法正25

ああ、痛い。

下腹部に鈍い痛みが走り、その後に続くかのように後頭部がズキズキと痛みだす。そう、女性なら誰でも訪れるであろう、あの特徴的な痛みだ。

薬を飲めば多少緩和出来るだろう。しかし、なるべく薬には頼らまいと常日頃から持ち歩いていないのが災いしたかもしれない。今回はいつに増してかなり酷い。

「ふう……月に一度が憂鬱で仕方ない………。」

今回は腰にも痛みがあり、このままだと勉強にも支障が出そうだ。とは言え、大学も残り一時限で終わるし、このまま体調が悪化しなければ何とか乗り切れるレベルだと、自分の中で幾度も自問自答を繰り返す。

「法正さん、帰り遅いのかな。」

ふと思い浮かんだのは、ある男の姿。

その法正とは彼女と同棲している恋人の事である。どんな時でも報恩報復を徹底し、彼の会社で働く人は上司部下関係無く「絶対に敵に回してはいけない男」として名が通っている。

またルックスの良さか、女性からの人気も高く、彼に会う為だけに会社に入った、という驚愕的な話も少なくない。事実を知っても尚その人気は衰えないというのだから、女子とは本当に恐ろしい。

「…………………。」

となれば、この時期は嫌でも異常な程に人恋しさを感じる。こうして距離が少し離れるだけで、彼に会いたいという我儘な気持ちが昂ぶってしまうのだ。

家に帰れば朝まで一緒にいられるというのに、なんて贅沢な悩みか。

「痛い………。」

心が痛いのか、身体が痛いのか。どちらにせよチャイムが鳴ってしまった以上この場を乗り切るしか手立てはない。隣で心配そうに顔を覗き込む友人に何のこれしきと言わんばかりの引き攣った笑顔を見せ、ノートと教科書を鞄から引き摺り出した。

「………これと……それから……。」

ボードに書かれた文字を写すだけで精一杯。ひたすらシャーペンを走り書きし、教科書の重要な部分に付箋を付けていく。後は家で復習すれば問題ないだろうし、何がなんでも勉強の遅れだけは避けたいのが本心。

「……………あ。」

鞄の中で携帯が音を立てているのに気が付き、すかさず取り出すと見慣れた名前が浮かび上がっていた。

「…………法正さん、からだ………。」

どうやら今日の会社は早く終わるらしく、時間が合えば学校まで迎えに来てくれるとの事。しかし、生憎彼はこの事を知らない訳で。

「彼から?」

隣で独り言を聞いていた友人が小さく声を掛けた。

「あ、うん……でも今日、電車出勤だったよね……。」

普段も帰宅時間が重なった時はこうして迎えに来てくれるのだが、電車の場合と車の場合の二パターンがある為、今回の電車の場合はかなり厳しいと思われる。疲れている中で迷惑は掛けたくないのもまた一理。

「……今、授業中で……今日は、遅くなるかも、しれません………。」

保健室で薬を貰って、休んでから帰ろう。そう考えた彼女はメールを送信ボタンを押そうとする。

「いいの?やっぱり迎えに来てもらった方が良いんじゃないかな……顔色もだいぶ悪いし……遅いと彼も心配するよ。」

「うん……でも、なるべく迷惑かけたくないし、薬さえ貰えれば後は一人で帰れるから、ね。」

平気平気と自分を鼓舞してボタンを押せば、すぐに返信の一言。

『分かった。』

と、簡素なメールが返って来た。

「………仕方ない、よね。」

本当は一緒に帰りたかったし、久し振りに何処かで外食もしたかった。

そんな寂しい気持ちを抑え込んで、終わりを告げるチャイムを静かに待つ。しかし希望も虚しく後半は耐える事で精一杯で、うつ伏せたりする事が多くなっていった。

そして、鞄の中に入れた携帯からもう一つの着信が鳴り響くが、彼女は終始それに気付く事なく時は過ぎる……。






「じゃあ、私、保健室寄っていくね。」

気を付けて、と友人に別れを告げると、未だ収まる事のない鈍痛を抱えながら保健室まで少しずつ歩みを進める。

腹の中で流れる熱い何かが感情を狂わせて、あの時送ったメールを撤回したいと言わんばかりに正当な意見と鬩ぎ合った。しかし今頃彼は電車に乗って家に向かっている頃だろう。

余計な気持ちは切り捨てて、漸く辿り着いた保健室の扉を開けた。

「すみません、薬を下さい。」

女性の先生は下腹部に手を置く姿を見ただけで症状を理解してくれ、薬を貰うとそのままベッドに案内される。

清楚で真っ白な保健室のベッドに寝転ぶのは何年ぶりだろうか。中学校の体育祭で貧血を起こした時以来かもしれない。鼻をすん、と鳴らして保健室共通の独特の香りに思わず目を細めた。

