っ…………法正様、あれが照れ隠しですか……!」
「……………今ここで報いましょうか。」
「いえ、予想外の事でしたので、つい驚いてしまいました……。」
慌てふためきながらも出来る限り視線を下に伏せるが、法正がそれを拒むように顎を指で引き寄せる。恐る恐る見れば、逸らせない位の真っ直ぐで鋭い瞳。
「そういう事だ。今までたっぷりと優しくしてきた分、存分に激しい事……付き合ってもらいますよ。」
触れるか触れないかの距離での艶めかしい仕草にただ酔い痴れる事しか出来なかった。