「父上、父上ぇ!」
法正はその呼ぶ声に振り向く。齢は六、七位の一人の男児が泣きながら袖の部分を引っ張って来る。
「どうした、なぜ泣いている。」
「姉上に悪戯されたのです!」
この男児は法正とななしの子供であり、その言葉から出た姉もまたそうである。姉は法正に似て知恵が豊富且つ運動能力が高く、いつもこの弟に悪戯をしている。逆に弟はななしに似てとても泣き虫なのだ。
「男なら強くいろ、女に負けていてどうする。」
「どうすれば強くなれるのです…。」
「仕方ないな……今回は俺が手伝ってやる。とっておきの策を教えてやるよ……事は小さくとも、大きな報復を。」
唇の前にゆっくり人差し指を立てて不敵に笑う。そんな父の姿に弟はごくりと生唾を飲み込んだ。そして控えめに頭を下げる。
「よ、宜しくお願いします…。」
「置き手紙で呼び出すなんて、まだまだ気弱ね?」
中庭に向かうと姉は自信ありげに仁王立ちで弟を待っていた。思わず膝が震えてしまうが父を信じて何とか堪える。
「……き、今日こそ姉上をぎゃふんと言わせてやるんです!」
「ほう……言ったわね?ぎゃふんと先に言うのはどちらかしら!」
彼女は得意の走りで一直線に弟の所へ向かう。音も立てず走るその姿は疾風の如く、それと同時に弟は背を向けて死ぬ気で走る。
「逃げるくらいなら最初から呼び出しなんてしない事よ!」
「……………!」
姉の手がすぐそこまで迫る瞬間、彼は地面を思い切り踏み両足を浮かせる。そのまま一定の距離を飛ぶと真後ろで甲高い悲鳴が聞こえた。
「きゃあああ!!!」
振り返れば下半身が地面に埋まる形で彼女は大層驚いている。
「………あ。」
「落とし穴……!よくも嵌めたわね!」
「……僕の勝ちだ!」
幸い怪我はないが勿論怒りは頂点に発する姉。その覇気に弟は思わず尻込みをしてしまう。
しかし騒ぎに気付いたななしが部屋から姿を見せた。
「ちょっと何が起きたの!」
ぱたぱたと駆け足で庭に出ればとんでもない現状に呆気を取られた。
「母上!僕は生まれて初めて勝ちました。」
「え……勝つ?」
「く……いずれ報いるわよ………。だけどこんな事、一人で思い付く筈がない。どっかの参謀さんの入れ知恵じゃないの。」
姉は疑いの視線を一本の木へ向け、わざと強調した声で話す。
「さすがは俺に似ている。」
ふらりと姿を表すのは姉の読み通り法正だった。
「えっと法正様、これは一体どういう事でしょうか……。」
困り顔で法正に尋ねるななし、彼は口角を上げて満足そうにこちらに歩み寄り穴に嵌った彼女を引っ張り上げる。
「少し知恵を貸しただけだ、強くなりたいと泣きつかれてな。」
「……………でも父上。」
「相手を騙す事も一つの策だ、そうだろう?」
押し黙ってしまうとななしは彼女の汚れた部分を払う。それでも決して泣かない彼女は何と強い事だ、法正に似て案外しっかりしている。だが、
「確かに学びも必要ですが、程々に……ね。」
宝物でもある子供の身体も大切にして欲しいと苦笑いした。
(俺から二人に教える事は、常に報恩報復を忘れない事だ)
(ふふ、法正様らしいです)