恐らく法正が見るのは蜀の未来、暗躍する参謀として主を支える役目を担う限り、私という存在など端から眼中にないのだ。
「なら、いっそ別れた方が気持ちが楽!」
と、発するななしはそう言いつつ何処か哀しげだ。女中は困り顔で返答に詰まった。
「私を傍らに置いてそれだけで彼は満足なんですよ……齢もまだ若いし……。
でも、それだけで愛されないのはやっぱり辛いです。」
俯いて嘆くその姿、相当参っているようだ。しかし簡単に離別など出来ない筈、あの様な悪党なる軍師に抵抗などすれば何が起きる事か。
女中はもう少し堪えるべきだと発言すれば彼女はそっと溜息をこぼした。
「何れにせよ…彼は、いつか私を捨てる……そうなる前に消えてしまいたい。」
「ななし様………。」
「…………馬鹿みたいだね、国はそれどころではないのに。こんな事に拘って彼に迷惑をかけて。」
「………そんな事ありません、女性なら誰しもがそう思うはずです。好いた者から愛されたいと思うのが普通なんですよ。」
愛されたくない人などいない、そう諭せば気持ちが幾許か楽になる。
「彼に直接話してみてはどうでしょうか。忙しいとは言え、耳は傾けてくれるでしょう。
彼が国を支える存在ならば貴方は彼を支える存在となります、絶対に。」
その言葉に静かに頷き、何処に行くかも告げず立ち上がった。
「ありがとう。」
それでも先程よりかは優しい表情を浮かべていた。
「……足が竦んでしまう。」
彼の部屋の前で右往左往、通りすがる周りの人も不思議な目で彼女を見る。しかしそんな事も気付かない程に視界は狭まっていた。
「ああ………これを言ってしまった時、どんな罰を受けるだろう……。」
そんな事を考えていると目の前の扉が開かれる。突然の事に吃驚し言葉を失った。
「…………何をしてるんですか、俺の部屋の前で。」
「あ………!」
本人が出てきてしまい、心の準備をする間もなく告げなければならなくなる。
絶体絶命でありつつも怪訝そうにこちらを見つめる法正を恐る恐る見つめ返した。
「……あの…お話があるんです。」
「どういった用件で……?」
さすがに外で話すのは気が引けてしまう。逸らした目線に察したのか
「………中に入ってください。」
そう促され素直に部屋へ足を踏み入れる。心臓が波打って考え事すら出来ない程に伝える内容が真っ白だ。
「さて……どういった話で。」
「……………。」
そう言われて早速言葉を必死に探してみるがなかなか見つからない。しかし彼の機嫌を損ねたくない、早く言わなければと何かに急かされる。
「…………私は必要でしょうか。」
「……………。」
「…………つまり貴方にとって、私はあるべき存在でしょうか。」
咄嗟に思いついた言葉を小さな声でぽつりぽつりと呟く。もっとましな言葉が見つからなかったのか、と自分の中で叱咤した。
だが法正はその言葉を一字一句聞き逃す事なかった。
「忙しいのは分かります、国の存亡がかかっている戦を優先するのは当然……でも、この遠くも近くも無い距離が辛いです。我儘な事だとは重々承知です……嫌われてもいい、だから………。」
ついに繋ぎは途切れ沈黙が広がった。しかし、彼は
「……………ああ、そういう事か。」
何かを悟った彼はかたかたと無意識に震える彼女の手を取った。
「………確かにこの国は大切ですよ、ですが…………。」
ゆっくりと顎に手を添えられ、厳しくも優しい眼差しが瞳に映る。それに耐え切れず思わず涙が落ちそうになった。
そして彼の唇が開かれると同時に己の唇を結んで覚悟を決めた。
「守るものが一つしかないなら、迷わず俺は貴女を選びますよ。」
「………!」
予想とは全く違う返答に呆気を取られてしまう。目を丸くして無言でいれば彼はぶっきらぼうに頭を撫でた。
「愛してないならあの時俺から抱き締めたりはしなかった。」
初めて私から想いを伝えた時、彼はそれに応える様に抱き締めたのを思い出す。高鳴る鼓動が聞こえる程に静かな世界で二人が誓い合ったその瞬間を。
「終わったら、愛する。……こんな俺を支えられるのはななし、この世で貴女だけなんですよ。」
「………法正、様………。」
彼はあの時を忘れていなかった。その事で胸が熱くなり堪えていた涙を一気に流した。
「ああ、泣く程辛かったのか。」
「そうですよ!!日々の素っ気ない態度に愛されてないとずっと思っていたんですから……。」
「素っ気ない態度……普段と変わらない態度でしたが。」
確かに彼の様な人柄は溺愛などする性格ではないだろう。しかしあの時以来から接吻を交わしていない。
「………法正様。」
目を閉じ、顔を上へ少しだけ傾ける。
「…………。」
理解したのか、顔をゆっくり近付け触れるか触れないかの距離まで縮める。しかしそこから一切動かなくなり、不安になったななしは目をそっと開けた。
「……駄目でしたか。」
「……いえ、今度は貴女からどうぞ。」
「……焦れったいです、本当に。」
それはどうも、と意地悪く言うその唇にそっと口付けをした。
(これからはうんざりする程貴女を愛しますよ……愛してと言ったからには覚悟して下さい)