すると薬を飲んだ安堵感なのか、身体も強ばりが取れて瞼が徐々に重くなっていく。このまま眠ってしまえば何時間後に目が覚めるのだろう。今が五時だとすれば、きっと六時か六時半に先生が起こしてくれるから……。

駄目だ、意識が遠のいていく。
















お腹辺りが温かい。まるで、誰かが手で擦ってくれているような、人の温もりを感じる。

その在り処を探るべく、微睡む意識の中ゆっくりと手を動かし、己の腹部分に手を持って行くと

「…………起きたか。」

「……………?」

「………ったく、どうして言わなかった。」

「え………?え………?」

スーツ姿で眉を顰める法正の姿が開眼した直後の視界に飛び込んでくる。何がどうなっているのか瞬時に状況が飲み込めず、ただ困惑の色を浮かべた。

「どうして、私、確かにメールで……。」

「お前、今日一日目だろう。」

法正はキッパリと、叱るような目で断言する。

「…………知っていたん、ですか。」

「朝の優れない調子を見て、何となくそうじゃないかと感じた。」

ああ、それと、思い出したように法正は続ける。

「お前の友人もご丁寧に教えてくれた事だしな……。」

「え?」

「あの後メールが飛んで来た。お前の状況が良くないから、放課後は保健室に行っていると。」

「メール………って、まさか………。」

そう、うつ伏せている間に彼女はメールを送っていたのだ。きっと本気で心配してくれていたのだろう。

「そうだったんだ……。全然気が付かなかった……。」

「むしろ感謝してるくらいですよ。いつ帰ってくるかも分からない恋人を待つのは、些か俺も好ましくないのでね。」

「それは………迷惑、掛けたくないと思っての、苦渋の配慮で……。」

「迷惑、迷惑ねぇ。俺を不安にさせる方が余程迷惑だと思いますけど。」

乱れた黒髪を梳くように隙間に指を通して、静かに法正は正論を述べる。

「ごめんなさい………。」

「まぁ今回はタクシーでも何でも使えばいい。だから迷惑だとか、もう余計な事は考えるな。」

頭上から下りてくる優しい声色に思わず涙が出そうになった。今すぐにでも彼に縋りついて抱き締めたいのだが、生憎ここは保健室、先生もいるだろうし今は下手な事は出来ない。

すると何かを察した法正は、げんなりした顔付きで

「ああ、今……厭らしい事、考えてましたか?」

「い、厭らしい事なんて考えてませんよ!」

なんて、素っ頓狂な事を言うものだから、自分の体調も顧みずに大声を張り上げてしまった。すると先生はその声に反応してベッドを囲んでいたカーテンを控えめに開ける。

「あら?目が覚めたかしら?」

「ええ、彼女もこの通りすっかり元気になりまして……本当に御迷惑をお掛けしました。」

色々な意味でな、薄ら笑みを浮かべた目付きを寄越す彼は本当に人格者だ。法正は持ち前の物腰柔らかい顔立ち、咄嗟の機転、懇切丁寧な口調で深々と礼を述べる。勿論そんな人に対しご機嫌にならない人はいないだろう。

そう、コレの本性が最も恐ろしい報恩報復者とは誰も思わない。

「ほら、行きますよ。」

「あ、はい。」

呆けていると不意に手を引かれて、慌てて保健室を後にする。まだ頭がフラフラするが、睡眠をとったお陰で先程よりかは幾分マシというもの。

それに求めていた彼が傍にいる。保健室の香りはすっかり消え、クールでシトラスな香水が纏って堪らなく心地が良い。

「えっと、法正さん。」

「ん?」

「ありがとう、ございます。」

照れくさく頬を真っ赤にしながら、握られた手を強く握り返す。

すると満足げに口角を上げた法正は

「礼なら、ソレが終わった後にたっぷり貰いますよ。」

と、ここが未だ大学内にも拘らず、容赦なく彼女の唇を奪ったのだ。

「…………………!?」

呼吸が出来ず無意識にスーツを握れば、徐に腰に回される逞しい腕。その色っぽい表情の所為で、変に身体が渦いてしまう。

リップ音と共に離れた唇は艶めかしく濡れて、銀の糸は放物線を描いてぷっつりと切れた。が、物足りなさそうに法正はゆるゆると下腹部に骨張った指先を宛てがうと

「ああ……早く止まればいいのに、な。」

と、恍惚とした表情で喉を鳴らした。

止まればいい。

その意味深な言葉を理解するのに、そう時間は掛からなかった。






(もう日も暮れてきたな……)

(………あ、あの………さっきの意味………)

(……ふ、そのままの意味だが?)

(ああ、血が沸騰しそう………!)