心はとうに奪われていた

その花は美しく咲き誇っていた。短く儚い物と知りながらも咲き誇る力強さに淡い憧れと情愛を抱いていたのだ。

「今日も綺麗ね。」

誰にも干渉されない一輪の桃色の花に言葉を掛けたのは一人の女性。きちんと腰を下ろし、長い睫毛を下に向けて、花と近い距離で会話を交わすのが日課になっていた。
返事は当然の事ながら返ってくる筈もなく、傍から見れば独り言のようにも聞こえなくはないが、それでも彼女は笑みをこぼしながら澄んだ瞳で花を見つめていた。

「私もあなたのように強い心になりたい。例え自分の命の行く末が分かっていても、全てを受け止めきれるような、強い心に……。」

俯いた顔は暫く上がらなかった。花はさも彼女の気持ちに寄り添うように風で小さく揺れている。

その時、土を軽く踏みしめて砂利を小さく蹴る音が聞こえた。

「おや、浮かない顔だね。」

「……郭嘉様。」

やや暗い金色の髪を靡かせて小さく微笑む男は、小さく縮こまってみえる彼女の姿を静かに見下ろす。今にも消えてしまいそうな愁いを帯びる顔は、恐らく気の所為ではない。

「最近、何処かに行ってしまう貴女の事を気にしていた。」

「……申し訳ありません……この花がどうしても気になってしまって。」

「いつから此処に咲いていたのかな。」

「私が見つけたのは、数えて七つ、くらいでしょうか。」

「種類によっては長かったり短かったりするけど、この花はどうだろうね。」

郭嘉もまた腰を下ろしては自分よりもずっと小さい花を愛しむように見つめた。

今はまだ綺麗だが、近い内に……。郭嘉は心の中でそう悟ったが、彼女が悲しむ姿を見たくないあまり、本当の事を言うのはやめてしまった。
しかし何れは朽ちて土に還ってしまうのを見る事になる。形ある物は泡沫といつか消えてしまう。
その時に彼女は一体何を思うのだろう。生命の儚さに直面し、失望感を抱いてしまうのだろうか。

「花も綺麗だけど、そんな清らかな貴女も美しい。」

「も、もう……からかわないでください。私なんかそこら辺に転がっている石ころと一緒です。」

「ああ、そんな謙虚なところも素敵だ。」

「郭嘉様……。」

相変わらずこの人は口説くのが得意だ。幾多の女性があっという間に落ちてしまうのも無理はない。分かるからこそ、奥底にしまっていた胸がちくりと痛み出す訳で、彼と二人きりになると余計に自分が惨めに思えてしまう。ましてや花と会話している所を見られて、おかしな人に見られたかもしれない。

「花と会話しているような女ですよ。私は変わり者です。」

「何故?花だって立派な生命を持つもの。優しい言葉をかけてあげれば花も元気になるし、冷たい言葉を浴びせればみるみる元気をなくしていく。

きっとななしがこうして優しい言葉をかけているから、今も美しく咲いているんだね。」

「………っ……。」

不意に髪を撫でられて、ななしの身体が一気に強張る。染まる頬を隠そうとしたが、もう遅かったかもしれない。彼はくすりと笑みをこぼした。

「それに、私も貴女に何度も救われてきた。今この花に語るように、優しく包んでくれるような温かい言葉で。」

「郭嘉、様……?」

「だからこそ、今の私が此処に在る……。刹那の時間を有意義に過ごせるのも、きっと貴女が私を生かしてくれるから……。」

火照った頬に手を添えられて、ますますそこに熱が集まってくる。しかし、まるで正反対ともいえる郭嘉の手は氷のように冷たかった。

「どうしたん、ですか。」

まるで、もう先がないような科白。しかし、郭嘉の表情は穏やかでとてもそんな風には見えない。
そんな不安を抱いてる彼女に気づいたのか、はぐらかすように彼は、

「ん?ああ、さっきの続きだよ。貴女を口説き落とす為の。」

そう言って手の甲に口付けを落とした。

「……っ……!?」

「それよりもななしは私をどう思っているのか……聞きたいな。」

「………へっ!?ど、どうって……!」

「きっと私が冗談で言っていると思っているんだろうね。でも、これは、違う。」

するりと腕が伸びてきたかと思えば、身体はすんなりと彼の方へ傾いてそのまま閉じ込められてしまう。身動き取ろうにも存外強い力に圧倒されてそのまま耳元に感じる温い吐息にぞくりと全身を震わせてしまった。

「か、郭嘉様、何を……!」

「聞かせてほしい……私にも、この花のように、想いを囁いてほしいんだ……。」

その声色は先程と違って掠れるように低く、切実な想いを吐露しているようだった。それは郭嘉自身も感じている事で、他の女性には一切してこなかった行為。

そっと瞼を閉して、すぐ側にある温もりに愛おしさを見出す。いずれ手放してしまうと分かっていながら、欲さずにはいられない。例え一時しか共に過ごす事が出来なくとも、その瞬間を生きていたい。そんな秘めた感情が伝わったのか、ななしもまたか細く小さな声で、

「私、は………私は、貴方を………郭嘉様を、ずっとお慕いしています……。」

何処にも行かないでほしい、そう縋るように大きな背中に手を添えれば、満足気に口元を緩ませる郭嘉。

「ああ、よかった。これで心置きなく全うできそうだ。」

「な、何を言ってるんですか…!縁起でもないです。」

「こんな時代だからね。何が起きてもおかしくない。だからこそ、後悔しない生き方をしていきたいんだ。こんな風に、好きになった人から直接愛の言葉を聞いたり、ね。」

「んー……確かにそうですけど、今凄く恥ずかしいです……。」

「じゃあ、もっと恥ずかしくなるような事、してあげようか。」

ふわりと身体が軽くなったかと思えば、目の前に迫る郭嘉の顔。あまりにも突然の事でどうすることも出来ず、無防備なまま彼に唇を奪われてしまった。

「ん……!」

「甘い香りがする……ふふ、まるで花のようだ。」

ちゅっと音を立てながら名残惜しそうに離れていく妖艶な唇。まるで術にかかったように身体が動かない彼女は、目だけをひたすらに泳がせる。

「おや、もしかして接吻は初めて?」

「………っ……!!」

こくり、何度も頷けば郭嘉はひときわ明るい表情を見せた。

「私が最初で最後の口付け、そういう事でいいのかな?」

「………意地悪な人です。」

「本気で好きになった女性なんだ……最期まで、側にいて欲しい。」

初めて出会った時から、限りある時間は貴女に捧げてもいいと感じたのだから。

「………郭嘉様。」

「ん?」

「分かってます。花が儚い物だと。この花もいずれ朽ちてしまう事も。故に私は生を受けて、何も出来ずこのまま死に向かって歩んでいる事に恐怖を抱いていました。」

「…………。」

「でも、今は、大切な人と歩む時間を愛おしく大切にしていきたいと思っています。例え人の命も花のように儚いものだったとしても、悔いのない生き方をしたいと。」

「……うん、そうだね。だからこそ、今を存分に楽しまないと。」

浮かなかった彼女の顔は今では凛としている。

「さて、お互いに気持ちを知れた事だし…この先は言わなくても、分かるよね。」

ぱちっと片目を器用に閉じて誘うような彼に、ななしもまた満更でもない様子で笑いながら、

「優しく、してくださいね。」

彼に抱き寄せられた時に感じた鼓動が、規則的に限られた時を刻んでいく。

この心臓が止まるまで、あとどれくらいだろう。




(早速だけど、私の部屋で過ごそうか)

(き、緊張する……!)