愛に終焉を

悲しいかな、愛する者を抱く事すら許されないこんな世界なら、いっそ滅茶苦茶に壊れてしまえばいい。




「…………。」

満月が妖しく光る夜、普段側に居る筈のななしがいなかった。寝ていたその場をゆっくり触れればまだ微かにある温もりと残り香。
離れてそんなに時間は経っていない、そう寝惚けた思考が判断すれば次第に頭は覚醒していく。

「…………何処に行った。」

気怠い身体を起こせばぎしりと鈍い音が犇めく。隙間から入ってくる風が彼女への導を知らせている様な気がして、服装を正して部屋を出た。
日付は大いに回って人の気配は微塵も感じ取れない。聞こえるのは虫の音色と己の服が擦れる音。落ち着いた雰囲気で辺りを見渡すが、内心は気が気ではなかったりする。

我ながら独占欲が強くて敵わない、と徐に溜息を零せば人の形をとった影が揺らめくのが目に入った。

「………誰だ。」

寝起きの声は驚くほど低く、端から聞けば憤怒の感情を持っているようにしか感じない。しかしその影は何も言う事なく何処かへ消え去ってしまった。

「………いいだろう、その誘いに乗ってやる。」

口角をゆっくり上げて笑みを浮かべる。そして、影の消えた角を曲がれば再び影が揺らめく。それを繰り返していく内に己の中でふつふつと何かが沸いてくる音がした。

「いい加減正体現したらどうです?まぁ、殆ど分かっていますが。」

投げ出すような口調に影の揺れが止まり、それは現れる。

「貴方こそいい加減に醒めるべきです、法正殿。」

静かに姿を見せたのは悲しい目で彼を見据える青年。
そんな徐庶の真剣な眼差しと訴えが異様に響き、訳も分からず頭痛がしてくる。

「ああ、何のことでしょう?」

「貴方は、ななしを苦しめてる……毎夜啜り泣く姿を見るのはもう嫌なんだ。どうして彼女を束縛するんですか。」

「泣く姿……彼女はどういった理由で泣くんですか。それに、俺が苦しめていると言うのも理解し難い。」

ぎり、と歯を食いしばり拳を握る。今にも食い掛かりそうな徐庶に対し罪悪感を全く感じない法正。

「そうやって無理に身体を求められ逆らう事も出来ない苦しさ……逃げれば死を意味する束縛した恐怖心……ええ、法正殿、一方的な愛に狂っていますよ。」

「何も知らない奴が偉そうにななしを、俺を語るな……。」

かたん、と二人の物ではない音が響き渡る。徐庶は焦りを、法正は喜びを同時に感じた瞬間だった。

「あ………。」

「ななし……!来てはいけない!」

「ああ、それは彼女が決めることだろう。さぁ…どうします?」

細めた鋭い目は彼女を射抜き、波打つ心臓が一瞬止まった。
かたかたと手足を震わせ、瞳はぐらりと揺らぐ。その服から覗かせる美しい肌には幾多の赤い華。徐庶はその姿を痛々しく見つめ、それでも来るなと必死に訴える。
一歩、また一歩。距離を縮めていくがある一定の距離で足を止め呟く。

「………法正、さん。」

「…………。」

「私は……貴方を心から愛していた………もう、囚われる生き方をしたくないです……。自分勝手なのも分かってます……でも。」

はらはらと涙を流し、その場に崩れ落ちる。悲痛な叫びが、心から訴える本音が、流れていく涙が徐庶を動かす軌道になった。無意識に駆け寄りその華奢な身体を抱き支える。

「徐庶……さん。」

「大丈夫だ、もう大丈夫だよ。君は…俺が命を懸けて護るから。二度と泣かせたりしないから、心から愛している……。」

その姿を手を出すこと無く、怒る事も無く、ただ無の感情で傍観する彼は刹那に色褪せた昔を思い出した。



「私の想いを受け取ってください。」

好意を寄せて愛を告げに来たのは一人の少女。悪党は愛に興味無く決して少女の想いを受け取らなかった。

「この御恩、決して忘れませんよ。」

しかし彼が窮地に陥った時に手を差し伸べたのはただ一人その少女のみ。その時初めて愛というものを知る。

「彼はとても優しい方です。」

二人は仲睦まじく過ごしていた中、一人の男が現れた。その男は少女とすぐに仲良くなり、悪党は彼女が自分の元から去っていくのを恐れた。

「忘れるな……この想いを。」

そして悪党は自分の世界に閉じ込め、かつて貰った愛を幾度も告げる。
それは恐ろしく痛い程に。



「……………愛なんて知らなければ、良かったのか。」

今度は自分が影のように揺らめいて何処となく彷徨い歩く。寝惚けた思考は完全に覚醒し、真っ黒な空を見仰いだ。
意識がはっきりした頃には何も残らなかった、ぽっかりと空いた空間。
誰が悪くて誰が正しいのか、自分勝手なのは誰なのか、報いるべき相手すら定まらなくなってしまったこの身はただ乾いた笑いしか出せなかった。

「………。」

何だかんだ愛は人を狂わせるとんだ劇薬だ、一度味わえばのたうち回る様な感情を覚える。
彼女を忘れて誰かを愛する事が出来るのだろうか。否、何も得るものはない。
どうせなら、自分も彼女も全て無に還ってしまえばいい。そうすればこの気持ちを引き摺る事なく終焉を迎えられるのだから。


そうして悪党は人を愛する事を辞め、彼女の記憶を消す様に孤独と暗躍する。


「徹底的に…潰すぞ。」


それなのに、時々感じる胸の痛みはどうしてだろうか。




(永久の別れをしようか)