「お嬢さん、俺に血を頂けませんか。恩はいずれ返しますので。」
真夜中に突然現れたのは黒いマントに包まれた一人の男性。悪党の様な笑みを浮かべるとその唇の隙間から見える尖った歯がギラリとちらつかせた。
目の前の出来事に思考が追い付かず目を白黒させると、コツコツと靴を鳴らしてこちらへ歩み寄る。助けを呼ぼうと必死に声帯を絞るが声は恐怖に支配され上手く発せない。
「ああ、そんなに怯える必要ありませんよ。血を少し頂くだけで貴女を食ったりはしませんので。」
そうは言うがいきなり信用など出来るはずもない。少しずつ後ろに下がるがベッドに背中が付いて逃げ場を失ってしまった。
「いや……助け……。」
がたがたと全身を震わせ、涙をぼろぼろと流す。
「………はぁ、何もしませんからとりあえず一旦落ち着いて下さい。」
彼は退いて椅子に腰を掛けてゆっくり脚を組んだ。それでも視線は静かに彼女に向けたまま離す事はない。暗い部屋で妖しく光るその眼はルビーの様に紅く、目を合わせてしまったら吸い込まれてしまいそうになる。
「………本当に、殺しませんか。」
「最初から言ってるじゃないですか。ただ単に血を欲しているだけで肉体には関心ありませんよ。」
何故かは分からないが不思議と彼は嘘を付いている様に見えなかった。本当に欲しい物がそれ一つだけだと。
「………分かりました。血はあげますので、それが終わったら帰って下さい。」
「………いいですよ、これっきりにしてあげます。」
すくっと立ち上がり、彼は膝を曲げて同じ目線の高さになる。人間には持ち得ないその姿に魅されて思わず目を細めてしまった。
「何を、見ているんですか…。」
近くなる低い声にはっと我に返り肩を震わせる。自分は一体何を思ってしまったのだろう。初めて会ったばかりで異なる者にどんな感情を持ってしまったのだろう。
ぐるぐると頭で考えているとその華奢な肩に手が触れた。
「あっ。」
「静かに…。」
尖った爪を揃えた指が唇に宛てられ、その言葉を噤む。
「ご安心を、痛いのは少しだけですから。」
そう言って包み込む様に寄せられる。歯が首筋に当たり、ぐっと食い込んでいく。彼の言葉通り痛みが走るがそれは一瞬に過ぎなかった。
次第にぞくぞくする様な感覚に陥り、無意識にマントを握ってしまう。
血の流れ、香り、男が纏う色気、声色、全てが支配しきっていく。
「…………ん。」
全身の力が抜けに抜けて、何も感じなくなった。
「……ああ、やはりかつて無い程に貴女だ。」
言葉の意味が分からないが、朦朧とする意識にただ聞く事しか出来ない。
滲み出た血を舐めとる様に舌を這わせ、そして満足そうに不敵な笑みを浮かべた。
「以前と変わらず……気が変わって、その身体も欲しくなりましたよ。」
「え………。」
「吸血行為、こうして魅された女の血を得る事で一時的に繋がりを持つ事が出来る。更に身体を重ねる事で魂まで永遠の繋がりを持つ事が出来る。」
とん、と肩を押されてそのまま床に身体が倒れ込む。見える筈の天井は阻まれ、代わりに先程飲んだ血の雫を伝わせる男の姿。
マントがはらりと二人に被さり、月明かりも当たらない世界へと誘われた。
「嘘、つきましたね。」
「そんな事も忘れる程に貴女を愛したい、と言ったら?」
嬉しそうな顔をしている筈なのに何処か哀しげな面影を感じるのは何故だろうか。まるでぽっかりと空いていた孤独の隙間を感じさせるような。
それでも紅い眼は暗闇でもしっかりと光り、獲物を逃がさないかの如く。
「待ち焦がれていた、こうして繋がりを持つ事を……あの時から。」
「あの、時……?」
「ああ失礼、独り言です……。きっとななしは俺の事は覚えていませんから。こうして勝手に恩返しをしに来ただけですよ。」
「なんで、私の名前を…。」
何を言っているのかさっぱり不明だ。しかし、彼の声を聞く度に脳裏に浮かぶある男の姿を思い浮かべていた。
夢に何度も現れては消えていく、走って追いかけても追い付く事もない永遠の空白。
「幾世を隔ててもこの愛しさは変わらない……この悪党を救ったその魂は。」
気付けば己の唇は彼と重なり、鉄なのに甘い味がじわりと広がった。こんな気持ちを覚えている、あの時の男性と同じ。
ありがとう、ーーーー。
「あ………
……法、正。」
無意識に呼んだ名前に反応した。
「その名前を呼んでくれる事を幾百も待ち焦がれていましたよ、ななし。」
かつて男が愛した一人の少女にこうして巡り会えた。魂の繋がりをする事無く生涯を終えた事に後悔と悲愴が渦巻き、輪廻に従い生まれ変わるのを長い孤独と共に待っていた。
「記憶も肉体と共に朽ちて置き去りになっていたかと思っていたんですが、覚えていてくれて何よりですよ。」
「私を……探していたの?」
「そうですね、飽きる程女を抱いては探し歩き、繋がりを断っては世界を彷徨い……それの繰り返しでした。」
「………。」
「今宵は、貴女を存分に愉しませたい。俺の、崩れる程募らせた想いを注ぎたい。
故にその身体に触れる事、許せ。」
委ねた己の身体は思い出した鮮明な記憶の所為なのか、すんなりと受け入れた挙句、少女は一夜にして何もかもを捧げた。今までの二人の孤独を埋めていく様に。
かつて吸血鬼は、忌むべき者として蔑む人間に酷い仕打ちを受けてきた
そうしていく内に、心なき人間に対して次第に復讐心を持つようになる
怪我を負い、独り森の奥でその身を潜ませてれば姿を現す一人の少女
奴等と同じなら殺せばいい、そう思って警戒するもその瞳に殺意はなく
むしろその怪我を労り、かつて見た事ない程に泣き崩れた少女
彼女は村を抜けだしては森で吸血鬼に度々逢瀬を重ねていく
それが村人に知られてしまった時、彼女は吸血鬼に眷属にされたと恐れた
そして魂を繋ぐ事無く、少女は殺されてしまったのだった
恩を返す事無く彼女を失った事に憤りと悲しみが爆発し、全てを焼き払ったのだった
(これでもう魂が離れる事はない)